この一年の話
皆様、年末はいかがお過ごしでしょうか。
前回のお日記より二ヶ月が経過してしまいましたが、謝罪はひとまずおいて、二ヶ月間何とか生きておりましたよというご報告ということで…頼りがないのは元気な証拠!でもそれで本当に頼りがなくなってしまうと怖い話になってしまうこともある。とにかく元気です。
年度末というか、今月はとにかく体調というか精神面が不安定で(これもなんかいつものことのように思うものの、何年も前から薄々気づいていたが私は夏の方が元気らしい)ウニョウニョとした布団と半分一体化したような生活をしていたが、ここ三日かけて復活してきた。
でもやはり、家の中で常に誰かが何か話している状況というのはある意味で苦になることもあり、来年はその辺りの環境改善をしていきたいと思っている。
そんなこんなで、年度末をどう締めくくりますかね、と悩んだところ、せっかくなので日記でも書いて仕事納め、ならぬ自分納めをしようということにした。
仕事はある。あるというか…ずっとそうというか…去年の暮れからそういう状態にありがたいことになっている。関係者各位様、原稿で年末の仕事を納めることができず大変申し訳ございませんでした。来年はもっといっぱい描けるように頑張ります!
では、ひとまず自分納め、ということで。
【1月】
去年は12月に関東から実家へと帰省したこともあり、1月は知らない間に知らない制度が出来ていた実家になんとか慣れなければならなかった。
不思議なもので、実家も長く離れていると、知っているようで知らない土地になる。異国に入国したも同然で、家の中には私が出国していた間に新しい法律が作られていた。それらの多くは、母が定めたものがほとんどであった。
大体のことを「知ら〜〜〜〜〜〜ん」となった。しかし、私は入国者。あくまで他人が作り上げてきた生活の中に溶け込まなければならぬのだ…そういう心持ちで生活のルールに従うことにした。そして、その国が離れていた十数年の間に荒廃してきてしまったことを知った。全員の生活の時間軸が狂っていたのだ。
それをどうにかこうにか良い方向に持っていけないかと頭を悩ませた月だった。
多くの人が、んなもんほっとけばいいよ、と思うことなのかもしれない。もしくは、そんなことに振り回されている私が滑稽に見えるのかもしれなかった。けれど、私は私でこういう性格の人間である自分と付き合ってきてしまった。
そうなった以上、母が疲れている姿を見るのは耐えかねるものがあったのだ。まあ、そのあと結局おぬしも好きにせい、に振り切れるわけであるが。
写真は自室の部屋の一角。部屋は物置と化しており、何より私が腹を立てたのは家族の着ることもしねえであろう大量の服がスツールに入れて私の部屋に置いてあることである。
私の部屋だぞ!私の部屋にまではみだすようなもの、管理しきれてないんだから捨てろ!
鬼のような断捨離をした。多分捨ててはならないものも捨てたが、なんでも置いておきたがる妖怪たちを無視してありとあらゆるものを廃棄した。私はこの時多分、一生分の他人の何かを捨てたような気がする。
なんとか整理した部屋、結局残った衣装ケース数個、でも壁は私のもんだ!人からもらった作品や、好きなものを飾って異国に居住を作り上げた。
【2月】
何してたんだろう…
写真を見返しても、犬の写真が大半を占めており、その合間に人に会っていたような記録が残っていた。
去年は友人や先輩などが住む場所を変えることが多かった。私もそのうちの一人である。東から西へと私が移動したのと同じように、同じ方向へとやってきた人たちが周囲に多かった。そうなると、住む場所が変われば会う場所も変わる。会いやすくなったことで、足元が軽くなったようだった。
この写真は、京都に滞在制作に来ていた知り合いのお兄さん、そして前々職場で同僚であった友人と展示に見に行った時に購入したものだ。
ちょっと見に行きましょうよ、ぐらいのテンションだったのがいざ見に行ってみると、マティスの作品があまりにも良かった。
こういう美術館に行くと、他人と足並みを揃えて見るというのも大変で、大体会場に入ると散!!!!!という感じでバラバラに解散する。早く見終われば出口で待つか、もう一度自分の見たいところへ戻るか。逆もまた然り。
私はどちらかというと作品を見終わるのが早いタイプで、直感で良いと思ったところに戻ってじっくり見る、というタイプだ。まあ、タイプタイプと言っているがどんなタイプがいるかは細かく存じ上げませんが…あくまで私の場合は、である。
大きな美術館ということと、展示のメインがわかりやすいものというのもあり、その日はかなり人が多かった。あ〜この絵いいなあ、と足を止めた絵の前でじっくり眺めて踵を返した瞬間、一緒に来ていたお兄さんと激突しそうになった。なんならちょっと激突レベルではなく、顔を互いに引くぐらいの近さだった。
びっくりして思わず「ドラマなら今ので恋始まってんで」と言ったら、「やっすいドラマだなあ」と笑っていた。
ちなみに注釈しておくと、このお兄さんは私にしてみると親戚のお兄さんといったポジションの人である。友達みたいに話しかけてくるので、友達みたいに返すことにしている。そのあと、会話をするまでもなく、また解散。
美術館を出て、どの作品が良かった?という話題になった。
私たちが作品を一緒に見ていた時間はほぼなかったが、不思議と三人ともが良いと思った作品は一緒のものだった。
良いものって、いつどんな時に見ても良いってわかるんだな。そんなことに感動したのを覚えている。
作品めちゃくちゃ良かったな〜と言いつつ、私が買ったのはパウル・クレーの忘れっぽい天使であった。好きだからね。仕方ないよね。そんでなんでマイメロとクロミとコラボしてたんだろう…可愛いからいいけど。
【3月】
こんな調子で書いてたらいつ書き終わるんだ!?ちょっと短めにまとめていこう。
3月は大学からの友人の結婚式があった。久々に同期と集まり、私はマブと初めて二人で宿に泊まった。私が睡眠障害のおかげで全く寝ない(寝ることができない)ので、全然寝んやんけこいつと思わせていたらしい。マブも知らない間に結婚式を挙げていた。入籍したのは知っていたが、彼女のパートナーと食事に行ったらあっさり報告をされて笑ってしまった。いいよ、いいよ。あなたたちが幸せならそれで。
結婚式の出席確認がしっかり決まっていたにも関わらず、朝はコーヒーをキメたいマブが「近くにスタバがあるから行こう」と言い出した。
こういう時、私は割と遅刻をしたくないという気持ちが大きいのと心配性が発動する。マブは別に遅刻してもいいとは思ってはいない。思ってはいないのだが、なぜか絶対に間に合うという確信と自信を持っている。ほんの些細なことなのだが、それを垣間見る瞬間、スゲエな…と思っている。
でも、時計は見ないので、私が「あと五分ほどです」とアラーム係になる。世界は良くバランスが取れているものだ。
友人は美しかった。結婚式に行くたび、本当にこんなにも誰かの幸せを祝うだけの空間があるのだなと思い知らされる。
結婚式は主役が忙しいもの。その日世界で一番美しかった彼女と話す時間は少なかった。マブは新婦である友人が父親と入場してきた瞬間に泣いていた。はえ〜!!!と笑っていたが、私もその数分後には泣いていた。情緒育ちすぎである。
式が終わって同期と先輩と喫茶店に入った。喉がガスガスの先輩が煙草を吸っていて、まるで場末のスナックのようだった。久しぶりに会った先輩だったけれど、ものすごく面白い人で、京都で一番人通りが多いと言っても過言ではない道で、ヒールが脱げていた。
行き交う人の波の中で、立ち止まる先輩。思わず「シンデレラですか!?」と振り返って叫ぶと、「迎えに来てくれる!?こんな私でも!」片手にヒールを持った先輩がぴかぴかに笑いながら立っていた。いいシーンを見た…と思った。
【4月】
2月と3月の記憶が薄いと思ったら、原稿に追われていたのを思い出した。
4月に同人イベントの参加を申し込んでおり、久々に原稿限界人になってしまった。来年はそんなことがないといいと思っている。イベント当日は、仲の良い人たちと集まって、お花見をした。みんなで同人誌を読みながらああでもないこうでもないと話しながら、ファミレスまで行ってとても楽しい1日だった。
ネットで知り会った人を、結構長い間友人と呼んでいいのかどうかと思っていた。けれど、もうここまで顔を合わせて他愛もない話ができるのなら、それはきっと友人と呼んで良いのだろうと思える時間があった。ここに集まっていたメンバーで、12月には合同誌を出すことになる。11月には作業をしながらお泊まり会をすることになる。
あなたは、大人になったら友達ができなくなるよ、という言葉を信じなくなる。
人に恵まれている。一概に優しいといった言葉では片付けられないけれども、それでもそれぞれが、それぞれの優しい形をした心を持っていて、それがやわらかくぶつかりながら身を寄せ合うことができる。それってとても幸せなことだ。
【5月】
幼馴染とずいぶん前からマッツ・ミケルセンと写真を撮れる権利を得ていた。それが5月である。5月はイベントが盛りだくさんで、大学の同期たちとも遊びに行ったりしたのだが、私にとっての大事件はもう一つ起きていた。
大阪コミコン。映画、俳優好きは耳にしたことがあるであろう、海外の俳優たちが来日し、トークにサインに写真撮影会を行うイベントである。
マッツが来る…大阪に…!?それだけでも大騒ぎで幼馴染とチケットを勝ち取り、写真撮影の権利を得たのちに事件が起きた。
私が映画を観るようになったきっかけである「ロード・オブ・ザ・リング」でレゴラス役を演じていたオーランド・ブルームの突然の来日発表である。
オーランド・ブルームことオーリィはLotRがデビュー作である。エルフという美しい種族の一人を演じたオーランド・ブルームに私はすっかり心を奪われた。
オーリィが結婚した際は、泣きながらそれを喜び、離婚した際は友人が突然「ワンチャンあるで!!!!」と謎の励ましを送ってきてくれた。ねえわ。
確かにねえわ、だったのだが…合法でオーリィと写真が撮れる…?しかし、全ては金なのである。俳優と写真を撮る権利は、金で得なければならない。
長い長い付き合いの幼馴染、そして幼馴染の母にマッツ撮影終わりの翌日、真剣に説かれた。
一生で会えるかどうかもわからない人と、確実に会える約束が成されている。ずっと好きやった人やねんで?ハリウッド行って探してなんて無理やねんで?おんねんで?チケットまだあるで?
ごめん、ちょっと考えさせて…とトイレに入ったところでチケットを買った。だって、ずっと好きだった人だもん!会ったっていいよね!?ね!?
トイレを出て「チケット、買いました」と武士のような面持ちを構えた。
オーリィと私の邂逅はほんの数秒である。いざ目の前にすると言いたかったことが頭の中からすっ飛び、顔に見惚れるだけになった。気づいたらカメラマンの「レディー!?」という声が聞こえていて、エッと思っている間にオーリィのでかい手が私の肩をグン!と力強く引き寄せていた。そう、思っていたよりも強く。
出来上がった写真を見て私は爆笑することになる。明らかに前日に撮ったマッツとの写真と表情が違うのである。ぎこちない笑み。でも隙間を作ってはなるものかとオーランド・ブルームに体を寄せている女。キモすぎる。でも、本当に好きな人の前だと人間ってこうなるんだと思った。
取り繕うことなんて、好きの前では無理なのよ!
友人に写真を送ったら、「まるちゃん、首折れてね!?」と返事が来た。隙間を作るまいという無意識下の行動と、オーリィの抱き寄せ力が強かったことの結果である。
一生の宝物だ。すごくいい匂いがしたし、日本語のアリガト!が可愛かったこと、夢みたいな出来事だったなと思う。私が好きだと思う向こう側の人に出会える機会なんて、あと何度あるのだろう。できるかぎりそんな機会があればいいと願うけれど、世の中はそう簡単にはできていない。
私は奇跡の瞬間に出会えたのだ…辛い時は自分を「オーランド・ブルームと写真を撮った側の人間」として鼓舞している。どんな側だよ。
【6月】
家にいる時間が増えて、去年よくやってたなあと思うのがネイルである。
元々、爪が柔らかいため、爪は長く伸ばせなかった。すぐに折れるからだ。それに、飲食店で働くことや指先が汚れるような仕事をしていたこともあって、ネイルというのは私には縁遠いものと思っていた。ところが、なんとなく家にいる時間があるな…と思った時に、指先を飾るのもいいのでは?というか、水仕事も増えたし、爪が割れるのを防げるのでは!?と思い立ち、ジェルネイルまで始めることになる。
爪を塗っているからとて、何か得をすることはない。けれど、自分を大切にできているという感覚があってとても好きなのだと気がついた。
こういうことを始め出すと、なんとなくやれるところまでやってみたくなるのが性分で、本当はパーツをつけてみたり可愛い柄を描いてみたりしたい。来年はそのバリエーションを増やすのも楽しいかもなと思う。爪が可愛いと元気が出るし、テンションが上がる。
いいじゃん、私元気じゃん。とも思えて、指先を飾ることは私の自己肯定感をバリッと上げてくれるアイテムであった。
6月、夏に近づくと私はどうも元気になっていく傾向にあるらしい。まあ、冬が苦手ということに最近気がついたので余計にだけれども…このくらいから自分を大切にするためのこと、をすごく考えていた気がする。
【7月】
私のここ数年においてもかなり大きなイベントが起きた。新しい子犬、お出迎えである。
本当は違う子犬を譲渡会に見に行ったつもりだったのだが、サークルの柵に鼻を突っ込んで一人すや…と眠る我が家の子となった子犬が気になってしかたなかった。母は、あんたが面倒を見るのだからといった感じで、私があの子…あの子が…というのを横目で眺めていた。
保護犬は飼うまでに手続きが様々にある。ただ子犬を貰う・渡すのではなく、その子の一生を考えるのだ。みんなそりゃ子犬は好きだ。だって、可愛いから。可愛いから飼う。でも、可愛いからという理由だけでは飼えない大変さもある。保険の効かない犬たちの病気予防のためのワクチン接種。避妊手術、去勢手術。犬だって病気をする。だからこそ、渡す側の人も慎重になる。子犬が可愛いのは当たり前。でも、子犬たちは大きくなった後も、私たちの元で一生を過ごすのだから。
爆速で準備を整えた私の元に、一目惚れにも近い子犬がやってきた。
日記でも何度か書いたが、もうこの子犬、かなりのヤンチャで無邪気お転婆お嬢様に育っている。
雑種であるがゆえに、完成形がわからずいけるところまでデカくなりなさいよ…と思いつつ育てている。今でこそ生活のリズムを掴むことができたが、最初は自分の睡眠障害も相まって毎日シクシク泣く羽目になった。
でも、私が飼いたいと思ったのだから。そう思って生活を整えて、子犬のために先住犬との関係も気遣いながら、今の形ができた。
あまりのヤンチャっぷりに家族は彼女を叱るけれど、私は彼女がいなければどうなっていたのだろうと思う。
私の人生に犬がいなかったことはない。この異国に帰ってくる決意をしたのも、先住犬がいたからだ。
私にとってこの子は天使のような存在だ。無邪気で、話が通じなくて、何を考えてるかなんか一ミリもわらかないけれど、全身で感情と愛情を返してくれる。
毎日可愛いね、好きだよと言っている。ありがとう、私のもとに来てくれて。ずっと健康でいてほしい。先住犬もそう。ラブフォーエバー、犬たち。
【8月】
なんかずっと原稿をしていた気がする。意外と外に出ていない…かも!?と思ったけれど、遠方から友人が遊びにきてくれていた。
コミュニケーション能力オバケ、と言う彼女だが人を喜ばせる天才の才を持っている。彼女のメインイベントは別にあったのだが、せっかく関西に来るならうちのご実家はいかがですか?と声をかけたら本当に来てくれることになった。本当に来るんだ…と誘いをした張本人のくせにかなり驚いていた。
彼女が手土産に持って来てくれたものは、写真の推しトレカケース、そしてイメージしたネックレス。あまりにも可愛いのですぐに着けるね!?と言って嬉々として着けた。
我が家に来たら近所を散歩しようね〜何もない田舎をさ〜!と話していた。本当に何もない上に真っ暗な田舎道をコンビニを目印に歩いた。どんなことを思っているのか、共通の話題を出しながら、これがこうでさ〜と彼女はビールを片手に、私はノンアルの缶を片手に散歩した。ほら、やっぱり大人になって友達ができないなんて嘘だよ。
彼女は私よりほんの少しお姉さんだ。
私が末っ子ということもあって、彼女は本当に歳の近いお姉さんのようでいて、友達で、笑顔が太陽のように眩しいとっても可愛い人だ。どこか自分と似ているのもあるだろう。そっくりでほんの少し違う鏡に映っている人を見ているみたいだ。
【9月】
私の人生がほんの少し変わった月だった。
去年、仕事を辞めたあと、私には一通のメールが届いた。それが、オリジナルの漫画を掲載しませんか、という連絡だった。不安でたまらなかったけれど、こうなったことも、何かの縁なのだと全てに踏ん切りをつけて東から西へと飛んで帰ってきた。
私を見つけてくれた編集担当さん、きっとまた日記を見てくれているのだろう…見てくれているといいな…と思っているけれど、その人がいなかったら私は今の生活を選ぶことはなかった。
でも、私はその世界でまだまだ新人で、初心者で、赤子のようなもので、もう一度何かを勉強するように日々絵を描いて、自分の中から生まれてくるお話と向き合っている。それはとても大仰なものでも、大きな波でもないけれど、そっと誰かのお守りになるといいと思っている。
商業漫画家としてデビューをした。自分でも信じられなかったけれど、私が掲載をしていただいたのはFEEL YOUNGさんという私もずっと掲載された漫画を読み続けてきた雑誌だった。夢を見ているみたいだった。自分の描いた漫画が雑誌に載っていて、誰かの手に渡っていく。
同人誌を作っていても不思議なのに、私はこういう者です、と大きな名前が知っている人たちの中に並んでいた。いろんな人から読んだよ!と報告をもらったり、初めてのファンレターをいただいたり、日々泣いたり驚いたりすることがたくさんあった。というか、こんなに嬉しくて泣けるもんなんだな、と思うほどで。
友人のギャルから連絡が届いた。
知り合いが漫画を描いてるってどんな気分になるんやろうって思ってたけど、最高の気分。ちょっとずつ良い世の中にしていってくれ!という彼女らしいメッセージだった。そう、ちょっとずつ、私はまた社会に関わっていけるのだと知った。
人に恵まれている。担当さんもそうだったし、背中を押してくれたたくさんの人、家族、読んでくれた友人、そしていろんな人たち。私が私でよかった、またものをつくることができて、嬉しい。
写真は友人夫婦と花火をした日のもの。入籍したことを聞いて、中学生からの友人と、共通の趣味で定期的に会っていた友人。その二人が結婚をすると聞いて、とても嬉しい気持ちになった。私にお祝いできることがあるなら何でもするな、と思う。
私には漫画を描くという生活と、普段の日常がある。どんな人もそうなのだと思うけれど、私にとっては日常とものをつくることが地続きになったようにも思う。昔はどこか乖離していたけれど、自分の目が見ている世界がそのままお話につながっていくことがある。
その日は、ドンキホーテで花火を買い込み、打ち上げ花火やねずみ花火、色んな花火を買った。
打ち上げ花火に点火してくれたのは夫になった中学生からの友人。音が鳴るとは聞いていたが、その音が出た瞬間、私たちは信じられないほど無音になった。
あまりの音のデカさに心臓がひゅっとなったのだ。
大人になったからこそ、気にする花火で遊べる地域。そこは多分大丈夫なはずだったのだが、もう少し街中なら通報されていたのではないだろうか。
ねずみ花火があんなに走り回るものだとも知らず、どの向きにどう!?と騒いでいたら人の方向に飛んだ。ありえないほど大きな声が出て、打ち上げ花火の後も大笑いしたし、ねずみ花火の時も大笑いした。
こんなにはしゃぐことがあるなんてねえ、「久しぶりに童心に返ったわ」「こういう気持ち忘れんでおりたいね」来年もやろうね、と約束をした。大人になってからの約束は、叶えられやすくて、叶えられにくい。でもきっと多分、大丈夫だと思う。だって、その日が楽しかったから。
楽しいことって何回でもしたくなるよ、と思うのだ。
【10月】
誕生日だった。誕生日がまだまだ好きで申し訳ない…。
いろんな贈り物があったけれど、MVPは関東に住む友人から届いたこの写真の左のわんちゃんの置物だ。商品名がマルという名前で、私の名前が丸い円(まるいまる)というご縁で、これだー!!と思った友人からサプライズプレゼントとして届いた。あまりの可愛さに私は転げ回り、いろんなところで見てくれー!と騒いだ。作家肖像もどうしようかな〜と考えていたところだったので、このマルの体と顔をいただくことにした。
去年も友人から犬をもらっている。右の子だ。一輪挿しのお犬様は中々活躍する場面がないのだけれど、私にはあの小さな可愛い花瓶がある、と思うと心がほんの少しだけあたたかくなる。今、二匹は隣同士で並んでいる。私の元に子犬がやって来たように、この子の元にもお友達がやって来た。なんて可愛いんだろう。
彼女たちが選ぶ贈り物は、とってもキュートで、愛らしい。付き合いが長くなってきて、私の好みが把握されていることもあるけれど、どんな風に想像をして子のプレゼントを選んでくれたのだろうと思う。私のことを思って考えてくれる時間が、誰かの中にあること。ちょっとだけ気恥ずかしくて、嬉しい。私も素敵な贈り物を出来ていたらいいな。
【11月】
夏に遊びに来た友人が、ある日タトゥーを入れに行っているのをSNSで見た。
そのデザインは、私がもしタトゥーを入れてもらうなら、このスタジオだ!と決めていた人のものだった。ウワー!そんなことあるんだー!と思った勢いで、彼女に連絡をして、そのままタトゥーを入れる予約をした。今年の目標の一つにタトゥーを入れる、があった。色々世間の目だとか、不便さだとか、色んなことを言われるけれど、私には私を守るお守りが欲しかった。
彫ってもらうデザインは決めていた。
私の人生の中で欠かせない犬、そして、骨になることについて。骨と犬をいれて欲しいです、とメッセージを送ったら、作家さんも犬の存在には思うところがあったのか、とてもあたたかいメッセージが返ってきた。そういう気持ちをすぐに汲んでもらえることは、そうそうないことなのではないだろうか。この人にお願いしてよかった。
事前にデザイン画を送っていただいていたのだけれど、当日になって作家さんが「なんとなく目を優しくしてみたんです」と仰った。奇遇にも、うちの家に来た子犬は垂れ目の優しい目をしている。そっくりだな、とあまりの可愛さに心が弾んだ。これが私のお守りになるんだと思ったら、可愛いデザインがどうこうではなく、こういう可愛らしいものがぴったりだと不思議と思えた。
写真は友人の家の玄関で間仕切りに使われているなんかいい感じの布の前で撮った。なんかわからないけど玄関に垂れ下がっているね!と言ったら、間仕切りのつもりで…と言っていて、布が可愛かったのでその前で撮らせてもらった。いい感じになった。よくわからない布でいい感じになったね!
【12月】
今月だ。今日が31日で振り返ると、精神的な波が上に下にと大忙しだった。季節鬱なんて便利な言葉があるが、それに近しいものかもしれない。
12月は贈り物をたくさんもらった。クリスマスと正月が一緒に来たぞ!などと言うことがあるが、まさにそんな感じで素敵な贈り物をたくさん形としてもらうことになった。そのそれぞれが、どれもこれも可愛くて嬉しくて、楽しくて、子どもの頃よりプレゼントもらってるなあ、と笑顔になった。
ただ、予定を詰めすぎたこともあって、自分の体力の無さ…というよりも衰えを感じざるをえなかった。
何事もバランスが大切よね、と思うのだけれど会える時に会える人と、会いたいと言ってくれる人と、会いたい人に会っておきたい!と思う己の強欲さ。
正直なところ、自分が好きな人たちに求められていることが嬉しいのだと思う。でも、きっとそういう人たちはしばらく会わなくても私のことをとても上手に扱ってくれるのだろう。
来年は自分が自分を管理できるようになりたい。いや、ならねばならない。そんな気がしている。
今私は日記を書きながら、エレファントカシマシを聞いている。
紅白歌合戦って、色々言われているけれど、歌の輝きをまっすぐ伝えてくれるから私は結構好きだ。毎年恒例なら、このあとは旧ジャニーズのカウントダウンライブを見るのだけれど、今年はお休みだ。これ…呼び方STAR TO ENTERTAINMENTの方がいいのかな…お許しください、とても好きな事務所なので。閑話休題。
頑張ろうぜ〜!という宮本さんの歌声。そうね、頑張ってもいいかも。
今年はなるべく頑張りすぎないことを大切にしてきた。多分、このペースを崩さなくても大丈夫ではあると感じている。けれど、なんとなく来年は大変な一年になるんじゃないかと心構えする厄年である。用心するに越したことはない。厄払いの予定がたくさん入ってきていて、私は厄を払いまくって最強になる予定だ。
今年もなんとか生きた。
初めてのこともたくさん経験した。
来年もたくさん初めてのことを経験して、ずっと毎日に驚いていたいし、人を見ていたい。私の生活は豊かではなくてもいいけれど、私の周りにいる人たちには良いことがたくさんあると良い。でも、悪いことと良いことは半分こだから。
来年の私、12月にまたどんなこと言ってるか教えてね。
そして、日記をずっと見てきてくださった皆様。
今年もなんだかんだとはてブロ様に取り上げていただいて、記事をたくさん見てもらえる機会が多くあったように思う。ありがたいことです。こんな感じですが、たくさんの感謝と愛を込めて。
そして皆様の新しい一年が、柔らかく、美しい日々でありますように。
2023年、自分納めでした!あと一時間で今年終わっちゃう!
今日は特大花丸の話
気づいたら十月になっていた。
お日記怠惰である。いつぞやの毎日書きますよ!の気概はどこへやら、と思うものの、あの時は毎日何か一つのことが出来たという達成感が必要だった。
今は人間らしい生活を去年の夏よりもできているし、毎日何かをすることができている。目覚ましい進歩じゃないか、と思っている。
私の日々は犬がやって来たことによって一変した。前回の記事にも書いたが。何より生活が規則正しくなった。体重も増えた。実家に帰ってきて、やっとのことで半年かけて体重の増減が起きるようになったのだ。ただし、急激に数キロ増えたため、膝がキている。
へえ、急に太るってこういうことね…毎日しゃがむ度に軋む膝。もう年齢的に色々後戻りできない歳になってきた。怖いんだけど…という話を友人としたばかりである。
生活のルーティンは犬軸で動いている。犬の朝のお世話から始まり、夜まで時間割で犬タイムが入る。朝は大体寝ぼけていて、犬の茶碗を間違えたり、ドッグフードをぼろぼろこぼしたり、目がほぼ開いていないので、足元をうろつく犬とうっかり衝突したりする。
すまん…と思いつつ何か食べるものがないかと、朝食を食べる私に集ってくる犬をあしらいながらゆっくりと頭を起こしていくのだ。そして、二匹同時に散歩には行けないので、一匹ずつ散歩に出る。その後はコンビニ。
コンビニのおばさんと仲良くなった。世間話をする。今日はついに「今日もお仕事?」と聞かれてしまった。無職、と言うと無職じゃねえだろが!と色んな人に言われるので、詰まり詰まり「じ、自営業です」と何とか答えた。
ファミリーマートが一番の近所のコンビニで、私は呪術廻戦の夏油傑のカップを握り締めながら、今日もそうして朝の日課を終えたのだ。
そしてぼんやりとカフェラテを飲みながら、ああ、そうかと納得していた。
仕事を辞めてちょうど一年が経とうとしていた。
早いものだなと思った。この一年、何が変わったのかと聞かれたら答えられることはたくさんある。実家に帰って来たこと、新しく犬を飼い始めたこと、体重が増えたこと、その他にも初めてのこともたくさん経験した。
何より大きかったのは、自分が仕事を辞めて、漫画を描いていることだった。
まさかそっちにいくとはね、と自分でも驚いている。デザインも好きだったし、絵を描くことも好きだったし、小説を書くことも好きだったし、でも、まさかそこに漫画の選択肢が飛び込んでくるとは思わなかった。これも何かの縁ということなのだろう。
仕事を辞めて一ヶ月ほどした頃だ。思いがけず創作用の旧…Twitterアカウント…現X…謎の照れと不慣れ。まだXって呼べずにいるよ。恋人の呼び方を変えるタイミングをミスった人間みたいになっている。それはさておき、そちらのアカウントに掲載していたアドレスにメールが届いた。
夢か何かだと思って、一旦あっためて、冷静に自分の持っている漫画の奥付けを確認したり、痛い心臓を押さえつけるのに必死で、パニック状態だった。
そもそも、その頃は不安障害がひどかったのもあって、一日中頭の中のシナプスが弾けまくっていて、何をしていても落ち着かなくて、興奮と不安とで家の中をうろうろしていた。まだ何も始まってねえよ。今の私なら呆れてそう言うだろうが、その時は動物園のホッキョクグマよろしく、家の中を端から端まで落ち着きなく動き回っていた。
いのいちばんに相談した友人は、私の話を最初は冷静に聞いていてくれていた。が、私に自覚が無かったことが一番良くないのだと思う。上記の通り、私の頭の中は何かがかっぴらいた状態だった。
付き合いの長い友人である。一度も乱暴な言葉は使われたことはなかったのに、「うるさい!!」と初めて言われた。そこでようやく緊張が解けて、笑った。どんなだったんだろう。あんまり覚えていない。
とにかく、その時は怖かった。自分に自信も無かった時期であったし(それはごく稀に現在も沸き立ってくる感情だ)何もかもを素直に信じられなかった。私にこんなに都合のいい話が転がり込んできていいのだろうか、とか、私がはたしてそれほどまでの期待に応えられる人間だろうか。色んなことが頭を駆け巡って、頭の中がチカチカした。ちょっとだけ頭が痛かった気がする。
友人の助言と言葉もあって、落ち着きを取り戻して以降、牛歩ではあるが漫画を描く生活を続けている。ようやく自分のペースが掴めてきた。
それと同時に、もう一度自分が美大に通っていたような気持ちを取り戻しつつある。理想と現実の違い、この世に溢れるいいものの洪水、自分の文脈、言いたいこと、伝えたいこと、もどかしさ、悔しさ。
悔しさにいたっては、お前まだいたの!?私の中に!?と思うほどだ。結局私はまた「つくる」場所に戻ってきてしまった。あの頃よりほんの少し図太くなって。安心もした。私にはまだこの熱がある。ただ、泥のように眠ってばかりいた時が嘘のようにも思える。
まあ、こと睡眠に関しては最近また薬が効かなくなってきて困ったりなどもしていますが。
インプットとアウトプットも忙しい。学生の頃は、日々がインプットの嵐だった。外から受ける刺激がどんなところにもあったけれど、今は自分から捕まえにいかないと刺激はやってこない。恐ろしい話である。これに関しては鉄則が二つ。億劫になるな、腰を重くするな、である。
体力が保つかぎり、バランスを取りながら草むらに出る。出くわしたポケモンを片っ端から捕まえていくのだ。そうでもしないと、この歳じゃな!!クイックボールを投げまくっている。(出会い頭に投げるとポケモンを捕まえる確率の上がるボールである)
最近は、朝の犬タイムを終えて誰もいないリビングで、眠る犬二匹を傍に二時間未満の映画を観る活動をしている。二時間を超えると疲れてくるのと、耐えられないので、二時間未満がちょうどいい。そのおかげで、いいものをたくさん観れている。
観たい映画は、大体雰囲気とか内容とか、そういうもので決めている。気になってたな、とか。でも、結局好みということもあって、最近は似たようなカテゴリーに分類できそうなものが集まっているな、と思いながら観ていた。それらの多くは、人が家族であろうと、恋人であろうと分かり合えないこと。孤独であること、わからないことを描いている。
一年前の私は、つい最近までどうしようもない孤独に怯えていた。それが全員に均等に与えられたものとも知らず、自分だけ舟で旅に出たような気分になっていた。違うな、みんな孤独なんだ。わからなくていいんだ。自分のこともわかんないんだからさ。
こういう時、私は幸福だと思う。表現のできる場所に少なくとも立てていること。日記だってそうだ。誰に届くとも知らないが、私にとっては必要なアウトプットの場の一つだ。
こうして早かったような、遅かったような、そんな一年を過ごしてようやく、私は人に尋ねられるのだと思う。
「私はこんな感じですけど、あなたはどう?」
どうですかね。ちょっとずつならいける気がするんだけど。無理になったら、また無理だ〜で大の字になればいい話だ。一年間、閉じ込もらなかった自分を褒めてあげたい。よく頑張った。よく生活したよ。よく生きてた。友達には感謝して。まあ、家族にもね。特大花丸の一年じゃない?
そんなことを思った何もしない日だった。
私と骨と犬の話
やってきた。子犬が。
最初は先住犬とどうなるかとかと思ったが、今やワンプロをやるほどの仲の良さになっている。最初は先住犬が子犬を噛みやしないかとヒヤヒヤしながら見守っていた。先住犬は、兄弟もおらず一匹で捨てられていた子犬で、犬同士のコミュニケーションを知らない。そんな私の予想に反し、日に日に子犬に慣れ、気分にもよるのだろうが、子犬がもういいと言っても自分から絡みにいくほどである。
互いに目が合うと、メンチを切り合いそろそろと近づいては絡む。最早どこぞの輩のようなものだ。
子犬は朝が早い。
子育てをしている先輩や友人たちから聞く話とよく似ていて、食事の回数も多ければトイレの回数やタイミングも色々だ。失敗することもあるし、今!??!ご飯食べてるけど?!みたいな時に大慌てすることもある。
起床時間は基本朝の五時半。あまりの早さに絶句。最初の二日間は何があってもいいようにリビングで一緒に寝た。五時半ちょうどくらいに元気な子犬に鼻を噛まれて起きることとなった。
不眠症の私は最初の一週間が大変だった。ストレスも溜まり、思ったように眠れなかったり、子犬に合わせて生活するのが大変で、今まで子犬から飼っていたはずの経験は、犬の個性によって違っていると思い知らされる。
特に心にきたのは先住犬が子犬を構うあまり、私に対して拗ねてしまったことだ。
触ろうとするとウーッと唸られたり、手を甘噛みする様子を見せた。そんな中、飼うと決めたのは私で、世話係として昼夜面倒を見ていたのだが、母親に小言を言われて「ちゃんとやってるのに」と睡眠リズムが崩れて眠れていたこともあり、涙が出た。先住犬に嫌われそうになっても子犬の世話をしているのに。
母に何かを言われたことよりも、先住犬に嫌われかけていることが辛かった。人間に嫌われるよりも泣いた。私、やっぱり人間より動物か好きなんじゃん。
友人にその話をしたら、「情緒が育ってきてるね!」と言われて、まだこれ以上私の情緒には伸び代があるの?!と思わざるにはいられなかった。それ以降泣いたのは夜に犬たち二匹の寝顔を眺めている時だった。
愛おしいいきものたち。言葉も通じない、何度同じことを言っても言うことを聞いてくれるわけじゃない。ままならないし、子犬なんてよりいっそうそうだ。
でも保護犬だった子犬は、私が何か縁を感じて引き取らなければどうなっていたかもわからない。それは先住犬もそうだった。安らかで、無防備なお腹を出して眠る犬たちを暗い部屋で眺めていると、涙が出た。多分、これは愛おしさから。
子犬がやってきたことで生活が激変した。
私の生活は規則正しくなり、三食ちゃんと食べるようになり、犬の散歩も朝晩行く。気づいたら体重が安定した数字に戻っていた。アニマルセラピーってマジなんだ……
昼間は犬をリビングに放って、その傍らで原稿をする。お昼になれば彼女たちにご飯をあげて、自分も食べる。子犬は何をしでかすかわからない。ちなみに本を10冊近くダメにされている。マンガを噛んだらいよいよどうにかしてやろうと思っている。
お金はかかる。でも、かえがたいものを得たと思う。何かに責任を持ちたかった。自分の力で、自分の家族を作りたかったのかもしれない。人間は得意じゃない。好きだけど、苦手だ。動物の方が多分、好き。でも、営みから外れないでいたかった。
新しい子犬が来てから、他にもいろいろ後押しされることがあって、私は自分に骨と犬のタトゥーを刻むことにした。
私の愛してやまないいきもの。そして、犬といえばほねっこのイメージ。それから、彼らは私より早く骨になる。それはどうしても仕方のないことで、私に思いがけない何かが起きない限り覆されない理だ。灰になること、骨になること。必ず巡るもの。私にもいつか必ずその時がくる。
その時、私の記憶の中には何匹の犬がいるだろう。あなたたちと、可能なかぎり巡って、生活を営んで、その輪を眺め続けていたい。
とはいえ、長生きはしてほしい。
私も頑張るからさ。
私のための話
来週、というか日付的には今週金曜日。新しい犬を迎えることになった。
私が帰ってきてから、なんとなくもう一匹犬がいて欲しいような、母が毎日保護犬のサイトを見てはこの子が可愛いだのなんだのと見せてきていた。最初はヘエヘエと聞き流していたのだが、たまにびっくりするくらい可愛い子が転がり出てくる。
そりゃ、今飼ってる犬が一番可愛い。宇宙で一番可愛いと思っているし、どれだけ他の家の子が自分に懐いていて可愛くても、私はうちにいる、人がいないと不安で、リビングから一歩も出られなくて、それでも朝は尻尾を振れるだけの力で振って耳を寝かして、触ってくれと腕に手をかけてくるような、そんな愛犬が可愛くてたまらない。
私は、犬と一緒にいると時間を忘れる。小さい子どもを親たちが何時間でも眺めていられるね。そう言うのとよく似ている。すうすうと息をたてて、静かにゆっくり上下する胸や、時々夢を見ているのだろう。揺れ動く耳や足。
最たるは、そんな胸にそっと耳を当てるとき。心臓の音と、肺に息が入っていく音が私の鼓膜にやさしく届く。
ああ、この子は生きている。私は何度も安堵し、愛おしいという感情で満たされるのだ。
眠りにつくとき、このあたたかな生き物がそばにいてくれたら。どんなに心地よいだろうか。
あなたは今、心も身体も休める時期なのだと言われる。優しい友人、私の信頼する人たち。
でも、私は思うのだ。そうは言ってくれても、あなたは私よりきっと偉い。毎日仕事に行って、生活を送って、ご飯も作って食べて、お風呂に入って、ありとあらゆる生きるための生活を、自分で支えているはずなのだ。
そうやって生きている人たちのそばで、私が足を止めていていいのだろうかと思ってしまう。休んでいい。いつまで?病気が治るまで?治るのだろうか。実は、あなたが思っているよりも、私はずっとずっと私に甘い。そう思う。
私は、私のために生きることがずっと苦手だ。私を喜ばすことが一番難しく、人から貰う優しさや楽しさには双手を挙げて喜ぶくせに、私は私が「楽に生きる」ための方向へ、ただ楽しいということだけに自分を誘おうとする。最悪の道案内人であり、指針を示す航海士なのだ。
あなたは頑張っている。嬉しい言葉だけれど、それが今の私には、私を喜ばせるほどの行動がともなってはいない。本当に頑張っているのなら、今頃私はきっとやりたいと決めたこと、今仕事になるといいなと思っていることに死に物狂いになるように、手を離すまいと執着しているのではないだろうか。
私を、良い人だと思いすぎている。私は、そんなにもできた人間でも、嘘をつかない聖人でもない。
こんなことを言っていると、昨今では、自分が自分を愛さなきゃだめだとか、自分へ向けている愛情が他人に向けるものと同じ態度になるのだ(といった旨のツイートを先日見かけた)とか、そういう言葉に胸を刺されたり実際にナイフを持ってじりじり近づいてくる人もいるんだろう。ナイフといかないまでも、フォークスプーンくらいの。ちょっと刺さると痛いやつ。
でも、だって、私はそう思うのだ。思うくらいは許してほしい。許してほしいとも違う。そういう人もいるんだ、そう理解していてほしい。
卑屈。何を言っても無駄。そういうわけでもない。誰かの言葉に救われて、気持ちが一気に晴れることもある。
ただ、自分が自分に呆れと諦めと、狡猾さと、表面には出ない澱みが体の中を渦巻いている。
孤独だ。とてつもない、孤独。
友人がいても、家族がいても、満たされない一部。私のために隙間を残してある花壇のように。他は花が咲いて、実がみのっていたり、美しいのに。私が私のために育てるそこは、土が乾いて、何もない。種を蒔いたつもりでも、芽が埋まって土にかえっていくのだろう。
それでも、ため息をつきたくなるくらい、私は私を必要とされたいと、浅はかで、子どもがまわりの世界の注意を引くような、そんなみっともなさを持っている。私が、私をうまく必要とできないのなら、私はどうしても私以外からその空間を満たしていくしかない。私の優しさや行動は、エゴだ。愛されたい生き物の、遠吠えだ。
情けない。ひどい話だ。
私が犬を飼いたいのは、私を必要としてくれる優しい生き物がそばにいてほしいからだ。私なしでは辛いと泣くような、全身で私を愛していると教えてくれる。そして、何より私が、私の手で、何かを育てたい。責任を持ちたかった。社会ではてんでまるで役に立たない私。私が外と繋がっているために、間をつなぐ存在がいてほしいと思った。
譲渡会で子犬たちを見たとき、私にはほんの少しの後ろめたさがあった。この子たちを救いたいという気持ちより、私を救いたかった。今の愛犬ももちろん大切だ。愛している。なのに、私は私のエゴで、私のために、言葉を持たない生き物を選んで私を愛していると伝えてもらおうとしている。
ひどい人間だと思ってくれていい。誰にも言わず、ひっそりとその感情ひとつすら、抱えられない私を笑ってくれていい。
でも、せいいっぱいの気持ちで、私は私のそばにくるやわらかく、まるい命を愛するから。
私は私に、私のための愛を、疑わずにいてほしいのだ。
全頭ブリーチの話
私が美容院に行くのが好きなのは言わずもがな。
好きだけど髪が短いのでそう頻繁に行くのもな〜と思うのだが、あまりにも最近髪の毛がみっともない気がしていた。そこで、地元に帰ってきてから二度目の美容院にお邪魔した。
幼馴染ののくまちゃんに紹介してもらった美容院である。
私は髪の毛と足元がキマってれば大体容姿の70%はイケてる見た目になるでしょ!という謎の理論を持っているので、髪は整ってる方がいいと思い込んでいる。
初めて行った時、あまりのオシャレさに腰が引けたが二回目ともなると、堂々としたものである。でもやっぱり、階段の両脇にガラス張りのお店が三階分並んでる建物はオシャレすぎると思う。結局ちょっと階段の前で立ち止まった。
担当のお兄さんはどうします〜?と尋ねてくれて、どうしますか〜という感じで毎回美容院に行ってしまう迷惑な客こと、わたくし。
夏になると、汗をかいて前髪が額に擦れるとめちゃくちゃニキビができる。襟足も癖があって、中途半端な長さだと私から見て左側がピンピンに跳ねる。
伸ばすか、切るかの二択。
いや、美容院って大体その二択か……。結論として、ウルフっぽい髪型にしていくということになり、髪はあまり切らない方向で進むことになった。
そして問題はカラーリングである。
今まで髪の毛で散々色んなことをしてきたが、唯一やっていないことがあった。
それが全頭ブリーチなのだ。
担当の美容師さんには、初回からマッシュとか…全頭ブリーチとか…と勧められていて、全頭なあ〜!
私は基本的に地黒で、昔は夏に人に会うとどこに行ってきたの?と聞かれるレベルで日焼けしていた。カレーパンマンも顔負けの色だった。
ちなみに、のくまちゃんは色が白い。だから、ハイブリーチをしていても似合いますねえという感じなのだが、私は金髪……マンガだけじゃん、許されるのは…ハイブリーチで地黒はよ…と思っていた。
結局、美容師さんに勧められるがまま、全頭ブリーチをすることになった。この辺の流れはあまり覚えていない。美容院にいる時の私は、返事があまりに適当なのだ。
仕事は大丈夫だっけ?と聞かれて、無職なんで!と笑顔で答えたら、最強ですね!の満面の笑みの返答。最強です。
前に地方にいた時、担当の美容師さんに髪質がすごくいいから何しても大丈夫!と言われていて、そこは心配をしないことにした。問題は頭皮である。
見かけによらずデリケートな肌質の私は、ちょっとしたことで肌が荒れる。頭皮…いけっかな…。ブリーチはとにかく時間がかかるので、滞在時間が長くなるのも大丈夫かと聞かれて、まあそれより頭皮かなと思いつつ、オッケーサインを出した。
二人がかかりで染められていく髪。
美容院あるあるの、人に見せられない鏡前の姿へとなっていく自分と対峙することができず、タブレットで雑誌を読み漁ることになった。
そうこうしているうちに「じゃあ根元いきますね〜」と声をかけられた。
塗られ始める根元部分。
最初はスースーする。ぐらいの気持ちだったのがヒリヒリし始めた。でも全部の根元を塗り終わるまでは耐えたい……ッ!!!歯の隙間からシーシー空気が出そうな感じで食いしばった。めちゃくちゃ痛かった。今すぐにでも無理です!!と叫びたかったが、謎の意地。
痛くなったらすぐ流すからねと言われていたのに、変なドM気質が出た。
そして塗り終わったくらいで、お姉さんが「痛くないです?」と聞いた。食い気味に「痛いです」と返して、ギリッと奥歯を噛んだ。流してくれ!早く!ヒリヒリする!シャンプー台、自分で行こか!?
ぬるめのお湯で優しく流してもらう。いつも思うんだけど、美容院のシャンプーとかリンスとかって何種類あるの?二回三回くらいなんか頭につかない?この時、話を聞いていないのは、ほぼ私が寝ているからだ。
ここからが全頭ブリーチのハイライトになる。
シャンプーを終えて鏡の前に戻った私。
そこに写った自分は、紛れもない実体なのだが、本当に椅子から転げ落ちて倒れ込みたいほど、本当の本当に金髪が、似合っていなかった。
どれくらい似合っていないかというと、化粧をして顔を整えていても、どう頑張ってももう生まれる前から神様に顔を作り変えていただいてよろしいですか?と言いたくなるほどの似合わなさである。
カツラをかぶったかのようなアンバランスさ。いやもう、カツラの方がまだマシ。これ、私の髪から生えた髪か…絶望。そして、後戻りのできなさに大焦りした。
眉毛…これ染めないと…いやこれ…ね?!いや〜こんな…どうしたらいいんですかね…あ〜…あまりの焦りに今までとても静かだった女が急に饒舌になってしまった。
このあとどうなるんだっけ!?このまま!?どうすんだっけ?!あ〜最初にお兄さんからちゃんと話聞いとけばよかった。
そんな私に髪のチェックをしに来た担当のお兄さんが言った。
「じゃ、カラー入れていくね」
あ、入る!カラー入るんだ!!そういえばなんかベージュっぽくなるようにとかなんとか言ってた!え!でも大丈夫!?金髪寄りなら無理!
この辺りくらいから、何で私は暗中模索状態で美容院にやって来ているんだろうと思い始めた。人生で初めての失敗かもしれない。好きなようにしてくれって言うの、もうやめた方がいいのだろうか。
ベージュってどんな色よ……わからないままカラーが終わった。
再び鏡の前に戻ってきたら、病院に来て四時間が経過していた。俺の頭、どないなりましたん?おそるおそる鏡を見たら、思ってたより茶色になっていた。ゲンキンな私は、「お!?大丈夫やんけ?!」と内心咽び泣きたいほど安心していた。やっぱり、美容師ってすんげえ〜〜〜〜!!(ルフィ)
カットに来てくれたお兄さん。安堵が胸がいっぱいになって、ど正直に途中どうなるかと思ってビビりすぎて帰りたくなりました、と言ったら大爆笑された。
仕上がりは完璧。
途中経過はマイナス五億点(自分が)だったが、やっぱ美容院てイイネ!!になれたので、本当に一安心のニッコニコである。
次はカラー入れにきてもらって、その次くらいに根元リタッチですかねえ〜。終わる頃にやっとお兄さんの話を真剣に聞くことができた。子どもじゃないんだから、人の話はしっかり聞きなさいという話である。
この美容院滞在の間、幼馴染ののくまちゃんと連絡を取っていた。
仕事を定時に上がったのくまちゃんの会社は美容院近くにあるらしく、八時くらいまでおってくれたら晩ごはん食べれるでと言われた。その時、時刻は六時半。いや、一時間半…待てなくはねえけども…。美容院をヒョーイと飛び出した私に、のくまちゃんから「一瞬だけニューヘアみたい」と言われて、クソデカ交差点で待ち合わせした。
金髪の自分を見た時に、眉毛の脱色をどうしているのかと慌てて連絡していたのだ。のくまちゃんは私の頭を見て、
「大丈夫やん」
「一瞬マジでどうなるかと思った」
「わかるわ」
といった内容の話と、楽器教室の間待てるだろみたいなやり取りをして、数分で「ほんじゃ」と解散した。数分すぎてお互いに笑いながら、ほな!という別れ際であった。
髪を切ると、すぐに誰かに見せたくなる。その気持ちで出来たてほやほやの自分を見てもらえて満足していたのだろう。
この歳になって、初めての全頭ブリーチ。人生で一番明るい髪色が更新された。悪くない。むしろ、良い。日々髪のダメージはあるなと思うものの、髪が明るくなるだけで着れる服も変わって、やっぱり世界が明るくなったような気がする。
余談だが、のくまちゃんはハイブリーチを卒業して私より髪の毛が茶色になっていた。嘘じゃん。
写真は引退した競走馬のぬいぐるみを、映画を観る前に取る私です。
次のカラー入れは何色にしようか。できれば、金髪の状態だった時みたいに、焦らないといいなと思っている。
犬の足の裏の話
我が家、私にしてみれば三代目である、この擬態型柴犬の雑種。名前をチロという五歳なりたての犬である。
日記にも過去に書いたように私は犬がとても好きだ。一匹目は外飼いのペス。二匹目からは、室内犬のモコナ。
少し前にペスの話になって、私の幼い頃の遊び相手というのはもっぱらこのペスだったのであの子はこうだったよね〜とか話をしていたら、ペスは宝物のガムやおもちゃを小屋の下に隠すのが癖だったという話題が出た。
そういやそうだったな、と思いつつペスに思いを馳せながらお茶を啜っていたら、両親が言った。
「あんた、ペスの宝物を別のところに隠すから、ペスがない!ってよう大騒ぎしてたわ」
お茶噴き出すかと思った。
そんなことしてたっけ?!でもなんとなくしたような気がする。私は宝探しくらいの気分だったのだろうが、犬からしてみれば「宝がねえ!!!」になるのは間違いがない。
子どもって罪深いな〜。こういう悪戯好きの片鱗は今も私に残っている。
そういうわけで、外飼いの犬だった一匹目の犬は、私と触れ合うとなると野外一択で、洗う回数も少なかったし、匂いを嗅ぐと外で飼われています!みたいな匂いがする。野良犬の匂い。
くっせ〜と言いつつ、嫌がる犬をハグしたりしていた。
二匹目が家に来て、子犬の間から面倒を見ることになった私はそれはそれは大事に犬をお世話した。小さくてころころした生き物。
夢だった一緒に昼寝。一緒に寝る私たち。散歩、旅行。どんな時も常に一緒にいることができた。抱っこもできるサイズで、そこで初めて気がついた。
犬の足の裏から、何か香ばしい香りがすることに。
え!?知らない!!!なんで誰も教えてくれなかったの?!
小さな前足を引っ掴み、思わず息を深く吸い込んだ。ポップコーン…?でもない、だからといって焦げ臭いわけでもなく……なんだかやみつきになる匂いがするのだ。
母親に報告すると、母親も犬の足の裏の匂いを嗅いだ。香ばしい……世紀の大発見である。後に、これは当たり前であるということを知るのだが、なぜ誰も!?教えてくれなかった?!
それからは、度々眠っている犬の足の裏にはなをくっつけてスースーと息を吸うようになった。くさいわけじゃない。とにかく何か…香ばしい匂いがする。
前の愛犬は肉球もやわやわだったので、何かあると足の裏の匂いを嗅ぎに行った。けれど、前の愛犬はリラックスしているところを触りに行くとギュン!と前足で私の顔を押し除ける癖があったため、たまにしか触らせてくれなかった。
今の愛犬も同様である。足を触られることを極端に嫌がるのだ。幼い頃に骨折したこともあるのだろうが、何より大きな原因は、この犬、アレルギー体質である。
誰に似たのか……元々保護犬で一匹でいたところを保健所に引き取られ、保護犬活動をしているおうちで育てられた。
そのため、アレルギー持ちでちょっと身体が弱い。散歩を嫌がるのも、外に出ると身体が痒くなるのが原因だろう。そしてそのアレルギーは、足の裏にカビを生やすという最たる症状がある。
この香ばしさであるが、足裏の酵母菌が増えることにより、蒸し暑さなどでカビが発生するのだ。
犬の足の裏に…酵母菌…?!
焼きたて!!ジャぱん?太陽の手を持つ犬…?もしかしてすごいうまいパンを作れるのでは…?などと思うが、そんなわけはない。
病気だ。シンプルな。
でもいい匂いなんだよな、足の裏。
足を触る以外は好きにさせてくれる犬は、ひっついて体を擦り付けても頭と頭を擦り付けても、鼻に鼻をくっつけても、嫌がらない。
今日なんかは、リビングで転がる私の頭の上に頭を乗せて寝始めたくらいである。
ああ、犬の足の裏。
香ばしいこのかおり。
いろんな人に体感してほしいものである。
呪いと悪夢の話
タイトルがあれなのと、中身もちょっとあれなので、最近食べたすんげえ美味しい砂肝刺のせめて景気のいい肉にしておくか…の写真です。
眠れないのでちょっと思考を吐き出しておこうかと夜中に書き始めました。
この日記でも度々触れているように、私は不眠症、不安障害という病気を患っている。
実家に帰ってきてから半年、毎月通院して薬をいろいろ変えて試してみているのだが、結局現在は依存性の一番高い、電源が落ちるような薬を使っている。この薬を使うと、眠れはするのだが、眠気を引きずることがある。半錠にして飲むこともある。
結局スタートの薬に戻ったこともあって、この前の通院で先生に「お役に立たずすみません…」と言われてしまったけれど、きちんと説明をしてくれるし、一緒にどうするかを考えてくれるので、そんなこと言わんでもええのに…アザス…になったところだ。
薬は様々で色々試した中に、中途覚醒せず緩やかに眠れて、かつ依存性の低い薬というものがあった。ただ、副作用に「悪夢」というオプションがついていて、そんなアホな〜と思っていた。が、薬のことをよく知っている人は正しい。悪夢をほぼ毎日見た。
大きなキリンみたいな生き物に食べられる夢、苦手な大きな蛙がぎっしり詰まった水槽をプレゼントされる夢、父親が上沼恵美子と腕を組む夢。個人的に最後の上沼恵美子と父親が肩を組む夢は面白いところもあったのだが、殺されそうになったり、何かに追いかけられていたり、必ずこなさなければならないミッションがあったり。何回か飛び起きたこともある。
でも、私にはもっと悪夢と呼ぶに相応しい夢を見ることがある。それも定期的に。薬を飲んでいようが飲んでいなかろうが、関係ない。
必ず月に一度か二度は見る。
その夢には必ずある人物が出てくる。
私が大学生の頃に付き合っていた恋人である。
付き合っていた、なのですでに過去形であるし、結果はお察しの通りだ。しかし、その「別れ方」や「付き合う」といった中で起きたことは、少しばかり普通とは違っていた。
細かい部分は割愛する。
とにかく、私は自分の家庭のことや自分のことを曝け出せる相手ができたこと。それに理解をしてくれること、自分が受け入れられて求められていること。その当時、家の中がガタガタだったこともあり、私にとって彼はおそらく、失ってはならない人だった。
でもそれは、あくまで、精神的な部分。私の弱いところを満たす水のような存在。確かに好きなところもあったんだろう(と思うほどにはなぜ好きだったのかはわからなくなっている)とは思うものの、最初から何かが破綻していた。
恋は盲目とはよく言ったものである。
渦中にいる人間は、周囲のこともその人のことも何も見えなくなる。それが、どんどん私の生活範囲を狭めていくことにも、私の自我がコントロール下に置かれていっていることにも、私は気がついていなかった。
さすがに、ん?と思うことがある時は、抵抗して黙って行動していたが胸を刺す罪悪感。どちらにも何も言えない、秘密を一人抱えて黙々と作品制作をする日々。けれど、その中に絶えないパートナーとの衝突。
私を支えていてくれた彼はどこへ?
でも、彼は最後に必ず謝るのだ。
小さな子どもが怒られたように、何度も夜眠る布団の中で、「ごめんね」と。
別れるぞ!となった日のことは覚えている。
その日は私の大学の卒展で、地元の友達たちが来て、そのうち一人は私の家に泊まることになっていた。母たちが一日早く私の家に来ていて、私はその日も、その人の家にいた。
何がどうなってそうなったかはもうあまり覚えていない。
口論になり、彼がカッターを手に取った。私を傷つけるためではなく、自分を傷つけるために。
今までも何度かあった。あったんかいという話である。でも、誰にも言えなかった。彼に、僕と君との間で起きたことを人に話す必要がある?と言われていた。馬鹿正直な私。視界が狭くなった私。アホがすぎる。
自分を傷つけようとする彼の手を握り、それを止めようとして揉み合いになった。
ベッドに投げられた私は、カッターを握る彼の手に首を絞められ、耳についていたピアスを引っ掛けられて痛かった。
勝てない。どうしても、自分が女性であるかぎり、異性である男の人の力には抗えない。ベッドで寝転ぶ私を見て、彼は急に冷静になったのだろう。
そのあとも、どうしたのかわからない。
怖くなった私は彼の家を飛び出して、自分の家に帰った。扉を開けた母を見た途端、私は子どものように大泣きした。
母は、動揺したように「何なん!どうしたん!」と言っていて、そりゃ二十歳も超えた娘が大泣きして家に帰ってきたらびっくりするわな、と今なら思う。
母が連れてきた足元でおろおろとしている愛犬。事の顛末を話すと母親の顔は真っ青になった。「それはDVやろ」
DV。ドメスティックバイオレンス。
頭が思考を止めた。そんなことはない、そんなことをする人じゃない。されたのに?
要はもう判断能力を失っていた。その日からしばらく、彼と会う約束はしていなかった。電話がきても、連絡がきても、母が来ているから、や友人が来ているから、と答えた。
そして友人たちがやってきた日。
バカな私は耳が痛い理由を忘れていた。恐ろしい話だ。何で痛いんだろうなくらいに思っていて、耳どうかしてる?と友達に聞いたりしていたら、幼馴染(男)が薬局勤めなので見てもらえば?と何もつけていないピアス穴を見せた。
炎症を起こしてる。耳の穴は傷口だから、何か強い力で引っ張ったりとか。どっかひっかけた?そう聞かれて、血の気が引いた。
連絡には出られない。そう言っているのにずっと来るLINE。電話。絶対にあの時のものだ、と思った。
付き合いが長いせいだろう。幼馴染は何かあった?と私の顔を見て察した。パートナーがいることは伝えていた。そのパートナーが、と小さい声で答える私に「え、やばいやん。何でそんなやつと付き合ってんの?」わからなかった。何でなのだろう。
それから、自宅に帰って、友人に相談をした。大学が同じわけではないし、ずっと信頼を置いている人だった。私は、こうなってまで、彼が大学で後ろ指を指される存在になることが怖かった。彼の暗示の支配もあった。でももう、限界で全部を伝えると、タイミングよく携帯が鳴った。
「冷静になれてないから言うけど。おかしいで。いますぐ別れた方がいい」
でもどうしたらいいのか、わからなかった。結局、友人が隣に座って、息を潜めて彼女が携帯のメモに打つままの文章を喋った。
何がどうなって収束したのかわからない。とにかく、別れることにはなって、長時間の電話は切れた。次の日の朝、市のホームページからDVについての相談の窓口に電話をしようと友人は言ってくれた。
寝てる間、私は魘されていたらしい。あまりにもかわいそうすぎて、辛かったと友人は言っていた。
それからは怒涛だ。
あなたはDVをされています。認識。相手の方がどういう行動に出るかわかりません。認識。一人で住んでいますか?兄がいる。では、お兄さんは相手の方の顔がわかりますか?わかります。ならば、家に来たら必ずお兄さんに出てもらってください。認識。可能であるならば、彼の知らないところに身を隠してください。認識。連絡先の全ては着信拒否、ブロック、ありとあらゆるものの繋がりを捨ててください。認識。
やること、多。
その間、友人はずっと連れ添ってくれていた。私の服は大半が彼の家にあり、これから県外の大学受験を控えていた私に、これを使いなさい、とお金を渡してくれた。涙が出た。恥ずかしさと、どうしようもなさに。
兄にはもし彼が来たらいないと言ってくれと伝えた。深刻な話をリビングでずっとしていたから、トイレにも行けなかった兄。その時だけは頼もしく、「任せろ。場合によっては殴ってもいいやつやな?」と言っていた。殴り返される可能性が高いな…と冷静に私は思った。でも、ありがたかった。
マブの家に転がり込んだ。事情をある程度説明しておいて、家に行くと、彼女のパートナーと電話をすることになった。彼女のパートナーは、一回り以上年齢が離れている。「子どもに解決できることじゃない。大学の信頼できる先生に連絡して、大人の協力を仰ぎなさい」まだ、私は事の大きさがわかっていなかったのだ思う。
どこか足元が浮いたままというか。担当の教授はつとめて、落ち着いた声で必要なことを聞き出していってくれた。やり取りの内容をデータで送ること。大学内での接触がないように段取りをすること、それからもし構内を歩くとしても友人と必ず動いて、一人にならないようにすること。
そこあたりぐらいから、あ、えらいことになってますね。という感覚になった。
彼にされたことについて、記述しなければならなかった。そんな…あるかな…と思っていたら、思っていた以上にあった。肉体的なDVも含め、一番の問題は精神的DVがあることだった。
行動の制限、人を決めつける言動、抑圧。かと思えば、泣いて謝る。市の窓口の人は言っていた。「こういうのってね、何回も繰り返すのが平均三回はあるんです。何回別れ話になりましたか?」「……三回以上は」ぞっとした。
私は私に自信がない。その時は特になかった。だから、私を愛してくれる人がいるなんて信じられなかった。好きになってもらえて、初めて自分が認められたような気がして、私のことをこんなにわかってくれる人がいるんだ!と思っていた。それが、私側からの依存の始まりだったのだ。
私は運が良かった。
周囲にアドバイスをしてくれる人や、冷静な判断をしてくれる人たちがいた。その頃お世話になった人たちには感謝をしてもしきれない。
県外の大学院を合格したら、お祝い会を地元の友達たちがしてくれた。幼馴染は「もし落ちてたら、地元戻っておいでって言うつもりやった」いや、男気………嬉しい言葉だった。
でも、この日から私には呪いがかかっている。
次に恋をするならという記事を書きながら、でももう、恋をすることはないなという確信がある。もちろんわからない。急に好きな人もなからかもしれないし、それはわからない。
でも、あんなに真っ直ぐではない恋をしてしまった私は、これから人を好きになれるだろうかの思うのだ。
悲観的ではなかったはずだった。
でも、必ず彼は私の夢に月に一度か二度登場する。大体が復縁を求められているか、彼に追いかけられる夢。目を覚ますと、身体が硬直している。最悪である。もう忘れてもいいはずなのに、定期的に現れるせいで、忘れようにもどうにも立ち行かない、お前、私の頭の中のドラマに隔週ゲストしてんじゃねーよ!!
私だって、誰かを好きになりたい。でも、そういう対象として人を見ることがなくなった。いい人だな、人として好きだな、と思うことはあっても、根本的な「好き」という感情が、どんなものだったか思い出せないし、人から聞く恋の話、人を愛すること、そういったものでしか自分の中に愛の形を留めておくことができない。
私がもし、誰かを好きになった時、それが正しい形をしているのか、自信もない。
人を愛すること、好きになること、それがどれほど美しいことなのか知っている。でも、私にはあの日から呪いがかかってしまった。
思い出しても、その時からこの人のことを好きになったことがない。ずっと蓋をしてきた。自分で呪いをかけてはならないと思って、そんなはずはないと思ってきた。
でも、限界だった。
私は悪夢を見る。
私のこれからの人生に、二度と登場しないはずの人が、何度も、何度も。
諦念だ。もうお手上げで、白旗を振っている。誰かを好きになりたい。でも、もうきっと好きにはならない。愛されたとしても、信じられない。
呪いが解けることは、あるのだろうか。