やわらかい

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お葬式の話

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先々週のことである。

父の兄、私の叔父にあたるその人が亡くなった。

父と二歳しか変わらないその人は、あまりに早く亡くなった。父は、母と調子が悪くなったことを聞いてすぐに会いに行っていた。私は手紙を書き、父と母に託し、帰って来た母は父が泣いたのだと呆れたように言っていた。

まあ、泣くだろうよ。

自分の立場を思うと、そりゃそうだろうなと納得のことだ。母は「辛いのは奥さんと叔父さんやのに!」と言っており、それもそうだが、父は血の繋がった兄なのだ。まあまあ、と母をいなし、帰ってきてからも泣いている父にそっとお茶を淹れた夜。それから数週間。叔父の容態はみるみる悪くなり、訃報が届いた。

 

斎場の空きがなく、葬儀は一週間後に。カチコチにして保存しておくってコト……!?世間知らずのちいかわになった私は驚きつつ、母は家にいる祖母のこともあり、私が父に付き添って叔父のお葬式に参列することになった。

 

一週間の間、私は以前の職場の同僚の友人と、お世話になっていた教授の知り合いであるお兄さんと会って、色々と話をした。刺激のない日々を送ると一気に老ける。歳を取るのは嫌じゃないけど、老けるのはなあ。三人で大阪の喫茶店でそんな話をしながら、最終的にポケモンセンターの入っている建物でスタンプラリーをした。

その時、お兄さんこと坊主は、兄弟の話になり、「無条件でなぜか妹が可愛いのだ」と話していた。家族は難しい問題で、坊主にはお兄さんもいるそうだが、そちらとはそこまで仲が良くないと言う。難しいよね、家族ってさ。三人でそんな話をした。何がどうってわけじゃあないけど。

 

新幹線のチケットを取り、父が何かに不便さを覚えないよう、色々な支度をした。主にまあ、交通網の方だが。私は土地を転々としているし、旅慣れているが父はもっぱら車での移動が多く、新幹線に乗るのもいつぶりかといった話である。

モバイルSuicaの私は、自分のICOCAのカードがあることを思い出し、父にこれで行きましょう、と切符などを買う手間暇を省いて、いざ関東へ。

 

私と父は、二人になると静かなものである。

話すことがあれば話すが、お互いに静かなことをさして気にすることもない。新幹線であまりに尻が痛く、イテェイテェと言う以外は静かな旅路であった。

 

父の兄。その叔父には、私は三回しか会ったことがない。曽祖母のお葬式、それから父の両親にあたる祖父母のお葬式。父は三兄弟なので、父の弟の結婚式…で…会ったような気もする。いずれにしても、無口で不器用で、体ががっしりしていて、ちょっと子どもが話しかけるには緊張しちゃうかな〜!みたいな人。

ゆっくり喋ったのは、私が大人になってからの祖母のお葬式くらいのものである。

ちなみに、それで言えば叔父の奥さんである叔母には幼い頃の曽祖母のお葬式で会っているらしいが、当時私は三歳にもならないような年齢で、ほぼ初めましてになる。

父の電話口から聞こえる叔母の声はいつも気丈で、すごいものだな…と感心していた。

 

ひとまず乗り継ぎの品川駅に着くと、父が明らかな都会に緊張しているのが目に見えてわかった。どうしてあげたらいいのかわからず、連れ回すのもな…と駅のすぐ近くの建物でご飯を食べた。かの有名なつばめグリルである。

そこでも父は落ち着かない様子で、爪楊枝がない…と畏まったように呟いていた。つばめグリルにはないわな。あまり見ない父の姿に可愛いなと思ってしまったことは内緒だ。

 

母と二人で旅行、というのも夏に母の友人と母と行ったのが初めてで、今回も父と二人きりでの遠出は初めてだった。これが楽しい旅ならもっと違っていたのだろう。

けれど、この旅はお別れを言いに行くための旅。

父は時折、遠いところをぼんやりと見つめるような顔で、色々と思っているようだった。

 

父とホテルにチェックインすると、叔母が迎えに来てくれ、先に叔父の顔を見に行くことになった。そこで、父の弟であるもう一人の叔父が来ることを知ったのだが、ここもまた複雑な話。叔父(弟)は悪い人ではないのだけれど、少し気難しい。次男の父は板挟みになりながら、よく色んなことをやったものだと大人になった今だからこそ思う。

 

叔母とは「初めまして」と挨拶をすることになった。式場へ向かう道中、私が書いた手紙にお礼を言ってくれ、曰く叔父はニタァ…と笑いながら読んでいたのだそうだ。可愛いな。

父と母が会いに行ったその日以降、叔父は起きている時間が減り、食べ物も食べなくなっていってしまい、ちょうどよかったのだと叔母が寂しそうに笑っていた。

 

私も会いに行けば良かった。

そうは思ったけれど、全てはもう終わってしまったことだった。なんとも言えない気持ちになって、鼻の奥がツンと痛んだ。

 

父と式場に入り、遺影と並ぶ花、棺の前に立った。

叔父は祖母によく似ていて、多分フォトショで加工したんだろうなあみたいな、青空バックの真ん中で口をまっすぐに結んでいた。いや〜おばあちゃんに似てる。

線香を上げて、顔を見ることになった。父は嫌やったらええで、と言ったけれど、見るつもりだったので叔父の顔を小さな窓を開いて覗いた。

思っていたよりも痩せていなくて、でも、どこか固そうで、中身が何もないのだろうとわかる、そんな冷たさ。いつも不思議でならないことだった。どうして、体が、心臓が、すべての働きが止まると、人はこうして「からっぽ」のように見えるのだろう。

父は、綺麗にしてもらってる。と、小さく呟き、しばらくそこを離れなかった。

 

そのうち、叔母の妹家族が来て、軽く挨拶をして、私たちはホテルに先に戻った。

この時会った妹家族の姪御さんがとても可愛かったので、どうにか友達になれねえかな〜などと言いつつ。

ちなみに翌日、無事に斎場に向かうバスの中で話すこととなり、ナンパのように連絡先を交換することに成功する。妹さんのご家族は長女が私と同い年らしく、それもあったのか妹さんと行き帰りのバスの中でキャキャ!と話し、打ち解けた。大きな収穫である。

姪御さんにお仕事何をされてるんですか?と聞かれて、無職です……と答えることになったのだが、「美容師さんかと思いました!すごいオシャレやから!」と言われて慌てふためくも、ありがてえ〜〜!と舞い上がった馬鹿正直者である。でも、無職です。

 

そして、式の当日。

叔父(弟)の息子は今小学校の五年生で、私とはかなり歳の離れた従兄弟になる。どうやら今回で私のことを従姉妹のお姉ちゃんと認識したらしく、「いとこやで、いとこ」と言うと「血が繋がってるん?」と尋ねてきたので、そのとおりですと答えた。

子どもは純粋なので、お姉ちゃんは何歳?と聞かれて、ええと…◯◯歳だよ…と答えたら、自分の歳と年齢差を数えており、その歳の差に驚いていたので、「ずっとお姉ちゃんと呼んでくれ!」と私は嘆願した。

 

ものものしく始まるお葬式。

お経を聞くのが結構好きな私は、今回はどういうタイプかな…と思いつつ、お坊さんではないスーツスタイルのおじさんが前に出てきたのを見て、初めての宗派だ!?と勝手に興奮していた。興奮すな。

南無妙法蓮華経。あ〜これね…と思い手を合わせていたら、合唱が始まった。

知らん知らん知らん!!!!!私、さすがに唱えられん!!!

合唱タイプは初めてだった。南無妙法蓮華経しか唱えられない私は小声でそれだけを唱えることにした。最後のCメロくらいで、南無妙法蓮華経の三回繰り返しがあったが、もう一回あるかもと言いかけたら、読み上げの代表おじさんのソロだった。あぶな。

 

そのあとは、棺にお花や生前に好きだったものを詰めて行く、という流れだ。

 

叔父の好きだった煙草。父と同じそれ、そして、祖父と同じショートホープ。相撲の雑誌、愛読書の本。お酒が好きだったから、好きなおつまみだったチップスター。それから、花の蕾にお酒をつけて、飲ませてあげた。

叔母はとても気丈に振る舞っていた。覚悟もしていたのだと話していた。日に日に、生きている人の顔ではなくなっていくでしょう?だからね、と話しながら、この人は毎日いつ、どんな時にお別れが来てもいいように日々を過ごしていたのだろう。

 

そんな叔母が、最後に顔にそっと指を伸ばし、冷たいそれに触れるとほろほろと涙を落とした。愛おしそうに髪に触れる指。大切なものを触れる時って、こんなにも優しいのだと思うような、そんな仕草だった。

とても美しく、綺麗な瞬間だった。

叔父との思い出など数えるほどしかない私は、なぜかそれを見て涙が出た。ああ、愛ってこういうものなんだ、と。私の知らない叔父。その人と添い遂げた人。愛情を心を交わした人。他人でもわかる、深い、深い、何か。

泣いている叔母の腕に手を伸ばした。

叔母は、軽く私の手を握り「ごめんねえ」と泣きながら笑った。昨日初めて会ったのに、不思議な瞬間だったように思う。

 

父も泣いていた。叔父(弟)は「俺は触られへん」と、苦い顔をしていて、だろうなあと思った。

 

あとは、骨となり、灰になる。

体格の良い叔父の骨はびっくりするほど立派で、骨、デカ!になった。骨上げの時、隣に立つ小五の従兄弟に「怖くない?」と聞くと頷きながら「三回目やからな」と、返答された。

なんちゅうシビアな回答。思わず笑ってしまった。「私は怖かったなあ」と言うと、「そう?」などと、けろっとしたものだった。

 

 

帰り道、父は静かだった。

疲れもあったのだろう。私も新幹線で爆睡した。ただ、一言「早かったなあ」と、言った時、私はそうだねえ、としか言うことができなかった。

私の知らない叔父の話もたくさん聞いた。やっぱり、もう少し会う機会や話す機会があれば良かったのに、とも思ったし、でも、これ以上の近さがあったら私は私で父に付き添うことができなかったかもなとも思った。何せ、感情の振れ幅が人より極端だから。

 

お線香の香る、からだ。

昔はこれが嫌いでたまらなかった。いつの間にか、その匂いは嫌いではなくなっていて、私は「この世界からいなくなること」になぜか心を揺らされている。

家に帰ると犬がずっとあらぬ方向に目をあちこちやり、不思議そうに首を傾けていた。

叔父さん連れて帰ってきちゃいましたかねえ、と笑った。

 

叔父はまだ、あの世とこの世の間を旅しているだろう。四十九日が経ち、無事に祖父母に会えると良い。

優しい別れ、触れていた愛。私はきっと、あの瞬間のことを忘れないだろうと思う。