やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

頼まれごとの話

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画像は全く関係ない。

自室に並ぶ人生の推し、森田さんのアクスタとこの前映画を観に行ったついでに引いたガチャガチャで自引きできた大好き…というか好きなキャラの夏油が並んでいる画像である。

ちなみに、ちょっと夏油は不安定で、たまに本棚にぶつかると簡単に倒れる。カタンッと音がしたら「あ、夏油が倒れたな〜」と思って、翌朝立て直すようにしている。

 

台風が来ている。明日の出勤行けんのか?と疑問に思いつつ、大雨の中家を出るのが嫌すぎて天気予報を何度も確認している。

 

昨日、一昨日と台風が来ていることもあって、低気圧に全てを奪われる私は、布団に転がったり早めに買い出しに行ったり、洗濯をすませたり、やれることを一個ずつ終わらせていた。

 

夜は、ツイッターのフォロワーがやっているスペースや動画を見ながら、頼まれごとのロゴ作りに必死になっていた。おかげで肩がゴリゴリになっている。

この頼まれごと、なのだけれど、実際は一年くらい前に頼まれていて、心のどこかで常に頭の中をぐるぐるしていたものである。

 

人から何かを頼まれたり、依頼されることなんて滅多にないのだけれど、でも、こういうことがあると、頭から離れなくなる。ずっとどうしようかなと、たまにデータを開いて、いじってみて、閉じて、また見て。本格的に依頼されることは今まであまりなく、デザインを作ったり考えたりするのは好きなのだが、いかんせん自分の作ったものに自信が持てなくなる。

ずっと自分しかそれを見ていないからなおのことである。

何パターンかデータを作り直し、結構いいかも…?と思うものの、深夜の作業をしている自分はあてにならないこともよく知っている。一晩寝かせて、今日の朝起きて見てみたら、いいんじゃないか…?とそれでも半信半疑、六割は良いみたいな感覚になって、依頼をしてくれていた先輩に連絡をした。

 

結果、「天才なのでは?!」とめちゃくちゃ褒めてもらって、私としては天才じゃないけど良かった〜〜〜と一安心して、時間も中々に経過しているし、報酬は結構です!と伝えた。

でも、その人は、「依頼したから絶対に絶対に払います!」と言ってくれて、マジで、本当に、いらない!と思って押し問答が続いた。

途中から、作るのは楽しくなっていたけれど、楽しく作って、でもちょっと自信が持てなくて、そんなものに対価をもらうのは、どうにもこうにも気が引ける。フリーランスで仕事をしている人って、どこで自分の作業に見切りをつけてるの!?すげ〜。

細かい依頼は特になくて、とにかく好きに…見た目が私の好きなものであるように…と作ったというのもあると思う。

 

病院に通い始めて、先生から「丸いさんは完璧主義なところがあるよね!」と満面の笑みで言われて、そ、そうですね…と、どんな顔で返事をしたら良いのかわからない自覚症状アリの指摘をもらった。完璧主義。ちょっと違うような気もするけど、どこが完璧かわからないから、どこまでも満たせていない気がして、不安になる。が、正解のように思っている。

こと、自分に関するものならどうでも良いと言うか、感覚的に引き際があるのだけれど、人に頼まれるとなると、あれもこれもそれも、と色んな可能性と要素が頭の中を占めていく。

正直、自分の頭はそういう「良い」とか、判断基準をくだす場所の容量がないため、全くわからなくなる。

そして、最終的に自分が気に入っているか、可愛いと思うか。そこの部分に落ち着く。まあ、それでいいんだろうけど。なんかな〜!

 

今働いている職場では、フォトショとイラレを使うことが多い。というか、その作業がほとんどだ。

元々、美大に通っていたときから触ったりすることもあって、でもきっと私はイラレのこともフォトショのことも何も知らないんだろうなとと思っていたら案の定何も知らなかった。転職してから、とにかくこの技術面で覚えたことというのは、私の創作活動にすごく役に立っていて、転職して良かったなーと思う部分でもある。

それでも多分、まだ私はイラレとフォトショとは顔見知り程度なのだと思うけどね。知り合ったばっかで、こんなこと得意だったの!?て思い続けることがまだまだあると思う。

とにかく、自分の中にあった、終わらせなきゃ!と思っていたことが一つ片付いたというか、することができて良かった。

何か一つでも生活でできたことがあれば一億点。これは生きてるだけで百点に加算されるプラス点数だ。

 

雨もぱらぱらと降り始めて、風が強くなってきている。台風の災害が、どうか最小限で、明日は無事に出勤できますように。仕事、行きたくないけどね〜!!!!!!

 

台風の日の話

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お久しぶり…です…!

自分に課しているわけではないので、のんびり日記を書いていると、どうも何もなかったりそこまで力が発揮できない日がある。ここ三日は天気も悪ければ、心もひっちゃかめっちゃかで何を書いてもウワーッとなりそうだったのでやめていた。

けど、今日は台風が近づいてきているなーと思ったら、色々思い出したのでそのお日記を。

 

実家に住んでいた頃、私の部屋にも兄の部屋にもエアコンがなかった。そもそも、夏も熱中症になることはかなり珍しいことで、窓を網戸にして扇風機一台で乗り切ることが当たり前だったように思う。

私は何歳になるまでかは覚えていないけれど、多分兄が中学生になるくらいまでは、兄の部屋に二段ベッドがあって、兄と二人で夜は寝ていた。

 

そうは言っても、暑いのは暑い。

両親と祖父母の部屋にはエアコンがついていた。あんまり覚えていないが、この人たちは子どもを横目に冷房をつけて眠っていたのではないかと思う。祖父母の部屋は夏、とても涼しい記憶があって、よく乱入しに行っていた記憶がある。祖母か祖父と花札坊主めくり、トランプをするという目的である。あとは涼しいところに避難。

 

けれど、そんな夏でもエアコンのある部屋で眠ることが許される日があった。

それが、台風の日なのである。

台風の日は、窓を開けて寝ることができるはずもなく、母から許可が降りる。一階の客間、こと仏壇の置かれる仏間で寝ることが許されるのだ。

その部屋には床の間もあって、小さい頃から床の間には乗るもんじゃありません!と教育されていたので、今でも床の間を見ると乗りません!と思う。

それと、私が人型をした人形が嫌いなため、なるべくそういったものは置かれていなかったのだが、床の間にはそういう人型をした陶器の人形が置かれている。仏壇、人形。線香の香り。実のところ、全てがちょっと私の苦手なものだった。

 

しかし、背に腹は変えられぬとはよく言ったもので、兄も一緒にその部屋で寝ることになるため、一人よりは怖くはなかった。

部屋の窓を打ちつける雨の音。ゴロゴロと鳴る雷。多分、近くの自販機のゴミ箱か、なにかが道路を転がっているのだろう騒がしい外の音。

いつもとは違う環境で眠りにつく、それだけでなぜかわくわくしていた。あと、涼しい。最高じゃん!と思う。

ただし、タイマーをセットされるので、寝苦しさに目覚めることもある。こっそりと付け直す。

 

私は、今でも雷がとても苦手だ。

大きい音が苦手なのである。扉を閉める大きな音とか、食器が落ちる音とか、とにかく何か大きな音というのが苦手で、雷が嫌いなのは、多分だけれど、小さい頃によく言われる「おへそを取られるぞ!」に起因していると思う。

雷が落ちて、家の電気が停電したことがあった。祖母が言う。「おへそ隠しとるか!?」父も乗っかってくる。「取られるぞ〜」大人って、子どもがイヤーッてなってるの好きだよね。私も好きだけど…。電気が復旧するまで、どうしたらいいかわからない私は、机の下に逃げ込むか、懐中電灯を必死で探すかしか手段がなく、大泣きするしかない。

電気がつくと、確認される。「おへそある?」「アッタァ!!!!(大泣き)」絶対このせいで雷がもっと怖いと私は信じている。

 

台風の日は、外で飼っていた愛犬も玄関先にやって来る。先先代の愛犬であるペスだ。

ペスは、室内に入ることを禁忌として認識していたらしく、玄関先でもえげつないほど落ち着きをなくす。そして、外で飼っていた犬なので、湿気と相まってめちゃくちゃ獣の匂いが充満する。ペスのために玄関に置かれた扇風機がまた、匂いを流すため、くせー!と思っていたが、家の中にいつもは外でしか見れない愛犬がいるのが私はとても嬉しかった。何せ、実はずっと室内犬に憧れていた子どもだからだ。

ペスは室内にいる自分に動揺しているのか、興奮しているのか、常に息が荒かった。体が大きい犬ということもあっただろう。

ペスがいる玄関から、私が眠る客間はすぐ隣にあるのだけれど、ペスの「ハッハッハッ」と異常な息の音に、マジで大丈夫なんか…?と思いつつ布団に転がっていた。

 

台風が来て、学校が休みになるとなんというか、心がフィーバーした。中高生の頃より、小学生の時の方がその興奮度は高く、朝、暗い部屋の中で客間にあるテレビを兄とつけてニュース番組を見る。警報が出ているかどうかを確認するためだ。警報は何時まで出ていると、休みと決まっていて、休みが決まると電話の連絡網でクラスの人に連絡をしていく。

休みだ!そう決まれば、朝の八時半過ぎには、特定のチャンネルで再放送のアニメをそのまま見る。それから、兄と客間を出て、玄関先で興奮するペスに朝の挨拶をして、朝ご飯を食べるのだ。

 

台風の日は、家族が揃っていることが多かった。みんなが家にいて、外もうるさいけれど、家の中も賑やかで、私はそれがなんとなく好きだった。だから、こうして一人で台風をやり過ごすとなると、誰かの家に行きてえなあ。になる。

 

雨は基本的に好きではない。体調も悪くなるし、傘もあんまり意味がないし、出勤するとなると靴は最悪なほどに濡れるし。

でも、小さい頃は怖かったけど、嫌いじゃなかったなーなんて、三連休の真ん中をソシャゲに時間を溶かされながら思い出していたのである。

 

最近観た映画の話

昨日は、カナダにいる友人から今暇!?と連絡が来て、大丈夫だよ〜と返事をしてしばらく通話していた。

時差はカナダが夜ならこちらは昼間。真逆なのだが、私の仕事は水曜日からなので、ちょうどいい。

彼女は映画やマンガ、色々なものが好きで、大体話しているとおすすめのものの話になるのだが、そこで映画の話になった。私がいいよ〜とおすすめした映画はA.Iである。

私はやるべきことをやりつつ、彼女と話したあと、久しぶりに観たいと思ってA.Iという映画を観た。

 

A.Iという映画が公開されたのは2001年。スティーブン・スピルバーグが監督をしていて、主演はシックスセンスでも有名なハーレイ・ジョエル・オスメント

私の母は週末なりなんなり、子どもをよく映画館に連れて行く人だった。私はアニメ映画の方が好きだったが、選択権があまりなく、母に言われるがまま、連れられるがまま映画を観に行く子どもだった。

公開当初、映画というものをあまり好きではなかった私にとって、このA.Iという映画、苦痛でしかなかった。ストーリーとしては、その世界はすでに人間という生き物自体が、住むところも限られ、ロボット科学が発達した世界。そこで、生み出されたAIロボットが主人公となる。

息子が植物状態にある夫婦の元に、そのAIロボットは子どもとして迎え入れられることとなる。あまりにも精巧に作られた主人公、デイビッドに戸惑う母であるモニカ。それでも愛情を持つ少年としてつくられたデイビッドと彼女の距離は少しずつ縮まっていく。その最中、実の息子が目覚めることとなり…という感じでお話が進んでいく。

このA.Iの映画の中に出てくるロボットだが、とにかく見た目が怖い。スピルバーグ、鬼か?と思うほどに、その人間の形をしているけれどロボット、という生き物としての描き方があまりにもリアルで怖いのである。

この怖さなんだ…?と思って大学生の頃調べていたら、スタンリー・キューブリックが企画したものであったらしい。あ〜なるほど!なるほどね…である。スピルバーグが結果、彼の遺志を尊重したということなので、あ〜ウン…ウン…とスタンリー・キューブリックの映画作品を知っていると納得の諸々だ。

 

幼少期の私は、映画を観ている最中、モニカの実の息子であるマーティンがデイビッドに意地悪をする描写があったり、とにかくデイビッドが辛い思いをするシーンがあったりで、こういうものを観ていると感情移入が進んでしまう私は映画館で吐いた。ちなみにロード・オブ・ザ・リングを観に行った時も吐いた。めちゃくちゃ吐くやないか。それでも諦めずに娘を映画館に連れて行く母の気持ちって何なのだろう。

それはともかく、ファンタジーや見たことのない気持ちの悪いものへの耐性があまりにもなく、デイビッドのことを思うと私は辛くてどうしようもなかった。

こういう辛い気持ちがとても大きい映画だったので、もう一度ゆっくりとこの映画を観直すまで、私はA.Iという映画に良い記憶がなかった。

 

トラウマみたいなもので、しばらくは避けていたが久しぶりに観ようとなったのは大学生の頃だったと思う。時間かかりすぎ問題。でも本当に良い記憶がなくて。

そして、もう一度ゆっくり観直すことになって、ようやく最後までを見届けたのだが、こういう話だったのか、と納得したと同時にすごいいい映画だ…と私はしみじみとした。

それ以来、人に良いですよ、と勧める映画の一つになっている。

大学生になる頃には、私はSFジャンルがかなり好きになっていて、それも一因としてあるだろう。インター・ステラーでも同じであるが、長い長い時を経ても、何かを救うものは、言葉で理由のつけることのできない「愛」という感情であったりする。それを信じていたい人間の感情もあるのだろうが、私はどうしても何をしても、普遍的に存在してしまう「愛」が描かれているSFが好きだ。

もちろん、科学的根拠に基づくトリックが散りばめられたものも好きではあるが、結局のところ誰か、何かを突き動かす「愛」が寂しくて美しいと思ってしまう。

 

このA.Iであるが、最後かな?と思ってからが長い。そして、そこがとても良いのだけれど、また久しぶりにこの映画を観た私は、嗚咽が出るほどに泣いた。泣いたから良い映画ということもなくて、ただ、デイビッドが心から望むものが「母」である存在で、それはある意味、彼のプログラミング上では「愛情を持つロボット」という部分にある執念にも近い。それでも、彼は理由もわからないまま涙をしたり、怒ったり、どうしたらいいのかわからなくなったりする。この、人間なのか、ロボットなのか。その境目すらわからない間で揺れる感情の、こわさと愛おしさたるや。あ〜思い出してまた泣きそう。

 

旅のお供は、デイビッドが迎え入れた夫婦の息子のおもちゃだった熊のぬいぐるみテディ。テディは高知能の玩具「だった」。時代が進むにつれて、科学は発達し、デイビッドのような存在がいるからそりゃそうだ。

映画を観た当初、やっと可愛い生き物が出てきたぜ〜と安心していたら、声が全く可愛くなくて、嘘じゃん!?となって、おじさんだよこれは!と騙された気持ちになったのを覚えている。今聞いても、こわいわこんな声…と思うのだけれど、このテディ、高知能の玩具「だった」だけのことはある活躍をする。彼は、玩具だ。感情があるわけじゃない。でも、ずっとデイビッドに寄り添い続ける。デイビッドはそれに不満を持つことはない。だって互いにロボットだから。これがまた、すごいなと思う。

そして、もう一人。心強いお供となるのがセクサロイドであるジョーこと、全盛期の美しさを保つジュード・ロウである。彼はセクサロイドなので、女性を満足させるためのロボットである。このジョーが〜すごく格好いいんだよね〜。ジョーはデイビッドにロボットはなんたるかを説き続ける、ロボットとしての大人のような役割を担っている。ジョーが最後までデイビッドを守る存在であり、そしてまた、違う生き方をしたロボットでもある。彼はデイビッドを見守り続けた最後、「I am」と言うシーンがある。これがすごく、すごく良い。

 

とまあ、A.Iの色々を話したのだけれど、実際のところはもし見る機会があれば、自分の目で確認してもらえたらと思う。私は、この映画が嫌いだったけど、とても好きなものになったし、そこらに散りばめられている色んな意図をまだすべてわからないな、と思う。でも、聞いてみたい。この映画を観て、自分以外の人は何を思ったのか。

 

とまあ、最近観た映画の話でした。映画はとても好きなので、また何かの映画の話ができたらいいなと思います。

 

自分を守る話

 

連続日記を!すぐに最近サボってしまうようになった!でも、すみません人間なので…と毎回割と同じ言い訳をしている。最近は情緒がガタガタで何をするにもヨッコイショ!以上の気力が必要になる。

 

こういう時、自分で自分を守るしかないんだよな、という気持ちになる。

自分の不安の原因はわかっている。どうにかなるとわかっていても、不安で心が捩れそうで、毎日そういうことばかりを考えている。頭の中から消えろ〜と思っても、気付けばそこに行き着く。人間って、どうしてこうも…。こういうことは、大体他のことをしていれば払拭できる。お金をかけずに楽しめること、自分の好きなこと。色々の予定を延期にしてもらっている私が、楽しみま〜すと返事をしたら、頑張るなとメッセージをくれた友人がいた。

頑張らない。でもこうなったツケは自分にあって、頑張らざるをえないとも思ったりする。これが最悪の循環!地獄!

 

私は、人が好きだけど苦手だ。

嫌いじゃないし、苦手。嫌いと苦手には大きな違いがあって、好きなのに苦手なの?という話になるが、苦手は苦手なのだ。この苦手って、マイナスな言葉だけれど、そうとしか言いようがないな〜と思っている。

どんなに仲が良くても、本当に考えていることがわからない。そして、私は心から本当に困っていること、どうしようもないことを人に話すことがとてもじゃないけど、できないこと。それを思わずこぼしてしまった時、相手がどう思うのだろうと考えると、そんなことは怖くてどうしようもない。それでも、こんな私と友達でいてくれたり、話し相手としていてくれる友人たちには感謝しかない。

 

私の知り合いの人で、かなり年上の面倒見のいいお兄さんがいる。きっかけとしては、大学院生の頃、教授の友人として紹介されたことだった。そのお兄さんは、二人組のユニットとして活動をしていて、その二人ともが独特で変わった人たちだった。

出会い頭、そのお兄さん(以下坊主とする)は、離婚調停中だった。そんなことある?と思ったが、展示搬入手伝い後の食事、何なら打ち上げですよ!みたいな空気感の中で、坊主は「ちょっと異性の考えを聞いてみたいんだけど」と、相談をしてきた。学生に離婚のことを相談すな〜。坊主から事情を伺い、一応私はこう思いますよ、を伝えて、彼は、そういう考え方ね!?みたいに目から鱗だわとか何とか言っていて、いや、そこじゃない…?と私はものすごく思ったのを覚えている。

展示搬出で再会したら、その坊主は離婚していた。スピード感。F1並の速さじゃん…。でも、そういうことって他人がどうこう言うことでもないし、あまりの速さに私はただただ驚いているだけだった。

その坊主だが、この出会い以降、何かあると連絡をしてくれるようになった。

手伝ってほしいことがある時、インスタグラムの投稿を見て何か思った時、用事はないけど近くにいるから飯行こうぜと誘ってくれる時、などなど。よくわからないけど、面倒を見てくれるお兄さんが一人増えたような気がした。

この人は、私の思うことや話すことをくだらないと一蹴するようなことがない。

二人組のユニットで作家活動をしていると言ったが、片割れ(以下イケメン)の人も同じである。イケメンはとにかく何を考えているかわからない、飲むとひょうきんになり、ただ、かなり小狡い人間であると私は判断している。実際、めちゃくちゃ頭がいい。要領がいいに近いだろうか。この坊主とイケメン、友達みたいなメッセージを送ってきてくれる。でも、年下だからどうといったように私を扱うことがなくて、それに甘えているのは私の方なのだと思う。

 

よくわからないけど、住んでいる圏内が一番近いということで、イケメンが結婚する際、共通の知り合いは坊主しかいないというのに結婚式に招待された。コロナ禍であるので、仕方のなないことと、多分大学院の研究室代表みたいな感じだろう。

この結婚式、私はアウェー前提だったので、どうなることかと思ったが、二人の大学生時代の同級生の人たちのテーブルに混ぜられていたのと、坊主の隣だったのでかなり安心した。人見知りはないので、同じテーブルの人たちと色々を話しつつ、ただ、私と坊主には歳の差がかなりあったため、どういう関係!?と疑われた。何もない。強いて言うなら、本当に知り合いというか親戚のお兄ちゃんと小娘みたいな…周りの人たちは納得していた。だからそういう距離感ね〜はいはい、みたいな。

この、坊主が前に一緒にご飯に行った時に言った。「俺は人のこと好きだけど苦手だから」聞いた瞬間、またこの人は…と呆れた気持ちになったが、今ならわかる。

 

坊主の場合と、私の場合では異なるだろう。

でも、坊主は誰かと一緒にいることを選んで、それがうまくいかなくて、一緒にいないことを選んだ人なのだと思う。そこにあった、人と一緒にいること、は彼にとって、好きだけど苦手だと思わせる「何か」があったのだ。私に知る由もないことである。

その苦手さと、私の苦手さの根底にあるものは、きっと一緒にいることを選んだか選んでいないかの違いがきっとある。私は、誰かと一緒にいることをずっとではなくて、タイミングが合ったら、という選び方を今はしている。タイミングが合って、それで一緒にいて、楽しくなったり、不安になったり、そうして感じる一緒にいたいのに、自分が折り合いを見つけられなかったりする。自分、人は好きだけど、得意じゃないんだよな、と思う。

坊主は、一緒にいることを選んだ。選んだうえで、成り立つ契約条件みたいなものがあって、それが噛み合わなくなって、一緒にいることをやめてしまった。彼は、向いていないのだと思ったのだと思う。それが、苦手さの根底。

 

自分を守ること。

いけるかもしれない、大丈夫かもしれない。そういう自分の判断は、大体信じられないものになった。だって、今も大丈夫ではないし。だから、いけないかも。大丈夫じゃないかも。そう思うことは、とても大切なのだ。

ネガティブな言葉に見えるだろうな、と書きながら思っている。でも、これはかなり私にとってはポジティブな考え方だ。今まで、いろんなことに大丈夫!とたくさん言ってきた。友達にも、親にも、自分にも。でも、大丈夫じゃないよ!って言ってもいいんだ。その発見って、それこそ私にとっては目から鱗のことだった。人は好きだけど、苦手。自分を守らなきゃ、と思う時、大体私は色んなものから勝手に何かを感じ取って、勝手に不安になっている。絶対に人のせいじゃない。でも、だからって、自分を守らなくていいなんてことは、ないのだから。

 

今日は今日とて、やるべきことを昼間から動き回って済ませてきた。

明後日は久々の出勤。それも不安で今からどうしたもんか〜と思っているけれど、行ってしまえば全ては払拭される。

今日もちゃんと眠れますように。明日は少しでもいいことがありますように。自分のことをちゃんと守ってあげられますように。祈るような気持ちで、夕食の支度をする。

 

母親とその友達と旅行に行った話

ナチュラルに昨日、お日記を書けずにいました。人間なんでね〜。

 

で、今日のお日記の話だが、先々月のことである。

休職中、関西の実家に一度帰ることになり、帰省をした。関東から地元までがかなり遠いことを忘れていて、新幹線すげ〜時間かかる〜と思いながら帰った。一番最寄りの駅は、乗り換えると三十分に一本しか運行していないので、その乗り換え前の駅でいつも母か父に迎えに来てもらう。

両親には、病気になったことや休職になったことを黙っていようかと思っていた。けれど、そのタイミングで、幼い頃から、母の口から名前をよく聞いていた友人が亡くなったという連絡があり、コロナ禍ということもあって親族のみのお葬式で終わっているから、お線香だけでも上げに行きたいとメッセージには書いてあった。

母は、会えるうちに会いたい人に会うべきだとも書いていて、それは本当にそうだなと思った。

その友人の人は、関東に住んでいる人だ。それなら、私の家を経由して行けばいいんじゃないか?と考えた私は、帰省する旨と、自分の色々のことを伝えたうえで、提案をした。

じゃあ、こうしようとなったのが、関西から私の家に戻るのを、間にどこかで一泊をして、それから母の友人の元に行き、もう一度私の家に帰る。この私の家に帰る、というのが私にとっては苦難となってしまうのだが、それはさておき。

 

じゃあ帰ります。と、駅に着くと父が迎えに来ていた。父はたまにこの日記にも出てきているが、喫煙者だ。「もう煙草は吸ってへんのやろ?」と、私が車に乗ると吸っていたそれを灰皿に押し付け、静かにどうなんや、と事情を聞いてくれた。父とはあんまり芯を食ったような話をしない。私の話を聞き終えた父が、小さな声で「帰ってきたらどうや」と言った。初めて聞いた、父のあまりにも弱々しく、柔らかい声。多分ずっと、父がそう思っているのだと思って、どきりとした。

でも、それは無理だなと、思った。曖昧に濁した私を、きっと父は残念に思ったことだろう。妙な空気だった。片道車で十五分ほどの帰路が、ほんの少しだけ息苦しかった。

 

それから、日にちはあれよあれよと進み、母との旅行の日がやって来た。予定をよくよく聞くと、この旅行には、母の友人が同行することになっていた。私はあまり人見知りをしないので、何ということはないのだけれど、初めて会う人、それも母の友人と旅行か〜変なの。と思いながらその日を迎えた。

一言で言うと、その母の友人はとても可愛らしい面白い人だった。大らかで柔らかい、関西人にしてはあまりえげつないなと思うような雰囲気の人ではなくて、少し天然で、子どもみたいな可愛い人だった。

私はその日豹柄のワンピースを着ていたのだけれど、下品じゃなくて可愛いわあと褒めてくれた。よくよく聞けば、その母の友人はアパレル関係の仕事を元々はしていて、その昔は読者モデルをやっていたらしい。そんな人友達にいたんだ!?私は母のことをあまり知らない。

昼は、中間地点の辺りで蕎麦を食べることになっていた。蕎麦屋は静かで、私、母、母の友人、それから私たちの後に一組の夫婦がやって来た。私たちは呑気に色々と話していたのだが、その夫婦の男性がすっと立ち上がったかと思うと、「ちょっと静かにしてくれへんか」と言ってきた。すみません、と謝ったものの、沈黙の大人三人。

いつもより、なんとなく嫌な感じがした。自分に非があるなと思う時、私はそういった感覚を受け付けないし、恥ずかしい気持ちになる。私たちが悪いのもそうだけれど、マスクもつけていたし、でもきっと、女三人で、彼の目から見て一番若い私の見た目が良くなかったんだろうなと思うような、これが男三人ならあの人はきっと何も言わなかったんだろうと、なんとなく思うような。蕎麦の味、見事にどっかにいった。くそーと思った。久々に。

 

それから最悪なことに、寒暖差アレルギー持ちの私は、その日は最終的にずっと鼻水がずるずるだった。母の友人はそれをしきりに心配してくれていて、それ用の薬を私が持ってくるのを忘れてしまっていたので、ものすごく心配をかけた。

宿に着き、母は母できっと話したいことがあるだろうと私は近くを散歩することにした。平日ということもあり、人は少なく(というかほぼおらず)お土産屋さんの人に挨拶をされるも、奇妙な顔で見られた。自覚はあるので……ゆっくりと散歩をしながら、部屋に戻った。会話にはまあ入らんでもええやろ、と耳に挟みつつ、私は本を読んで適当に時間を過ごした。

二人の話は最近の家のことから、何から何まで。私があまり聞いたことのない母の本音がぼろぼろ出ていて、あんまり聞かないようにしていても、あ〜こりゃこりゃと思うようなこともあり。でも、母が何かをどう思っているかなんて知らないから、友人といるとこんな話をするんだなと思った。

 

母の友人と二人きりになることもあった。私があまり昔の話を聞かないからと伝えると、色々話してくれた。二人で鎌倉に遊びに行ったこと。どこかに遊びに行った時、ホテルの対応があまりにも悪いから、母の姉の家に押しかけたこと。電車に乗ればよかったのに、なぜか徒歩で山を越えたこと。私と変わらないような、どこにでもありそうで、若い頃の母の話。どれもこれも、初めて聞くことばかりで、母の友人が話してくれるのを、母はたまに説明の補足をしたりしつつ、でも自分ではあまり話さなかった。照れてんのかいな。こっちまで落ち着かね〜。と、思いながらバイキングでもりもり食べた。

 

母の友人は、パートナーの人が単身赴任中で、基本的にずっと海外にいるらしい。それに着いていくこともあったが、今は別々で暮らしているのだそうだ。めちゃくちゃおもしろい写真あんねん。と、見せてくれた写真は、パートナーであるその人がどこの国だったか忘れてしまったけれど、パーティーでその国の正装をすることになり、(確かシンガポールか中東系のどこか)その姿が現地人みたいで笑えるというものだった。そもそも、その人のパートナーも初めて見ることになったのだが、写真を見て私はめちゃくちゃ笑った。髭、体格、全てがフィットしていた。いるんだよな、たまにこういう人。

知らない人の写真を見て笑っている自分も変だなと思ったけれど、楽しい時間だった。

 

翌日、友人宅に向かう二人を見送り、私はさすがに弔問にはいかがなものかという服を着ていたので、一緒に来たら?の提案を断って、また知らない土地の近所を散歩することにした。何の話をしていたのかはわからない。母が何を思ったのか、母の友人が何を思ったのか。でも、友人が亡くなってしまう悲しさは、私にでもわかる。きっと、大きな穴が空いた気持ちになる。

去年の夏、私も友人が亡くなった。こんなに早い別れがあるのだと、妙な心地で彼女の地元の土地に立ち、知らない駅で、知らない人たちに囲まれて、どうしていなくなってしまったのかもわからないまま、そこにいた。実感など、わくはずもない。記憶の中より大人びた顔、でも私の知っている彼女。ただ、そこにはもういない。

 

母の友人は、そこの最寄りの駅でお別れの予定だった。乗りたかった電車には間に合わず、でも大らかなその人は「帰れたらええねん」と笑い、「丸いちゃんがはよ元気になれますように。またおばちゃんとあそぼな!」と駅へと走って行った。

 

妙な二日間だった。普通に多分私は疲れていたし、そのあと、私は結構散々な精神状態に陥り、母と妙な感じになったりするのだが。それに関しては申し訳なさと、でももう許してくれよ〜という気持ちがある。半々。割と前者への申し訳なさが勝つ。最低だなと思うことも言った。でも、自分を守れるのが自分しかいないのも本当で、最後はめいっぱいきちんと甘えて、お礼を言った。お礼と謝罪しかできなくていつもごめん。

 

この旅行、良かったか悪かったかはわからない。でも、母が私に旅行に行こうと言ってくれた気持ちは大切にしたいものだったし、私はなんとなく、その日のことを忘れないのだろうと思っている。

 

友達の話



今日は何のお日記にするかねえ…と思いながら、前にも記事に書いた手紙を整理していたらギャルからの定形外サイズ手紙を読むことになった。そのギャルであるが、私の大学生時代の同期である。

 

初めて会ったのは、大学の研究室。一年生の頃、実習は分野に分かれておらず、一年生用の研究室が実習室の隣にあった。画集やら、物品やら、制作に必要な物品などの貸し出しがされていて、私は当時の助手さんと話をするのが好きで、用事がなくても研究室に行くことがよくあった。

助手さんに呼び出されることもあった。別に、その人自身に何かしらの用事があるわけでもなく、実習室で制作をしていると「暇やから来い」と言われ、暇やから!?こっちは制作をしているが!?と思って、断っても、「おい早く!」と言われ、結局私が根負けして研究室に行くことが度々あった。

「なんか話してて」なんか!?これやから関西人は…自分のことも棚に上げて、他愛のない話をしたり、研究室にあるパソコンで作家の映像作品を見たり、DVDを見たり、色々した気がする。

一番笑ったのは、友人たちと「どっか旅行行きてえなあ〜」と言っていたら、連れてったるでとサムズアップした助手さんがグーグルアースで海外の土地を巡り始めた時だった。みんなでピラミッドを見に行った。何の時間やねん。

 

そんな研究室だが、そこで私はギャルとファーストコンタクトを取ることになる。

ギャルは、一年生の担当の教授(私の恩師となる人だ)と、その助手さんのことをあだ名で呼んでいた。つえ〜…入学当初からキンキンの金髪だった彼女はいつも化粧がバッチリで、作業着がニッカポッカだった。こえ〜。自分では仲良くなることはまあないかもな…と思いつつ、用事があって研究室に行くと、あとからギャルがやってきた。

ギャルはアイス片手に現れ、ウオ!となっている私を横目に、助手さんが「お前ら地元近いんやで」と教えてくれた。どちら出身ですか?と多分敬語だった私に対して、彼女はガリガリくんを握りながら、出身地を答え、私も答えると「ヤバいとこやん!」と言ってきた。ヤバくない。

色々話をしていたら、ギャルがアイスを差し出してきた。「食べる?」この人いい人かもしれん…。当時、私はかなり人への信頼度のハードルが低かった。ギャルという見た目に相反した優しさにあっさり手のひらを返したのである。

 

それから、分野は違えど交流が始まるようになった。見た目こそ派手ではあるものの、彼女はとても慎重で、人との距離感の取り方がとても上手で、普段の生活も純真で真っ直ぐな人だった。何かにつけてある飲み会には、現れる確率は五分五分。こういう時、ウェ〜イ!というノリでやって来るのかと思いきや、お酒も飲めない。煙草も吸わない。人を見た目で判断してはならない。大学に入ってから学んだことの一つでもあるが、彼女の存在はとても大きかったように思う。

そして、誰よりも真面目だった。言葉遣いはメールのやり取りをしても、文字を見ても、あ〜この時代のギャル!という感じで、難しい言葉は並んでいない。でも、とにかく真面目で、実直な嘘のない言葉が多かった。その真面目さに、私はちゃんとまっすぐ応えるべきなんだと思っていた。悩んでいること、思うことに対して、私はこう思うよとか、そういうことをきちんと伝えるようになった。

 

ギャルはよく私に対して「丸いって賢い」と言ってくれるようになった。別にそんなことはない。今でもめちゃくちゃ思っている。先生みたいやし、バカな私でも丸いの言うことわかるもん、と言う。私は、彼女がバカだと思ったことは一度もない。バカやからさあ、とよく言っていたのを覚えている。その度に、んなことねーわ、と思って、ギャルはバカじゃない。なぜならこうだし、こうだから…と説明をした。

そんな彼女が、二十歳の成人の時にくれた手紙があった。

色紙二枚分くらいの大きいかためのボードに、絵と彼女の手紙がしたためられたものである。もらった瞬間、でっか〜!と笑ったのを覚えている。ギャルは恥ずかしいから絶対家で読んでなと言っていた。私もその恥ずかしさは知っているので、家に帰って読んだ。

 

そこには、その当時の私に対しての色々と、彼女が考える「友達」についてのことが書かれていた。

友達って言葉あるけど、私は正直よくわからへんのよな。どこからが友達で、どこからがそうじゃないんかはわからへんし、わかってもたらもったいない気がする。やから、はっきり丸いのことを友達!って私は言わへんけど、信頼はめっちゃしてる。丸いは、丸いやし。

ほらな〜ぜんぜん、バカじゃない。こんなに当たり前にある言葉に対して、真剣な気持ちがある。友達って何だろうな。彼女が人と良い距離感を保っている理由が、少しだけわかるような気がした。大切にしていたいのだ。きっと、この「友達」って名前をつけることのできる人たちを。

それ以来、私もなんとなく「友達」って何かなと思うようになった。使いやすいから、友人、とか友達、とかそういう言葉を使うけれど、自分の中できっと、どこかでこの人は友達、そうじゃない知り合い、と区切りをつけているはずなのだ。この曖昧さは、私にとっても大切なことなのだろうと思ったからだ。

 

彼女は、今でも何か悩んでいることがあると「話聞いてほしい」と連絡をしてくれる。これ知ってる?とか、こういうの知りたいんやけど〜とメッセージが届く。私も唯一特技として言えるだろう記憶力をフル総動員させて、答える。力になれているとはあまり思わないから、お礼を言われたりすると私は携帯の前でちょっと泣きそうになる。

先に仕事で関東に来ていたギャルは、私が関東に引っ越すことになって、待ち合わせの駅で久しぶりに会った瞬間「丸いがおるとか最高!めっちゃ無敵やわ!」と言った。何だそれ、と思ってツッコんだけれど、私はその時も泣きそうだったのを覚えている。

彼女の中で、「友達」という言葉がどう落とし込まれているのかはわからない。けれど、私が友達じゃなくても、それでいいか、と思わされるのだ。

 

来月、会う約束をしている。本当は今月会う予定だったのだけれど、私が色々と体力諸々を奪われているので、お願いして来月にしてもらった。

会った時に聞いてみようかな、と思っている。昔、友達って言ってたけど、それって今どんな感じ?多分、ギャルは何でそんなこと覚えているんだと困った顔をするのが何となく想像がついている。

 

床に物を置く話

 

昨日ラジオ体操をした話を書いた。

いやいや、ラジオ体操よ、ラジオ体操。と思っていたにも関わらず、膝、太もも裏が筋肉痛になった。ラジオ体操、すげ〜。そして耐久力のない私の身体、すげ〜。今日も起きてとりあえずやった。動くと目が覚める。案外いいのかもね…ていうか絶対いいのかもね…と息を切らした今朝である。

 

今月、日記にも書いた幼馴染が関東に遊びに来ることになった。私は二ヶ月間の休職期間があったため、お金のかかることは難しいです。と正直に述べたところ、そんならここ行きたいから、ここ行こ〜と誘われた。そこならいっすよ!と意気揚々と返事をしたが病院の予約が入っていたのを忘れていた。基本的に忘れがちな、この通院の記録。でもまあ、相手はのくまちゃんなので問題なし。

 

じゃああとは問題があるとすれば家の中の環境の話である。

私は基本的に部屋の片付けが得意ではない。得意ではないというか、サボりがちになるというか。人を招待する状態ではないのが基本である。毎日掃除している人、えらいな〜とか、机の上が綺麗な人えらいな〜と思っている。

私の机の上は雑然としている。ありとあらゆるものがとっ散らかっている。爪切り、耳かき、鏡、郵便物、薬、PC、その他諸々。人が来る時にしか机の上は綺麗にならない。

そこもそうだが、洗濯物も問題である。

洗濯機を回すこととかは問題がない。干すのも面倒だな〜とは思うが、まあ干せないほどじゃない。問題は取り込んだあとの話になる。洗濯物を取り込んだあと、それを畳んで衣装ケースに入れなければならない。それが問題である。

洗濯物は取り込むと床に放置される。

衣装ケースは口を開けたままの状態が多い。棚を閉じろ。と、思う時は閉める。大体開いている。

 

とある漫画を読んでいたら、主人公の男の子が言った。「極力床に物を置かないでください」胸に豪速球のフォアボールを食らった。あ〜そうね、そう、床に物を置かないね〜。その言葉は効き目があった。洗濯物を床に置くたび、彼の言葉が頭を過る。「床に物を置かないでください」ハイ…。

ついさっき、洗濯物を畳んでハンガーなども片付けて、床に物がない状態になった。しかし、まだある。

私の住んでいるマンションはとにかく広告が投入される。

その広告の山である。入っているのを確認した瞬間にゴミ箱にシュートを決めればいいのだろうが、なぜかそれができない。ゴミ箱がさ、割といつもいっぱいいっぱいなんだよね。もう一人の自分が言い訳をしている。もう本当、生活に向いてないね!と自分に思うことがあまりに多すぎるのだけれど、「床に物を置かないでください」マンガの主人公である男子高校生の言葉が頭をリフレインする。

この記事を書き終わったら、片付ける。片付けますとも、ええ。

 

床に物を置かない。もうしばらくこの言葉は、私の生活の核になりそうである。