やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

母親とその友達と旅行に行った話

ナチュラルに昨日、お日記を書けずにいました。人間なんでね〜。

 

で、今日のお日記の話だが、先々月のことである。

休職中、関西の実家に一度帰ることになり、帰省をした。関東から地元までがかなり遠いことを忘れていて、新幹線すげ〜時間かかる〜と思いながら帰った。一番最寄りの駅は、乗り換えると三十分に一本しか運行していないので、その乗り換え前の駅でいつも母か父に迎えに来てもらう。

両親には、病気になったことや休職になったことを黙っていようかと思っていた。けれど、そのタイミングで、幼い頃から、母の口から名前をよく聞いていた友人が亡くなったという連絡があり、コロナ禍ということもあって親族のみのお葬式で終わっているから、お線香だけでも上げに行きたいとメッセージには書いてあった。

母は、会えるうちに会いたい人に会うべきだとも書いていて、それは本当にそうだなと思った。

その友人の人は、関東に住んでいる人だ。それなら、私の家を経由して行けばいいんじゃないか?と考えた私は、帰省する旨と、自分の色々のことを伝えたうえで、提案をした。

じゃあ、こうしようとなったのが、関西から私の家に戻るのを、間にどこかで一泊をして、それから母の友人の元に行き、もう一度私の家に帰る。この私の家に帰る、というのが私にとっては苦難となってしまうのだが、それはさておき。

 

じゃあ帰ります。と、駅に着くと父が迎えに来ていた。父はたまにこの日記にも出てきているが、喫煙者だ。「もう煙草は吸ってへんのやろ?」と、私が車に乗ると吸っていたそれを灰皿に押し付け、静かにどうなんや、と事情を聞いてくれた。父とはあんまり芯を食ったような話をしない。私の話を聞き終えた父が、小さな声で「帰ってきたらどうや」と言った。初めて聞いた、父のあまりにも弱々しく、柔らかい声。多分ずっと、父がそう思っているのだと思って、どきりとした。

でも、それは無理だなと、思った。曖昧に濁した私を、きっと父は残念に思ったことだろう。妙な空気だった。片道車で十五分ほどの帰路が、ほんの少しだけ息苦しかった。

 

それから、日にちはあれよあれよと進み、母との旅行の日がやって来た。予定をよくよく聞くと、この旅行には、母の友人が同行することになっていた。私はあまり人見知りをしないので、何ということはないのだけれど、初めて会う人、それも母の友人と旅行か〜変なの。と思いながらその日を迎えた。

一言で言うと、その母の友人はとても可愛らしい面白い人だった。大らかで柔らかい、関西人にしてはあまりえげつないなと思うような雰囲気の人ではなくて、少し天然で、子どもみたいな可愛い人だった。

私はその日豹柄のワンピースを着ていたのだけれど、下品じゃなくて可愛いわあと褒めてくれた。よくよく聞けば、その母の友人はアパレル関係の仕事を元々はしていて、その昔は読者モデルをやっていたらしい。そんな人友達にいたんだ!?私は母のことをあまり知らない。

昼は、中間地点の辺りで蕎麦を食べることになっていた。蕎麦屋は静かで、私、母、母の友人、それから私たちの後に一組の夫婦がやって来た。私たちは呑気に色々と話していたのだが、その夫婦の男性がすっと立ち上がったかと思うと、「ちょっと静かにしてくれへんか」と言ってきた。すみません、と謝ったものの、沈黙の大人三人。

いつもより、なんとなく嫌な感じがした。自分に非があるなと思う時、私はそういった感覚を受け付けないし、恥ずかしい気持ちになる。私たちが悪いのもそうだけれど、マスクもつけていたし、でもきっと、女三人で、彼の目から見て一番若い私の見た目が良くなかったんだろうなと思うような、これが男三人ならあの人はきっと何も言わなかったんだろうと、なんとなく思うような。蕎麦の味、見事にどっかにいった。くそーと思った。久々に。

 

それから最悪なことに、寒暖差アレルギー持ちの私は、その日は最終的にずっと鼻水がずるずるだった。母の友人はそれをしきりに心配してくれていて、それ用の薬を私が持ってくるのを忘れてしまっていたので、ものすごく心配をかけた。

宿に着き、母は母できっと話したいことがあるだろうと私は近くを散歩することにした。平日ということもあり、人は少なく(というかほぼおらず)お土産屋さんの人に挨拶をされるも、奇妙な顔で見られた。自覚はあるので……ゆっくりと散歩をしながら、部屋に戻った。会話にはまあ入らんでもええやろ、と耳に挟みつつ、私は本を読んで適当に時間を過ごした。

二人の話は最近の家のことから、何から何まで。私があまり聞いたことのない母の本音がぼろぼろ出ていて、あんまり聞かないようにしていても、あ〜こりゃこりゃと思うようなこともあり。でも、母が何かをどう思っているかなんて知らないから、友人といるとこんな話をするんだなと思った。

 

母の友人と二人きりになることもあった。私があまり昔の話を聞かないからと伝えると、色々話してくれた。二人で鎌倉に遊びに行ったこと。どこかに遊びに行った時、ホテルの対応があまりにも悪いから、母の姉の家に押しかけたこと。電車に乗ればよかったのに、なぜか徒歩で山を越えたこと。私と変わらないような、どこにでもありそうで、若い頃の母の話。どれもこれも、初めて聞くことばかりで、母の友人が話してくれるのを、母はたまに説明の補足をしたりしつつ、でも自分ではあまり話さなかった。照れてんのかいな。こっちまで落ち着かね〜。と、思いながらバイキングでもりもり食べた。

 

母の友人は、パートナーの人が単身赴任中で、基本的にずっと海外にいるらしい。それに着いていくこともあったが、今は別々で暮らしているのだそうだ。めちゃくちゃおもしろい写真あんねん。と、見せてくれた写真は、パートナーであるその人がどこの国だったか忘れてしまったけれど、パーティーでその国の正装をすることになり、(確かシンガポールか中東系のどこか)その姿が現地人みたいで笑えるというものだった。そもそも、その人のパートナーも初めて見ることになったのだが、写真を見て私はめちゃくちゃ笑った。髭、体格、全てがフィットしていた。いるんだよな、たまにこういう人。

知らない人の写真を見て笑っている自分も変だなと思ったけれど、楽しい時間だった。

 

翌日、友人宅に向かう二人を見送り、私はさすがに弔問にはいかがなものかという服を着ていたので、一緒に来たら?の提案を断って、また知らない土地の近所を散歩することにした。何の話をしていたのかはわからない。母が何を思ったのか、母の友人が何を思ったのか。でも、友人が亡くなってしまう悲しさは、私にでもわかる。きっと、大きな穴が空いた気持ちになる。

去年の夏、私も友人が亡くなった。こんなに早い別れがあるのだと、妙な心地で彼女の地元の土地に立ち、知らない駅で、知らない人たちに囲まれて、どうしていなくなってしまったのかもわからないまま、そこにいた。実感など、わくはずもない。記憶の中より大人びた顔、でも私の知っている彼女。ただ、そこにはもういない。

 

母の友人は、そこの最寄りの駅でお別れの予定だった。乗りたかった電車には間に合わず、でも大らかなその人は「帰れたらええねん」と笑い、「丸いちゃんがはよ元気になれますように。またおばちゃんとあそぼな!」と駅へと走って行った。

 

妙な二日間だった。普通に多分私は疲れていたし、そのあと、私は結構散々な精神状態に陥り、母と妙な感じになったりするのだが。それに関しては申し訳なさと、でももう許してくれよ〜という気持ちがある。半々。割と前者への申し訳なさが勝つ。最低だなと思うことも言った。でも、自分を守れるのが自分しかいないのも本当で、最後はめいっぱいきちんと甘えて、お礼を言った。お礼と謝罪しかできなくていつもごめん。

 

この旅行、良かったか悪かったかはわからない。でも、母が私に旅行に行こうと言ってくれた気持ちは大切にしたいものだったし、私はなんとなく、その日のことを忘れないのだろうと思っている。