やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

私のための話

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来週、というか日付的には今週金曜日。新しい犬を迎えることになった。

私が帰ってきてから、なんとなくもう一匹犬がいて欲しいような、母が毎日保護犬のサイトを見てはこの子が可愛いだのなんだのと見せてきていた。最初はヘエヘエと聞き流していたのだが、たまにびっくりするくらい可愛い子が転がり出てくる。

 

そりゃ、今飼ってる犬が一番可愛い。宇宙で一番可愛いと思っているし、どれだけ他の家の子が自分に懐いていて可愛くても、私はうちにいる、人がいないと不安で、リビングから一歩も出られなくて、それでも朝は尻尾を振れるだけの力で振って耳を寝かして、触ってくれと腕に手をかけてくるような、そんな愛犬が可愛くてたまらない。

私は、犬と一緒にいると時間を忘れる。小さい子どもを親たちが何時間でも眺めていられるね。そう言うのとよく似ている。すうすうと息をたてて、静かにゆっくり上下する胸や、時々夢を見ているのだろう。揺れ動く耳や足。

最たるは、そんな胸にそっと耳を当てるとき。心臓の音と、肺に息が入っていく音が私の鼓膜にやさしく届く。

ああ、この子は生きている。私は何度も安堵し、愛おしいという感情で満たされるのだ。

眠りにつくとき、このあたたかな生き物がそばにいてくれたら。どんなに心地よいだろうか。

 

あなたは今、心も身体も休める時期なのだと言われる。優しい友人、私の信頼する人たち。

でも、私は思うのだ。そうは言ってくれても、あなたは私よりきっと偉い。毎日仕事に行って、生活を送って、ご飯も作って食べて、お風呂に入って、ありとあらゆる生きるための生活を、自分で支えているはずなのだ。

そうやって生きている人たちのそばで、私が足を止めていていいのだろうかと思ってしまう。休んでいい。いつまで?病気が治るまで?治るのだろうか。実は、あなたが思っているよりも、私はずっとずっと私に甘い。そう思う。

私は、私のために生きることがずっと苦手だ。私を喜ばすことが一番難しく、人から貰う優しさや楽しさには双手を挙げて喜ぶくせに、私は私が「楽に生きる」ための方向へ、ただ楽しいということだけに自分を誘おうとする。最悪の道案内人であり、指針を示す航海士なのだ。

 

あなたは頑張っている。嬉しい言葉だけれど、それが今の私には、私を喜ばせるほどの行動がともなってはいない。本当に頑張っているのなら、今頃私はきっとやりたいと決めたこと、今仕事になるといいなと思っていることに死に物狂いになるように、手を離すまいと執着しているのではないだろうか。

私を、良い人だと思いすぎている。私は、そんなにもできた人間でも、嘘をつかない聖人でもない。

 

こんなことを言っていると、昨今では、自分が自分を愛さなきゃだめだとか、自分へ向けている愛情が他人に向けるものと同じ態度になるのだ(といった旨のツイートを先日見かけた)とか、そういう言葉に胸を刺されたり実際にナイフを持ってじりじり近づいてくる人もいるんだろう。ナイフといかないまでも、フォークスプーンくらいの。ちょっと刺さると痛いやつ。

でも、だって、私はそう思うのだ。思うくらいは許してほしい。許してほしいとも違う。そういう人もいるんだ、そう理解していてほしい。

卑屈。何を言っても無駄。そういうわけでもない。誰かの言葉に救われて、気持ちが一気に晴れることもある。

ただ、自分が自分に呆れと諦めと、狡猾さと、表面には出ない澱みが体の中を渦巻いている。

 

孤独だ。とてつもない、孤独。

友人がいても、家族がいても、満たされない一部。私のために隙間を残してある花壇のように。他は花が咲いて、実がみのっていたり、美しいのに。私が私のために育てるそこは、土が乾いて、何もない。種を蒔いたつもりでも、芽が埋まって土にかえっていくのだろう。

 

それでも、ため息をつきたくなるくらい、私は私を必要とされたいと、浅はかで、子どもがまわりの世界の注意を引くような、そんなみっともなさを持っている。私が、私をうまく必要とできないのなら、私はどうしても私以外からその空間を満たしていくしかない。私の優しさや行動は、エゴだ。愛されたい生き物の、遠吠えだ。

情けない。ひどい話だ。

私が犬を飼いたいのは、私を必要としてくれる優しい生き物がそばにいてほしいからだ。私なしでは辛いと泣くような、全身で私を愛していると教えてくれる。そして、何より私が、私の手で、何かを育てたい。責任を持ちたかった。社会ではてんでまるで役に立たない私。私が外と繋がっているために、間をつなぐ存在がいてほしいと思った。

 

譲渡会で子犬たちを見たとき、私にはほんの少しの後ろめたさがあった。この子たちを救いたいという気持ちより、私を救いたかった。今の愛犬ももちろん大切だ。愛している。なのに、私は私のエゴで、私のために、言葉を持たない生き物を選んで私を愛していると伝えてもらおうとしている。

 

ひどい人間だと思ってくれていい。誰にも言わず、ひっそりとその感情ひとつすら、抱えられない私を笑ってくれていい。

 

でも、せいいっぱいの気持ちで、私は私のそばにくるやわらかく、まるい命を愛するから。

私は私に、私のための愛を、疑わずにいてほしいのだ。