やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

自分を守る話

 

連続日記を!すぐに最近サボってしまうようになった!でも、すみません人間なので…と毎回割と同じ言い訳をしている。最近は情緒がガタガタで何をするにもヨッコイショ!以上の気力が必要になる。

 

こういう時、自分で自分を守るしかないんだよな、という気持ちになる。

自分の不安の原因はわかっている。どうにかなるとわかっていても、不安で心が捩れそうで、毎日そういうことばかりを考えている。頭の中から消えろ〜と思っても、気付けばそこに行き着く。人間って、どうしてこうも…。こういうことは、大体他のことをしていれば払拭できる。お金をかけずに楽しめること、自分の好きなこと。色々の予定を延期にしてもらっている私が、楽しみま〜すと返事をしたら、頑張るなとメッセージをくれた友人がいた。

頑張らない。でもこうなったツケは自分にあって、頑張らざるをえないとも思ったりする。これが最悪の循環!地獄!

 

私は、人が好きだけど苦手だ。

嫌いじゃないし、苦手。嫌いと苦手には大きな違いがあって、好きなのに苦手なの?という話になるが、苦手は苦手なのだ。この苦手って、マイナスな言葉だけれど、そうとしか言いようがないな〜と思っている。

どんなに仲が良くても、本当に考えていることがわからない。そして、私は心から本当に困っていること、どうしようもないことを人に話すことがとてもじゃないけど、できないこと。それを思わずこぼしてしまった時、相手がどう思うのだろうと考えると、そんなことは怖くてどうしようもない。それでも、こんな私と友達でいてくれたり、話し相手としていてくれる友人たちには感謝しかない。

 

私の知り合いの人で、かなり年上の面倒見のいいお兄さんがいる。きっかけとしては、大学院生の頃、教授の友人として紹介されたことだった。そのお兄さんは、二人組のユニットとして活動をしていて、その二人ともが独特で変わった人たちだった。

出会い頭、そのお兄さん(以下坊主とする)は、離婚調停中だった。そんなことある?と思ったが、展示搬入手伝い後の食事、何なら打ち上げですよ!みたいな空気感の中で、坊主は「ちょっと異性の考えを聞いてみたいんだけど」と、相談をしてきた。学生に離婚のことを相談すな〜。坊主から事情を伺い、一応私はこう思いますよ、を伝えて、彼は、そういう考え方ね!?みたいに目から鱗だわとか何とか言っていて、いや、そこじゃない…?と私はものすごく思ったのを覚えている。

展示搬出で再会したら、その坊主は離婚していた。スピード感。F1並の速さじゃん…。でも、そういうことって他人がどうこう言うことでもないし、あまりの速さに私はただただ驚いているだけだった。

その坊主だが、この出会い以降、何かあると連絡をしてくれるようになった。

手伝ってほしいことがある時、インスタグラムの投稿を見て何か思った時、用事はないけど近くにいるから飯行こうぜと誘ってくれる時、などなど。よくわからないけど、面倒を見てくれるお兄さんが一人増えたような気がした。

この人は、私の思うことや話すことをくだらないと一蹴するようなことがない。

二人組のユニットで作家活動をしていると言ったが、片割れ(以下イケメン)の人も同じである。イケメンはとにかく何を考えているかわからない、飲むとひょうきんになり、ただ、かなり小狡い人間であると私は判断している。実際、めちゃくちゃ頭がいい。要領がいいに近いだろうか。この坊主とイケメン、友達みたいなメッセージを送ってきてくれる。でも、年下だからどうといったように私を扱うことがなくて、それに甘えているのは私の方なのだと思う。

 

よくわからないけど、住んでいる圏内が一番近いということで、イケメンが結婚する際、共通の知り合いは坊主しかいないというのに結婚式に招待された。コロナ禍であるので、仕方のなないことと、多分大学院の研究室代表みたいな感じだろう。

この結婚式、私はアウェー前提だったので、どうなることかと思ったが、二人の大学生時代の同級生の人たちのテーブルに混ぜられていたのと、坊主の隣だったのでかなり安心した。人見知りはないので、同じテーブルの人たちと色々を話しつつ、ただ、私と坊主には歳の差がかなりあったため、どういう関係!?と疑われた。何もない。強いて言うなら、本当に知り合いというか親戚のお兄ちゃんと小娘みたいな…周りの人たちは納得していた。だからそういう距離感ね〜はいはい、みたいな。

この、坊主が前に一緒にご飯に行った時に言った。「俺は人のこと好きだけど苦手だから」聞いた瞬間、またこの人は…と呆れた気持ちになったが、今ならわかる。

 

坊主の場合と、私の場合では異なるだろう。

でも、坊主は誰かと一緒にいることを選んで、それがうまくいかなくて、一緒にいないことを選んだ人なのだと思う。そこにあった、人と一緒にいること、は彼にとって、好きだけど苦手だと思わせる「何か」があったのだ。私に知る由もないことである。

その苦手さと、私の苦手さの根底にあるものは、きっと一緒にいることを選んだか選んでいないかの違いがきっとある。私は、誰かと一緒にいることをずっとではなくて、タイミングが合ったら、という選び方を今はしている。タイミングが合って、それで一緒にいて、楽しくなったり、不安になったり、そうして感じる一緒にいたいのに、自分が折り合いを見つけられなかったりする。自分、人は好きだけど、得意じゃないんだよな、と思う。

坊主は、一緒にいることを選んだ。選んだうえで、成り立つ契約条件みたいなものがあって、それが噛み合わなくなって、一緒にいることをやめてしまった。彼は、向いていないのだと思ったのだと思う。それが、苦手さの根底。

 

自分を守ること。

いけるかもしれない、大丈夫かもしれない。そういう自分の判断は、大体信じられないものになった。だって、今も大丈夫ではないし。だから、いけないかも。大丈夫じゃないかも。そう思うことは、とても大切なのだ。

ネガティブな言葉に見えるだろうな、と書きながら思っている。でも、これはかなり私にとってはポジティブな考え方だ。今まで、いろんなことに大丈夫!とたくさん言ってきた。友達にも、親にも、自分にも。でも、大丈夫じゃないよ!って言ってもいいんだ。その発見って、それこそ私にとっては目から鱗のことだった。人は好きだけど、苦手。自分を守らなきゃ、と思う時、大体私は色んなものから勝手に何かを感じ取って、勝手に不安になっている。絶対に人のせいじゃない。でも、だからって、自分を守らなくていいなんてことは、ないのだから。

 

今日は今日とて、やるべきことを昼間から動き回って済ませてきた。

明後日は久々の出勤。それも不安で今からどうしたもんか〜と思っているけれど、行ってしまえば全ては払拭される。

今日もちゃんと眠れますように。明日は少しでもいいことがありますように。自分のことをちゃんと守ってあげられますように。祈るような気持ちで、夕食の支度をする。