やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

最近観た映画の話

昨日は、カナダにいる友人から今暇!?と連絡が来て、大丈夫だよ〜と返事をしてしばらく通話していた。

時差はカナダが夜ならこちらは昼間。真逆なのだが、私の仕事は水曜日からなので、ちょうどいい。

彼女は映画やマンガ、色々なものが好きで、大体話しているとおすすめのものの話になるのだが、そこで映画の話になった。私がいいよ〜とおすすめした映画はA.Iである。

私はやるべきことをやりつつ、彼女と話したあと、久しぶりに観たいと思ってA.Iという映画を観た。

 

A.Iという映画が公開されたのは2001年。スティーブン・スピルバーグが監督をしていて、主演はシックスセンスでも有名なハーレイ・ジョエル・オスメント

私の母は週末なりなんなり、子どもをよく映画館に連れて行く人だった。私はアニメ映画の方が好きだったが、選択権があまりなく、母に言われるがまま、連れられるがまま映画を観に行く子どもだった。

公開当初、映画というものをあまり好きではなかった私にとって、このA.Iという映画、苦痛でしかなかった。ストーリーとしては、その世界はすでに人間という生き物自体が、住むところも限られ、ロボット科学が発達した世界。そこで、生み出されたAIロボットが主人公となる。

息子が植物状態にある夫婦の元に、そのAIロボットは子どもとして迎え入れられることとなる。あまりにも精巧に作られた主人公、デイビッドに戸惑う母であるモニカ。それでも愛情を持つ少年としてつくられたデイビッドと彼女の距離は少しずつ縮まっていく。その最中、実の息子が目覚めることとなり…という感じでお話が進んでいく。

このA.Iの映画の中に出てくるロボットだが、とにかく見た目が怖い。スピルバーグ、鬼か?と思うほどに、その人間の形をしているけれどロボット、という生き物としての描き方があまりにもリアルで怖いのである。

この怖さなんだ…?と思って大学生の頃調べていたら、スタンリー・キューブリックが企画したものであったらしい。あ〜なるほど!なるほどね…である。スピルバーグが結果、彼の遺志を尊重したということなので、あ〜ウン…ウン…とスタンリー・キューブリックの映画作品を知っていると納得の諸々だ。

 

幼少期の私は、映画を観ている最中、モニカの実の息子であるマーティンがデイビッドに意地悪をする描写があったり、とにかくデイビッドが辛い思いをするシーンがあったりで、こういうものを観ていると感情移入が進んでしまう私は映画館で吐いた。ちなみにロード・オブ・ザ・リングを観に行った時も吐いた。めちゃくちゃ吐くやないか。それでも諦めずに娘を映画館に連れて行く母の気持ちって何なのだろう。

それはともかく、ファンタジーや見たことのない気持ちの悪いものへの耐性があまりにもなく、デイビッドのことを思うと私は辛くてどうしようもなかった。

こういう辛い気持ちがとても大きい映画だったので、もう一度ゆっくりとこの映画を観直すまで、私はA.Iという映画に良い記憶がなかった。

 

トラウマみたいなもので、しばらくは避けていたが久しぶりに観ようとなったのは大学生の頃だったと思う。時間かかりすぎ問題。でも本当に良い記憶がなくて。

そして、もう一度ゆっくり観直すことになって、ようやく最後までを見届けたのだが、こういう話だったのか、と納得したと同時にすごいいい映画だ…と私はしみじみとした。

それ以来、人に良いですよ、と勧める映画の一つになっている。

大学生になる頃には、私はSFジャンルがかなり好きになっていて、それも一因としてあるだろう。インター・ステラーでも同じであるが、長い長い時を経ても、何かを救うものは、言葉で理由のつけることのできない「愛」という感情であったりする。それを信じていたい人間の感情もあるのだろうが、私はどうしても何をしても、普遍的に存在してしまう「愛」が描かれているSFが好きだ。

もちろん、科学的根拠に基づくトリックが散りばめられたものも好きではあるが、結局のところ誰か、何かを突き動かす「愛」が寂しくて美しいと思ってしまう。

 

このA.Iであるが、最後かな?と思ってからが長い。そして、そこがとても良いのだけれど、また久しぶりにこの映画を観た私は、嗚咽が出るほどに泣いた。泣いたから良い映画ということもなくて、ただ、デイビッドが心から望むものが「母」である存在で、それはある意味、彼のプログラミング上では「愛情を持つロボット」という部分にある執念にも近い。それでも、彼は理由もわからないまま涙をしたり、怒ったり、どうしたらいいのかわからなくなったりする。この、人間なのか、ロボットなのか。その境目すらわからない間で揺れる感情の、こわさと愛おしさたるや。あ〜思い出してまた泣きそう。

 

旅のお供は、デイビッドが迎え入れた夫婦の息子のおもちゃだった熊のぬいぐるみテディ。テディは高知能の玩具「だった」。時代が進むにつれて、科学は発達し、デイビッドのような存在がいるからそりゃそうだ。

映画を観た当初、やっと可愛い生き物が出てきたぜ〜と安心していたら、声が全く可愛くなくて、嘘じゃん!?となって、おじさんだよこれは!と騙された気持ちになったのを覚えている。今聞いても、こわいわこんな声…と思うのだけれど、このテディ、高知能の玩具「だった」だけのことはある活躍をする。彼は、玩具だ。感情があるわけじゃない。でも、ずっとデイビッドに寄り添い続ける。デイビッドはそれに不満を持つことはない。だって互いにロボットだから。これがまた、すごいなと思う。

そして、もう一人。心強いお供となるのがセクサロイドであるジョーこと、全盛期の美しさを保つジュード・ロウである。彼はセクサロイドなので、女性を満足させるためのロボットである。このジョーが〜すごく格好いいんだよね〜。ジョーはデイビッドにロボットはなんたるかを説き続ける、ロボットとしての大人のような役割を担っている。ジョーが最後までデイビッドを守る存在であり、そしてまた、違う生き方をしたロボットでもある。彼はデイビッドを見守り続けた最後、「I am」と言うシーンがある。これがすごく、すごく良い。

 

とまあ、A.Iの色々を話したのだけれど、実際のところはもし見る機会があれば、自分の目で確認してもらえたらと思う。私は、この映画が嫌いだったけど、とても好きなものになったし、そこらに散りばめられている色んな意図をまだすべてわからないな、と思う。でも、聞いてみたい。この映画を観て、自分以外の人は何を思ったのか。

 

とまあ、最近観た映画の話でした。映画はとても好きなので、また何かの映画の話ができたらいいなと思います。