やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

忘れることの話

 

所属している部署の人員がコロナ増加で半数出勤となり、私は色々を鑑みてお休みになった。今週暇ってコト…!?かなり嬉しいような、何のような。私はPCR検査を先週受けて、陰性だったので問題ない健康体である。

 

さて、今日は何をお日記ににしようかな〜と思ったところで、今日は今日で色々あった。元々の職場復帰の条件として、月・火は休みで、昨日は心身共に疲れ切っていたため自主自宅待機。

今日は色々やることをやるか〜と、職場に連絡をすると決めていたことをやり、そのあと寝起きにひとまずラジオ体操をした。出展したイベントのお隣の方が鍼灸師の方で、私があまりにも待機中に肩を揉んでいたため、お声掛けいただいたことがきっかけである。本当に専門家ということもあって、ライフハック!?と思うレベルでお話を聞かせてもらい、原稿人ならではのこうするといいですよ〜から、ラジオ体操でもいっちょやりますか!になった。

結果、散々である。

かなり久しぶりにラジオ体操をしたこともあり、こういう動作があったなあ…というピアノの音に合わせて動いていたのだが、動作に追いついていない自分がいた。「ピアノの音をよく聞いて〜!」PCから聴こえてきた声に、アア〜!!!と情けない叫びが出た。聞く余裕もあらへん!普段使っていない筋肉が動いているのを感じた。

最後の深呼吸ではもう息も絶え絶えだ。ラジオ体操パネエ〜。明日もやろ…と決めた。

 

それからお昼ご飯を食べて、書類手続きのために病院に行った。ついでにイベント後のお会計も振り込んで…と思って、全てが病院の一駅で済むな!と、意気揚々と向かった。

一人で行動をする時、大体細かいことを決めていない。電車も来たタイミングでいいし。とりあえずお金を振り込んでね〜とATMに行った。

このATM、つい一週間ほど前に利用している。硬貨振込できたよな!と思って行ったら不可であった。硬貨マークにバツ印なんてついてたか…?!認識の力が硬貨マークだけだった。

それでもとりあえず病院に行くか。と思って病院に行ったら、ちょうど午前と午後の診療の合間であった。うそ〜ん。あ〜じゃあ硬貨振込できる銀行を探して移動するよ…。一駅移動。

ようやく入金ができて、また病院の駅へ。ミスドに行ったるわい!となり、病院が開くまでドーナツを三つ食べた。めっちゃ食べんな…と思いつつ、時間をつぶして、いざ病院へ。

担当医師の記入が必要な書類で、受け取ったら先生の字があまりに汚すぎて、コレいけるんか!?の恐ろしさに震えた。あと、私のあまり説明を受けていない病名が記入されていて、そうだったん!?になった。言ってよ……と思ったが、自分の自覚症状があったため納得もした。

 

そして自宅最寄りの駅へ。

家を出る時、やるべきことは六つあった。職場への担当の人への連絡、病院へ行く、お金を口座に入金、水道代の支払い、薬局で日用品の購入と、郵便局での口座もろもろ手続き。

最寄りに着いた瞬間、後半三つが吹き飛んでいた。のに、気付いたのは家に着いてカバンを下ろしてからである。

支払い表がちらりと見えた。その瞬間、頭の中をやるべきことが三つよぎり、ラジオ体操をしていた時と同じように「アア〜〜!!」の声が出た。一人暮らしを始めてから、独り言が増えた自覚があるが、マジでもう声が出る、こういう時。

明日にします。夕方、優雅にコーヒーを飲んだ。美味しいな〜。色々できなかったですけど…悔恨はあれど、やったことは色々あったので、もう良いです。

 

この、色々忘れてしまうこと。

最近本当に増えてきた。日付とか、時間とか、細かい色々がわからなくなったり覚えられなくなったり、混同されていたり。

本当に不安で、これを逃したら…ということには過敏すぎるほどなのに、これくらいはね、という範囲が増えてきたのか、はたまた本当に忘れやすくなってきたのか、それがわからない。これってどうなんだろう、としばらく考えてみた。

 

もしかすると、心の中の容量がわかって、整理をしてくれているのかもしれない。あまり不安にならないように、怖いほどの圧迫感を感じないように。

忘れたくないことを忘れたら嫌だなと思うけれど、これはこれで、良い方向なのかもしれない。でもね〜下調べは大切にした方がいいよね。今度から出かける時はメモをして出ようと思う。

今日できなかったことは明日へ。

 

文字の話

昨日はお日記を書く元気を失い、即寝しました。よくわからないけど、久しぶりでもないのにイベントにど緊張をかまし、不安に塗れてりんかい線に乗っていたせいだろう。

何がそんなに私を不安にさせたのかは全くわからない。天気が良くてそれはとてもよかった。会場内を歩き回ったら汗が噴き出るほどでもあり、たまたま広い通路に面していたこともあって、前に並ぶ待機列から人が集まっている熱気を感じた。人間、多……である。

 

昔から、人の多いところに行くと帰る頃にはものすごい頭痛に見舞われるタイプの人間だった。情報量に驚いてるからなのか、田舎育ちだからなのか、とにかく人混みに出ると頭が痛くなってきて、グ…!となる。その反動で、今日は仕事が休みなのもいいことに、外には出れんよ…と一日家の中で過ごした。

帰ってきてから、冷蔵庫に閉まったつもりだった味噌汁が鍋のままコンロに乗っかっているのを見てちょっと泣いた。この季節、外に出しておくとダメになるやつだ。でもまあ、いけっしょ!と思ったので、さっき夜ご飯として食べたんだけど、ちょっとぬる…としていた。このぬる………いけてますか?お腹は痛くなってない。

 

そういうわけで、昨日はイベントに参加していたんだけれども、ありがたいことになのか、私がアホだからなのか、印刷部数は確実にミスをしていて、新刊は完売しました。自分にあまりにも自信がない人が多いから…とフォロワーさんに言われて、次はちゃんと刷った方がいいです、とも言われて、ハイ!!!!!になった。

一人でのブースお迎え…?出展…?というのもあって、買いに来ていただいた方には大体直接お渡しできたかなと思うのだが、ブログ読んでます!とか日記見てます!と言われて、ワ…ワァ…!になった。大の大人はよくちいかわになる。ありがとうございます。こんな感じで人間やっています…。

 

いろんな方にお会いして、まさかのご縁などもあったり、色々と驚かされること山の如しだったのだが、終わってよかった。と、イベント終了後、同じイベントと、合同開催していたイベントに出展していた友人たちとファミレスで無になった。ご飯食べるうちにモリモリ元気になって、次のイベントはどうするかねえ〜などと話した。

 

差し入れや、お手紙など。直接渡していただいたり、お声かけいただいたり、こんな人間に…?と本当にすぐモンスターになるので、ありがたさと恥ずかしさと自分の哀れさとで、どんなリアクションをしたかよく覚えていない。たぶん元気だったはず。

帰ってから、とりあえずお風呂に入って、手に入れた本たちを読み、あ〜!と思い、良いものの摂取をし、そしていただいたお手紙を読むことにした。

 

元々、私は人からもらう手紙がとても好きな人間だ。

プレゼントに挟まれているたった一言の手紙も捨てることができなかったり、メモ書きのようなそれも取っておいてしまう。これがもし、ワープロワープロとか言っちゃった、ワープロ世代でもないのに…PCなどで印刷された印字の文字なら、そうでもないのだろうと思う。

人の文字って、一つも同じ形をしているものがない。私は多分、それに人の気配を感じてしまって、捨てることができないのだ。

今までもらった手紙を保管する箱がある。入らないほどのサイズで書かれたものなどもあり、これはもう外に出しておくしかないんだけれど、そういう規格外サイズで渡してくる友人は本当に稀で、どうだったかなと確認したらどれもこれも大学同期のギャルからの手紙だった。定形外、好きな〜!!

まあ、そういうところも含めて、好きなんだけど。

 

私は、割とよくすぐに泣く人間である。人前ではそうでもない……こともないか。でも、多分人前で泣くより一人でいる時の方がよく泣く。嬉しくても泣くし、悲しくても泣くし、笑いすぎても泣く。怒ることはそうそうないが、怒りははち切れるところまでいくと、泣く。とにかく泣いてしまう。案の定、手紙を読みながら、泣いた。

内容については、その方からのお言葉ということもあって伏せさせていただくし、大切に取っておこうと思っているけれど、私は、ものを作って本当に良かったなと思った。私の伝えたかったことや、思っていたことがこういう風に誰かの手に渡ることがあるのだと思うと、私は私のために書いたものが、誰かの中に入ってくってこういうことか〜とあらためて、じんわりとした。

 

そして、とても綺麗な字だった。この字を書ける人は、この手紙を書いてくれたその人にしか書けない文字で、丸さで、かたさで。私は自分の書き文字があまり好きではないのもあって、人の書き文字をよく見てしまう。いいな、文字。

海外に行くと、必ず手紙を送り合う友人がいる。現地から届くナイスなデザインのポストカード。向こう側からの返事は、次どこかに行った時。遠くからやってきた紙一枚に、私は心が踊ってしかたがない。そうかそうか、とその場所にいた、その時のその人の言葉が、まるで地球で見る流れ星が何億光年も昔のものだったように、遠い時間を経て、やってきたのだと感慨深くなる。

私は絵の力も信じているけれど、言葉の力もとても信じている。この言葉の力の話についてはまたいずれ書こうと思っている。

 

今日の自分は、心が少しささくれだっていた。ちくちくと尖ったものが、自分の身体の中を刺激していて、どうにも何もできないな、と。でも、昨日見た景色、読んだもの、それらを思い出して心を丸くした。今もこうして、日記を書いて心をなんとか撫でているのである。

 

写真は日記とは何も関係ない、前の職場でよくわからない生き物のぬいぐるみを作るのが得意な子がいて、作って!!!お金払うから!!と言って作ってきてくれたぬいぐるみです。日記を書きながらこいつを握っていました。

 

アイドルの話

 

今は好きなグループの新譜が出たら、見る、聞く、という状態になっているのだが、私はとてもアイドルという職業の人たちが好きだ。

そもそも、発端は母がSMAPのことが大好きで、幼少期からいわゆるジャニーズ事務所さんにはとてもお世話になっている。幼稚園の頃の私は堂本光一くんと結婚したい!と常々言っていたらしい。今は普通に好きだが、結婚…とまではいかないな…と謎の心持ちだが、キンキさんと言えばファンのあしらい方が有名なお二人なので、光一くんも「誰がそんなもんできると思ってんの?」だろうな、と思う。

 

高校生の時、東方神起にハマった。そりゃもうなんかすごい勢いで。五人だった時のことで、追いかけているうちに三人のグループ脱退が決まり、最後の最後であった歌謡番組の収録で生の姿を見て最後になった。

それからは灰。何を好きになったらいいんだ…何を信じたら…そう思っているうちに二次元のオタクに戻り、またしばらく三次元を離れることになった。

 

そして、2015年。私はまた、アイドルにハマってしまう。

各方面で言っているし、好きな音楽の話でも書いたのだが、私はV6というグループに再会を果たす。制作もろもろで心が大変だった。そんな深夜のある日、20周年を迎えた六人が対談をするという番組がたまたまテレビでやっていた。

ぼんやりとそれを見ていたら、彼らが人気の全盛期だったといえるだろうバラエティをやっていた時のイメージと、まるで違う、大人になったその人たちがテレビに映っていた。

特に、その後完全なる人生の推しとなる森田さんの姿が印象に残った。

 

バラエティを見ていた時、森田さんはどちらかというとやんちゃで、もちろんその性格は端々で垣間見えることもあるのだが、見ていてドキドキハラハラする怖さがあった。好き勝手しているように見える、やんちゃなお兄さん。私はそんな森田さんが苦手だった。

でも、その番組で話す森田さんは、とても静かで、言葉を一つ一つ選ぶように、ゆっくりと話していた。こんな人だったっけ?彼が年齢を重ねたこともあるのだろうけれど、あまりの自分とのイメージの違いに、驚いてしまった。そして、妙に心が惹かれて仕方がなかった。

そして、メドレーを歌う曲はどれも私が知っている歌で、なぜか涙が出た。アイドルってこんなに人のこと応援してくれるんだっけ?すごい仕事だ。笑って。その歌詞が出てくる歌を聴いて、自分が受験期にこの曲が入ったアルバムをたくさん聴いていたのを思い出していた。

これを、懐かしさ補正、と私は呼んでいる。

懐かしさ補正だったのかもしれない。けれど、その瞬間、私には心を動かされる何かがあって、救われた、と思ったのだ。

 

何かにハマるオタクというのは、爆速である。

全てが秒で補完されていく。えげつないスポンジだ。色々調べたり、漁り始めたら、恐ろしいところだった。V6というジャンル。何より、私は音楽を好きでないと、アーティストに興味を持つことができないのだけれど、ライブ映像を見て、あまりの曲の幅広さに驚いて、そこも好きになっていく一因となった。

V6は実家みたいなものになった。

なんというか、いつ帰っても大丈夫な場所。彼らが何をしていても、どんな活動をしていても、六人が集まっている姿を見ると、不安になることなんて一つもなかった。むしろ、こういう大人になりたいなと思わせるような安心感と、それでいて、家族よりもきっと長く一緒にいるメンバーといると、子どものようにはしゃぐ人たち。見ているだけで、楽しくなる気持ち。いつでもそこにあって、いてくれる。そういう安心感だ。

 

そこから、私はKPOPに渡っていく。ここではいい思い出も、辛い思い出もたくさんある。なんというか、日本よりシビアな韓国の業界というのは、良くも悪くもアイドルという象徴の消費の回転がすごい世界だと思う。毎日入ってくる情報。毎日、目に入るリアルタイムの写真、ライブ、追いかけるだけで体のエネルギーがごっそりと持っていかれて、でもそれが新鮮で楽しかった。私も消費している側なのだなと思って、それがどうすることもできなくて、悲しいことも多かった。

そして、それに彼らも苦悩していたりする。もう耐えられない、と思った時にはV6に戻った。実家なので、帰ると安心する…とあたたかいお茶を飲んでいる気分になる。

でも、いずれにしても、私は彼らの存在に救われた、と本当に思うのだ。

 

大学院の頃、好きなものの話をしていて、どうしてアイドルを好きなのか、と教授に尋ねられた。どうして。見た目もそうだし、歌もそうだし、踊りもそうだし、魅力は上げ出すとキリがない。でも、この好きだと思う感覚は、別にアイドルに限った話ではない。誰かや何かに救われたと思うこと。心が楽になったこと。楽しかったこと。それが、私にとってはアイドルだったというだけのことで。

 

ご存知の方もいると思うけれど、V6は昨年解散することになった。

そのニュースを知った瞬間は、多分思考回路があまり働いてなかったのだと思う。ただ、人からそう尋ねられた時、涙が出た。こんなに好きなものになっていたのか、と思った時、終わりって来るんだな、と漠然とした終わりを実感した。

彼らは生身の人間だ。アニメやゲームと違って、生身で、人生があって、私みたいに生活がある。決められた道筋だけを進むことも、誰かに指示されることも、本当は許されることではない。でも、終わるんだ、と思った。

 

最後のコンサートは、最終日に現地に行くことは叶わなかったけれど、チケットを当てることができた。とってもいいので見て欲しい、と一緒にV6を好きになってくれた人たち二人と、私とでコンサートに行った。私は運が良くて、彼らを好きになってからのコンサートをきちんと生で見ることができている。生きているんだなあ、と思う。

好きな人たちは、とても楽しそうに歌って、踊っていた。しんみりとする瞬間ももちろんあったけど、でも、なんて綺麗な幕引きなんだろうと思った。懐かしい曲もたくさんしてくれたけれど、最新のアルバムもとても良くて、解散しようかという年のコンサートに、こんなに色んなものが見れるなんて、と胸がいっぱいになった。この人たちのことを好きになって本当に良かったと思えて、幸せだと心の底から思うような。

 

ちなみに、この最後のライブはAmazon primeでも配信中なので、とっても見てほしい。ジャニーズだからとか、おじさんじゃない?とかは抜きにして、音楽が好きな人たちにとてもおすすめしたいグループなので…良かったらね…ぜひ…

 

アイドルの光を浴びると、私はいつもちゃんと生きようと思う。

この人たちに恥じない自分でいたい。こんな人たちみたいな、大人になりたい。これはV6を見ていると思うことだけれど、人を幸せにする仕事をしているって、すごいなと思うのだ。

頑張っているアイドルを応援していると、時々胸が張り裂けそうになる。もうそんな頑張らないでくれ!とか、こんなところ見てらんね〜!とか、そういう消費をしている自分に嫌気がさしたりして、でも、本当に楽しそうにしている姿を見ると、良かったなあ、と思う。この忙しない気持ちを行き来して、私は彼らの光を浴びている。

好きな人たちが、好きなように生きていたらいいなと、思う。

アイドルを好きでいると、割り切れないことも起きたりするし、そんな綺麗事を!と思う人もきっといるのだろう。ただ、私は彼らが人間であることを知っているし、私の望んだ終わりでない、終わりを迎えてしまった人たちも知っている。

 

だからこそ、全てのアイドルよ、健やかであれ。心の底からそう思っている。

誰かのために生きても、君は君だし、笑っていてほしい。あ〜でっかい感情!と思う。今はここが最高に推しっす!というグループは特に思いつかないんだけど。

でもまたいつか、浴びに行きたいと思う。アイドルの光。

 

いくつになっても、ずっと好きだろうなと思うもののひとつだ。

作ることの話

天気が悪いなぁと思ったら台風か〜と思い、日曜日はイベントなので晴れるといいなと思う今日。

 

そう、今週末。明後日はイベントの日なのである。

そもそも、自分が初めてイベントに出て本を作ったのは…三…年前…今時間を反芻してアワ…となったのだが、二次創作ジャンルで、友人と合同誌としてイラスト本を作った。

その後も合同誌2冊目と、個人誌を1冊、そのジャンルでは作ることになって、熱量…!と自分の色々に驚いたものだった。当然ながら、何かを作るなんていうのは、美大で制作をしていること以来で、作ってんな〜と当たり前のような感想を抱いていた。

 

元々、自分は何か元になるもの、思考の対象になるもの、出来事がないとものが作れない人間だと思っていて、それは今もあまり変わらない。自分の中から出てきたものというより、何かを見たり、誰かと交わした言葉や見た風景、そういうものから自分なりの考え方のようなものが広がる。それってもう、自分のものではないの?と思われることもありそうだけれど、私の中では混ざり合ってできた自分、みたいな感覚が強くて、これが自分ひとりのもの、と思うことがあまりできない。

 

大学生の頃、何も作っていない、もしくは作れなくなった自分は存在価値がないと思っていた。何だろうね、あの恐ろしい思考回路はね…。と、今になって思うものの、それは今もあまり変わらない気がしている。

仕事に行って、帰ってきて、生活のことをして、これでいいのか?の大きな疑問。私の中に培われてしまった、何もしていない自分に存在価値がない、の観念は根強い。この、根っこ、次また春が来たら花が満開になるわ〜の気持ち。

 

自分に存在価値がないような気がしたのは、この輪の中にいたい、この人と話ができる人間でいたい。そういう場所や人への憧れが強かったのだろう。特に、美術なんて界隈は狭い世界で、人との繋がりが何かを結ぶ瞬間は多くある。そこから離れたくない、見放されたくはない。そういう感情。多分、この感情がある以上、なんとなく私は義務感から作品を使ってしまいそうで、そうなってしまった人は、作家にはなれないだろうな、とぼんやりと大学院生半ばくらいから思っていた。

それくらいから、じゃあ、好きに作るか。に、意識がシフトしていった。自分が「いい」と感じたものをアウトプットすることで、人との違いを感じることとか、そういう輪の中に同じ思考でいられないことが怖かった。でも、結局自分が「いい」を信じられなかったり、自分が自分の作るものに驚くことができなくなったら、作る意味なんてきっとない。

そう思うと、制作はかなり楽になった。

えらい時間かかったな。という話である。昔から、お世話になっていた助手さん(今でもかなり感謝しているし、私にオシャレである観念を植え付けた恐ろしい人だ)には、嘘をつくなとずっと言われていた。嘘、ついてんのかなあ。半信半疑だったけど、まあ大体自分は嘘をついてものを作っていたのだろう。

話すのにいちいち緊張していた教授や、助手さんのような年上の人たちは、気のいいおじさんとお兄さんになった。なんだ、作品作らなくても普通なんだー。今でもまだ緊張することもあるものの、連絡をするのも話すのも気楽になった。そもそも、相手は人間だった。忘れてた。

 

そうこうしているうちに、自分でファンアートを描いたり、イラストを描いたり、本を出したり、話を描くようになった。

作ることは、大体根本が一緒だなと感じずにはいられない。

悩むこと、できることとやれることのギャップ。自分の思考の行き場、〆切前の狂い具合。体感として、やっぱりまともじゃいられないなと思う。

大学生の頃、友人が講評日近くの締め切り前にに、色んなことが重なって「ちょっと外走ってくる!」とアトリエを飛び出したことがある。私もかなりその時は追い詰められていたので、ほい。という感じで送り出したが、そのあと外から「ウワアアアアアアア!」みたいな断末魔が聞こえてきて、大爆笑をした。大声出してくるとか走ってくるとか、出だしがおかしい。笑っとる場合ちゃう。でも、多分私も疲れていたので、だいぶ元気が出た。人間は、追い詰められると何をするのかわからないの一端の話だ。

 

前回イベント参加したのは、コミティアだった。マンガを描きたかったけど、なんだか無理な気がして、どうしようと悩んだ結果小説にした。ずっと構想というか、書きたいと思っていたもので、それはある意味、私のために書いておきたいものだった。

「何か」に心を惹かれて、やめたくてもやめることができなくて、自分の正しさを疑ったり、誰かに損なわれてしまったり。それでも、誰かを好きになるみたいに、諦められない話。自分じゃ〜ん…とずっと思っていたけれど、話の中で動くキャラクターたちは、思わぬ方向に走ったり、感情を動かしたり、それぞれが生きてるなという人になってくれた。と、思っている。

なんか、書いて良かったな、と感じている。すごく。言葉にするのが難しいのだけれど、本当にそう思う。こういうの久しぶりだな…と制作していた時以来の妙な居心地があった。

 

今回は、とりあえずやってみなければということから、マンガを描いた。とりあえずマンガの定石などは無視をして、俺は描くんじゃ!!の意思を強くして描いた。拙いなりに、もうこれが限界で〜す!!と入稿して、体調を崩した。哀れ。エネルギーの放出は、ジワジワいきましょう。今後の学び。

作りたいとか、描きたいとか。なんでこんなにずっとこんな気持ちを抱えてるんだろうと思う。でもつまるところ、私はそれが好きで、やめられない人間なのだ。

 

こういう自分といつまで付き合うんかね、と今日も無配の絵を描きながら思っている。なんとなく、飽きることはない、と思う。自分に取れる手段が少しずつ増えてきた今だからこそ、やれることを、やってみたいのだろう。

 

やり始めたら、途中で終わらせたくない。今回出す本が、ぜんっぜん描きたいところを描けずに終わって、こんなん私が続き見たいわ!になっている。でも、文章で書く方が早いし伝えられること、私には多いんだよな。

理想と現実のギャップである。

 

 何はともあれ、イベントの日が曇りでもいいので、晴れるといいなと思っている。

食べることの話


あまりの顔色の悪さに退勤を命じられ、ヴァー!!と思いながら帰路に着いた本日。

どうにもこうにも身体が思ったようにいかないなと罪悪感に苛まれている。先生に罪悪感は感じなくていいんですよと言われているし、職場でも体調が悪い時はそれでいいと言われているけれど、なんだ、なんだこれはーーーーッ!!

天気が悪いのが良くない。大体のことは天気のせいにする。


さて、そんなこんなで顔色の悪さから退勤を命じられて帰宅した私なのだが、休憩時間にご飯を食べる元気がなくて、食べれないよ…になっていた夕食を食べることにした。ひとまず。

職場に復帰してから散々言われているのは、痩せたね!?という言葉で、私もそう思う。こわくて日常的に体重計に乗らなくなって長いのだが、七月に実家に帰った際におそるおそる乗った。

自分が史上最高に痩せていた時は大学二年生の頃のブラックなバイト先で働いていた成人式前後なのであるが、その時とあまり変わらなかった。むしろそれよりも少ない。

服を着ていてこれ…ということは…とやっぱり数字を見てゾッとしたので今頭の中で数字は「タイ…ジュウ…?」と体重の概念を知らないモンスターになっている。

病気をして痩せた祖母と数キロしか変わらないことも知り、祖母はしっかり体重が増えていてえらいな…と思った。


こんな感じでかなり体重に対しては痩せすぎていることに困っているのだが。私は食べることがとても好きだ。

この、「食べること」だが、私は今でこそ本当に好き嫌いがないのだけれど、幼少期は好き嫌いがとにかく多い人間だった。人参、レタス、きゅうり、玉ねぎ、なす、とうもろこし、魚、もうそれはありとあらゆるものが嫌いで、お寿司はいくらか鉄火巻きしか食べない、和食が嫌い、中華料理も嫌い。とにかくもう好き嫌いが多かった。母は多分苦労したと思う。

実際、私の人参嫌いは母に巧妙に細かくすり潰された人参が肉団子に練り込まれていたことを、幼稚園から帰ってきて暴露されて「あたし、人参たべたの!?」とショックを受けた。じゃあ大丈夫なのかも…。幼少期から割と平気かも…と思うと平気になれる性質だったのが幸いである。


私は実家のご飯を一番この世で美味しいものと考えている。本当に美味しい。人に食べてほしい。と思って、何回か友達を呼んだことがあるレベルだ。食ってくれ、私の家のご飯を!!気持ちだけは「わたくしのシェフの作る料理は逸品ですのよ」というお嬢様ムーブだ。

それから、家族で旅行に行くとなると、美味しいものを食べることを目的にしていることが多い。

母と父は、私と兄が家を出てから二人で何かを遠方に食べに行くことをしたりしていた。娘の私からすると、旅行の間、一時間に一度は口論になる二人が何か目的を持って片道数時間をかけてご飯を食べに行くことに驚いたのだが、そこにまた「食べること」のすごさを感じた。

私の知らない間に、美味しいものを食べた二人は、「こんなものを食べたんだよね」と、帰省すると報告してくれたり、旅の途中に連絡をくれる。私は大体食いっぱぐれることが多く、悔しい思いをするのだが、めいっぱいのイイネのきもちを込めて返信をしている。


小さい頃は好き嫌いが多かったせいで、「食べること」に対してあまり意識が向かなかった。けれど、今はなんでも食べれるようになって、その楽しさや幸せに気がついた。

大体の人は、私の体型を見てそんなに食べないだろうと判断をする。ところがどっこい、ご飯が美味しい家庭でふくふくと育った私は本当に良く食べる。

よく私と遊んでくれて、家に泊まらせてくれる友人宅では「これ多いからまるちゃんのぶん」と配膳の塩梅をしてくれる。そのたびに私はふふ、と笑いそうになるのだが、そのうえで「足りなかったら◯◯もあるからね」と言ってくれたりもする。人様の家のエンゲル係数を上げて帰る客人。

朝ごはん用にパンを買うと、それも大体笑われる。食いしん坊パンと彼女は呼ぶが、私の選ぶものが大体コロッケとかが挟まれているパンだからだ。わんぱくパンとも言われている。


でも、私は知っている。

自分のために料理をすること、食べることは、私にとっては必要最低限の生活のことでしかなくて、私が好きな「食べること」は、人と食べる食事のことなのだ。


自分のために作っていると好きなだけ食べれて最高!という気持ちで、いつでも何かが家にある状態にしている。でも、それは楽しいのかと聞かれると、人間の欲求を満たしているだけのことに近い。

人と、何でもない話をしながら食べたり、「美味しいね」とか、そういうことを言って、誰かとご飯を「食べること」が好きだ。

自分の作ったご飯を美味しいと感じられるのはしあわせなことだな、といつも炊き立てのご飯を食べていて思う。でも、でもなあ。

誰かが作ってくれたご飯の方が、美味しい。それがもし、一緒に作れて、食べられるものなら、もっともっと楽しくて、幸せだと知ってしまっている。


前は週末に作り置きを一気にするようにしていたが、今はもうたくさん作るのもなあ、とこの人が言うならそうよ、という気持ちで土井善晴先生の一汁一菜の考え方で生きている。味噌汁と、何か一品。野菜はたくさん。お米は水が濁らないまで綺麗に研ぐこと。それだけでも、体はちゃんと美味しいをインプットしてくれる。

そんな私の「食べること」は今日もほんの少しだけ寂しくて、美味しいものだった。


人間図鑑の話


お久しぶりです。

なんとか原稿を脱稿して、今週末のイベントには本が出せそうで安心しています。お日記、久しぶりに帰ってこれて嬉しい。

とはいえ、なんだかんだまだやらなければならないことが残っているような気がするので、やれるところまで頑張るか〜の気持ち。


と、この相反した体。

というのも、昨日は脱稿した嬉しさで何やかんや準備したりフォロワーさんとお話したり、元気にしていたのだが、本当にアドレナリンが出ているだけだったようで、今朝起きたら薬の副作用が起きた。久しぶりのそれに、ウワーッとなった私は前日の自分を悔いるも、時はすでに遅し。

めまい、吐き気、眠気。起きれるわけがなかった。今まで溜め込んできた疲れが解き放たれたのを感じた。


そもそも、自分は何かしら身体のどこかに不調のある人間なのに、どうしてこうもむちゃくちゃを…と思う。でも、体感としてはかなり元気になったはずで、というか割と元気になったと思うのだけれど、心と身体のちぐはぐさにまだ追いつけない。置いていくな、俺を…!!


元来、自分はとても自分のことを元気な人間だと思っていた。

元気、というより人といることが好きで、人に誘われるとどこにでも行きまーすというような、いわゆるフットワークの軽い人間。これは今でも変わらないのだけれど、私は人間のことが多分どちらかというと好きで、それは自分の中にある知らないものを知りたいという欲求に近い。

人間図鑑。パッと書くとかなり趣味の悪い文字面というか、ハンニバル・レクター感が増すのだが。私はそういう図鑑みたいなものを埋めていっているのだと思う。

そう感じている上で、相手も何かしらを思って私に声をかけてくれるなら、まあウィンウィンというか。


でもこれは、なぜか年齢を重ねれば重ねるほど、他人が自分には興味がないことを痛感するようになる。

本当に持ってくれている人もいる。そういう人は後生大事にしますという気持ちになるが、大人…が何かはわからないけど、払うべきお金をこんなに持っていくんですか?我から?と思うほどにむしり取られ、扶養ではなく自立した人間だろう、と判断された瞬間から、新しい「友達」という存在は作りにくくなり、人と人の間に薄い壁が立つ。


私は、多分この薄い壁に耐えられなかったのだろうと思う。建前、本音、こう話すべき場面、丸く丸く、角を立たせない。

責任とか、義務とか、やらなくてはならないこと。私の元気はいつの間にか自分を保つための外側になっていた。


こうして知らない間に沼にハマっていた私は、仕事の休みをもらって、いざ休みましょうとなると、何をしたらいいのかがわからなかった。本当に元気になるためのHPもゼロになっていたのだ。

初めて、人が怖いと思った。大勢の知らない人間の中に立つと、ウワ!と思うようになって、少しだけ知っている人の顔を思い浮かべると涙が出た。人間図鑑コンプを楽しんでいた自分が、こんなことになろうとは。


自分一人がいなくなったところで、社会は回る。それもまた実感した。職場に復帰すると、みんなしっかりしていて、私の出る幕なんてねーな…という気持ちで、前より仕事が楽になっていることに気がついた。それに、私が戻ってきたことを喜んでくれる人たちや声をかけてくれる人たちもいるけれど、それが薄い壁のどれくらいの厚さなのかも結局のところはわからない。

ただそういう言葉が口から出てくる人たちは、優しい人なんだなと思う。ありがたさもあるし、また怖いなと思う気持ちもある。


ある言葉で、「人格の形成は三歳までにできあがる」というものがある。

三歳までに何が!?と今になって三年の月日を思うと、そんなのは秒ですわよ、秒。と思うし、それが全てとは思わないけれど、でもこの性格で何十年も生きてきた。正直、これを違う方向に持って行くのはかなり難しい。

こういう考え方があるんだなに救われることはあっても、自分がそれを覚えているだけで、変わることはできないな、というのが私の正直なところだ。


丸々二ヶ月ほど仕事を休んで、元気をあるていど回復した私は、自分のことをそこそこ元気と思うようにしている。それでもまだ体調の管理に失敗することはあるし、人間図鑑は自分のページが一番多くて、一番埋めるのが大変なのを実感している。

元気になるためには体力がいる。

自分には多分HPゲージが二重にあって、一段階目のHPゲージが剥がれ落ちると、あとはHPがゼロになるまでの体力しかないのだと知った。


楽しいことだけ考えて生きていこうにも限界がある。正直。めちゃくちゃ暗い話だな…と思うけど、楽しいことをするためにはしんどいこともあって、それは半々の分量で人間の人生に与えられている。

ともあれ、これだけ自分は自分としてしんどいなあと思うようなことを経験したのだから、次は楽しいことが待っているんでしょう、とベッドに転がりながら、期待も半々。

久しぶりのお日記でした。


明日はいいことがあるといい。いいことがありすぎても怖いので、まあいいことの分量が少し勝つといいなくらいの気持ちで。


煙草の話

私は長い間喫煙者だった。

という過去形なのも、コロナ以降喘息を再発して以来禁煙をしているため、過去形になる。


昨今、煙草については嫌煙家の方も多く、受動喫煙の問題であったり、そういうことから自由に店内で吸うことのできる飲食店はかなり激減していると思う。

肩身の狭い思いをして、身体に良くなくて、どんどん値上がりのする煙草を吸い続けて、良いことなどあるんですか?と、聞かれたら、そうねえ…と私はきっと思案して返答してしまうだろう。


よくある質問に、「どうして吸うことにしたの?」という問いかけがある。私も何度かされたことがあるものだ。どうして。どうしてだったかなあ。

私が吸い始めたのは大学生になってからだ。その当時、学内には喫煙所が点在していて、そこにはお決まりの面々が揃っているのがいつものことだった。名前は知らないけど、喫煙所で見る人だ。そんな覚え方をしていた人もいる。

そこには独特なコミュニティが存在していた。分野も違えば、年齢も違っていて、ただ共通項としてあるのは「喫煙者であること」。

それのみの共通項のもと、集まる人たちは様々で、私よりもずっと年上であった教授陣がそこにいることも珍しくはなく、他愛もない会話や、そこのネットワークで知れる情報などがあった。


私の周りには、喫煙者が幼い頃から多かった。

まず、父、それから同居していた母方の祖母。祖母は一昨年病気をしてから喫煙者ではなくなった。でも、九十歳になるまでは吸っていた。どんだけ元気なおばあさんだ。

母はどちらかと言うと、嫌煙家である。そうなったのにも理由があって、兄が物心つく前に煙草の吸い殻を食べてしまうという事件があったらしい。

以来、父は室内で煙草を吸うことを禁じられ、基本的にはお手洗いか、外で吸うことになっていた。

父が禁煙をしていたこともある。私が大学を合格した時に、禁煙していたはずのそれが解禁された。なぜ解禁。そう思っていたら、「お前が合格するまで吸わへんって願掛けをしてた」と言われた。どんな願掛けやねん。

その願掛け妙じゃない?と思ったが、まあ、父なりの思いやり…でもないか。思うところあってのことだろう。ということにしている。


そうして大学に入ると、私が一番仲が良くなって、遊び相手になってくれた先輩が喫煙者だった。

私は兄と二人暮らしをしていたのだが、兄の大学に近いところに下宿をしていたため、遅くまで大学に残ったり、朝の講義に行くとなるとかなりの移動時間がかかった。先輩の家は大学まで徒歩十分ほどのところで、気づけば居候のようにその先輩の家に泊まることがしょっちゅうになった。

先輩は、大体朝起きてからと、夜ご飯を食べたあと、縁側のような場所で煙草を吸っていた。室内には音楽が大体流れていて、私は彼女の横でぼーっとしながら、大学のあれこれやいろんな話をするのが日常になっていた。そうこうしているうちに、制作に行き詰まったり考える時間が欲しくなったり、一人になりたくなった時、煙草を吸おう、と思った。


喫煙所には独特なコミュニティがあった。最初はそれが嫌で、なるべくそこには近付かず、一人でぼーっとできる時間に煙草を吸うようになった。

行きつけの大学近くの喫茶店も、店内で煙草を吸うことができて、そこに入り浸っていた私は、いつからか飲み会の席や、学内の喫煙所でも人の少ない時間帯はそこで吸うようになっていったのである。

もちろん、身体には良くない。

でも、人と何かを共有している気分になれたり、普段自分が関わることのない人と話すとことになる、そんな時間なのだなと、居候をしているような先輩の家でぼーっと二人で煙に巻かれるのが好きだった。


良かったところ。

それで、なんとなく話し相手が増えて、気の合う友達や後輩、先輩ができて、他分野の先生とも親しくなったり、自分の学科の先生とゆっくり話す時間が増えた。大体は共通の知り合いがいて、私は美大に通っていたので、展覧会などがあると喫煙所に行って先生にDMを配ったりしていた。不思議な縁である。


大学院生になると、研究室の先生が煙草を吸う人で、同期もそうだったため、研究室ではいつも煙が立ち上っていた。飲み物みたいなものだろうか。それを片手に、普段よりも少し多めに会話が重なっていく。

時間を取られているなあと思うこともあった。喫煙所で知り合いに会うと、しばらくそこを離れることができない。制作が忙しい時は喫煙所にはなるべく人のいない遅くの時間や、気配を伺って向かう。でも、会えると嬉しい人もたまにいたりして、これは何なんだろうな、と思っていた。自分はそこで知り合いが増えた人間だったので、良かったことなのだと思う。


バイト先もそうだった。

大学院生になり、初めてのバイト先は居酒屋だったのだけれど、私はラストまで働くことが多く、休憩時間に吸っていいぞ、と父とほぼ年齢の変わらない店長によく休憩をもらった。店長はヘビースモーカーだったが、私はそこまでだったので、あざーす!と言いつつ休憩に行かないこともあった。ただ、お店が閉店時間に近づくと「好きに飲んでええぞ」と言って、閉店後は二人でテレビを見ながら煙草を吸いながらビールを飲んだ。

店長は、私より少し下の娘がいる人で、ついつい面倒を見たくなるのだと話してくれたことがある。店長は離婚をしていて、独り身だったのもあるのか、私はよくその人に可愛がってもらっていた。熱のある日に出勤したら、異変を感じた店長におでこをくっつけて熱を測られる。そのレベルで父と娘のような感じだった。距離感どないなっとんねん、である。

私はおじさんという生き物にそこまで嫌悪感もなく、ましてや父と歳が近いともなると、こんなもんよなーと思うことが大半なのだ。

働いている時は口数が多く、おどけたような人が警戒心もなく、私のような小娘と他愛もない会話をのんびりとしている。その姿を見るのもとても好きだった。


最近は色々難しそうだな、と思う。嗜好品だし、百害あって一理なしの理論もよくわかるし。飲食店で吸うことも難しくなってきて、電子タバコはよくても紙タバコは駄目なお店もよく見かける。


でも、私は時々思い出す。

何を話すわけでもなく、煙がふわふわと浮かんで、夜の学校や誰かの家の中でベランダ、縁側、そうした場所でただぼうっと煙を吸い込んで、吐いて。考える間をつなぐような役割をしていたのかもしれない。そこから始まる、くだらなかったり、普段は聞けない言葉が落ちてきたり。それがとても心地よい距離感にあったような、そんな感覚を思うのだ。


今はめっきり、そんな機会もなくなった。

大学生特有のものだったのかもしれない。大人になればなるほど、交わす言葉は飾られたものが多くて、ただそこで休憩をしているだけ。

でも多分、何かが始まることを待っている人たちや、共有している何かがあると思っている人たちもいるんじゃないだろうか。とか。


煙草の匂いが染みついた人の香りを嗅ぐと、あー、と思う。依存だと言われたら、そうだろうけれど、そういう人にもきっと煙草を吸うことのきっかけがあって、その時間に思うことがある人もいるのだろうな、と。


とはいえ、嗜好品。難しいよなあ、色々。と、職場復帰をしてから、駐輪場の隣に移動してきた喫煙所の隣を通りながら、そんなことを思っている。