やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

今日は特大花丸の話

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気づいたら十月になっていた。

お日記怠惰である。いつぞやの毎日書きますよ!の気概はどこへやら、と思うものの、あの時は毎日何か一つのことが出来たという達成感が必要だった。

今は人間らしい生活を去年の夏よりもできているし、毎日何かをすることができている。目覚ましい進歩じゃないか、と思っている。

 

私の日々は犬がやって来たことによって一変した。前回の記事にも書いたが。何より生活が規則正しくなった。体重も増えた。実家に帰ってきて、やっとのことで半年かけて体重の増減が起きるようになったのだ。ただし、急激に数キロ増えたため、膝がキている。

へえ、急に太るってこういうことね…毎日しゃがむ度に軋む膝。もう年齢的に色々後戻りできない歳になってきた。怖いんだけど…という話を友人としたばかりである。

 

生活のルーティンは犬軸で動いている。犬の朝のお世話から始まり、夜まで時間割で犬タイムが入る。朝は大体寝ぼけていて、犬の茶碗を間違えたり、ドッグフードをぼろぼろこぼしたり、目がほぼ開いていないので、足元をうろつく犬とうっかり衝突したりする。

すまん…と思いつつ何か食べるものがないかと、朝食を食べる私に集ってくる犬をあしらいながらゆっくりと頭を起こしていくのだ。そして、二匹同時に散歩には行けないので、一匹ずつ散歩に出る。その後はコンビニ。

コンビニのおばさんと仲良くなった。世間話をする。今日はついに「今日もお仕事?」と聞かれてしまった。無職、と言うと無職じゃねえだろが!と色んな人に言われるので、詰まり詰まり「じ、自営業です」と何とか答えた。

ファミリーマートが一番の近所のコンビニで、私は呪術廻戦の夏油傑のカップを握り締めながら、今日もそうして朝の日課を終えたのだ。

 

そしてぼんやりとカフェラテを飲みながら、ああ、そうかと納得していた。

仕事を辞めてちょうど一年が経とうとしていた。

早いものだなと思った。この一年、何が変わったのかと聞かれたら答えられることはたくさんある。実家に帰って来たこと、新しく犬を飼い始めたこと、体重が増えたこと、その他にも初めてのこともたくさん経験した。

何より大きかったのは、自分が仕事を辞めて、漫画を描いていることだった。

まさかそっちにいくとはね、と自分でも驚いている。デザインも好きだったし、絵を描くことも好きだったし、小説を書くことも好きだったし、でも、まさかそこに漫画の選択肢が飛び込んでくるとは思わなかった。これも何かの縁ということなのだろう。

 

仕事を辞めて一ヶ月ほどした頃だ。思いがけず創作用の旧…Twitterアカウント…現X…謎の照れと不慣れ。まだXって呼べずにいるよ。恋人の呼び方を変えるタイミングをミスった人間みたいになっている。それはさておき、そちらのアカウントに掲載していたアドレスにメールが届いた。

夢か何かだと思って、一旦あっためて、冷静に自分の持っている漫画の奥付けを確認したり、痛い心臓を押さえつけるのに必死で、パニック状態だった。

そもそも、その頃は不安障害がひどかったのもあって、一日中頭の中のシナプスが弾けまくっていて、何をしていても落ち着かなくて、興奮と不安とで家の中をうろうろしていた。まだ何も始まってねえよ。今の私なら呆れてそう言うだろうが、その時は動物園のホッキョクグマよろしく、家の中を端から端まで落ち着きなく動き回っていた。

いのいちばんに相談した友人は、私の話を最初は冷静に聞いていてくれていた。が、私に自覚が無かったことが一番良くないのだと思う。上記の通り、私の頭の中は何かがかっぴらいた状態だった。

付き合いの長い友人である。一度も乱暴な言葉は使われたことはなかったのに、「うるさい!!」と初めて言われた。そこでようやく緊張が解けて、笑った。どんなだったんだろう。あんまり覚えていない。

 

とにかく、その時は怖かった。自分に自信も無かった時期であったし(それはごく稀に現在も沸き立ってくる感情だ)何もかもを素直に信じられなかった。私にこんなに都合のいい話が転がり込んできていいのだろうか、とか、私がはたしてそれほどまでの期待に応えられる人間だろうか。色んなことが頭を駆け巡って、頭の中がチカチカした。ちょっとだけ頭が痛かった気がする。

友人の助言と言葉もあって、落ち着きを取り戻して以降、牛歩ではあるが漫画を描く生活を続けている。ようやく自分のペースが掴めてきた。

それと同時に、もう一度自分が美大に通っていたような気持ちを取り戻しつつある。理想と現実の違い、この世に溢れるいいものの洪水、自分の文脈、言いたいこと、伝えたいこと、もどかしさ、悔しさ。

悔しさにいたっては、お前まだいたの!?私の中に!?と思うほどだ。結局私はまた「つくる」場所に戻ってきてしまった。あの頃よりほんの少し図太くなって。安心もした。私にはまだこの熱がある。ただ、泥のように眠ってばかりいた時が嘘のようにも思える。

まあ、こと睡眠に関しては最近また薬が効かなくなってきて困ったりなどもしていますが。

 

インプットとアウトプットも忙しい。学生の頃は、日々がインプットの嵐だった。外から受ける刺激がどんなところにもあったけれど、今は自分から捕まえにいかないと刺激はやってこない。恐ろしい話である。これに関しては鉄則が二つ。億劫になるな、腰を重くするな、である。

体力が保つかぎり、バランスを取りながら草むらに出る。出くわしたポケモンを片っ端から捕まえていくのだ。そうでもしないと、この歳じゃな!!クイックボールを投げまくっている。(出会い頭に投げるとポケモンを捕まえる確率の上がるボールである)

最近は、朝の犬タイムを終えて誰もいないリビングで、眠る犬二匹を傍に二時間未満の映画を観る活動をしている。二時間を超えると疲れてくるのと、耐えられないので、二時間未満がちょうどいい。そのおかげで、いいものをたくさん観れている。

観たい映画は、大体雰囲気とか内容とか、そういうもので決めている。気になってたな、とか。でも、結局好みということもあって、最近は似たようなカテゴリーに分類できそうなものが集まっているな、と思いながら観ていた。それらの多くは、人が家族であろうと、恋人であろうと分かり合えないこと。孤独であること、わからないことを描いている。

 

一年前の私は、つい最近までどうしようもない孤独に怯えていた。それが全員に均等に与えられたものとも知らず、自分だけ舟で旅に出たような気分になっていた。違うな、みんな孤独なんだ。わからなくていいんだ。自分のこともわかんないんだからさ。

こういう時、私は幸福だと思う。表現のできる場所に少なくとも立てていること。日記だってそうだ。誰に届くとも知らないが、私にとっては必要なアウトプットの場の一つだ。

 

こうして早かったような、遅かったような、そんな一年を過ごしてようやく、私は人に尋ねられるのだと思う。

「私はこんな感じですけど、あなたはどう?」

どうですかね。ちょっとずつならいける気がするんだけど。無理になったら、また無理だ〜で大の字になればいい話だ。一年間、閉じ込もらなかった自分を褒めてあげたい。よく頑張った。よく生活したよ。よく生きてた。友達には感謝して。まあ、家族にもね。特大花丸の一年じゃない?

そんなことを思った何もしない日だった。