やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

友達の話



今日は何のお日記にするかねえ…と思いながら、前にも記事に書いた手紙を整理していたらギャルからの定形外サイズ手紙を読むことになった。そのギャルであるが、私の大学生時代の同期である。

 

初めて会ったのは、大学の研究室。一年生の頃、実習は分野に分かれておらず、一年生用の研究室が実習室の隣にあった。画集やら、物品やら、制作に必要な物品などの貸し出しがされていて、私は当時の助手さんと話をするのが好きで、用事がなくても研究室に行くことがよくあった。

助手さんに呼び出されることもあった。別に、その人自身に何かしらの用事があるわけでもなく、実習室で制作をしていると「暇やから来い」と言われ、暇やから!?こっちは制作をしているが!?と思って、断っても、「おい早く!」と言われ、結局私が根負けして研究室に行くことが度々あった。

「なんか話してて」なんか!?これやから関西人は…自分のことも棚に上げて、他愛のない話をしたり、研究室にあるパソコンで作家の映像作品を見たり、DVDを見たり、色々した気がする。

一番笑ったのは、友人たちと「どっか旅行行きてえなあ〜」と言っていたら、連れてったるでとサムズアップした助手さんがグーグルアースで海外の土地を巡り始めた時だった。みんなでピラミッドを見に行った。何の時間やねん。

 

そんな研究室だが、そこで私はギャルとファーストコンタクトを取ることになる。

ギャルは、一年生の担当の教授(私の恩師となる人だ)と、その助手さんのことをあだ名で呼んでいた。つえ〜…入学当初からキンキンの金髪だった彼女はいつも化粧がバッチリで、作業着がニッカポッカだった。こえ〜。自分では仲良くなることはまあないかもな…と思いつつ、用事があって研究室に行くと、あとからギャルがやってきた。

ギャルはアイス片手に現れ、ウオ!となっている私を横目に、助手さんが「お前ら地元近いんやで」と教えてくれた。どちら出身ですか?と多分敬語だった私に対して、彼女はガリガリくんを握りながら、出身地を答え、私も答えると「ヤバいとこやん!」と言ってきた。ヤバくない。

色々話をしていたら、ギャルがアイスを差し出してきた。「食べる?」この人いい人かもしれん…。当時、私はかなり人への信頼度のハードルが低かった。ギャルという見た目に相反した優しさにあっさり手のひらを返したのである。

 

それから、分野は違えど交流が始まるようになった。見た目こそ派手ではあるものの、彼女はとても慎重で、人との距離感の取り方がとても上手で、普段の生活も純真で真っ直ぐな人だった。何かにつけてある飲み会には、現れる確率は五分五分。こういう時、ウェ〜イ!というノリでやって来るのかと思いきや、お酒も飲めない。煙草も吸わない。人を見た目で判断してはならない。大学に入ってから学んだことの一つでもあるが、彼女の存在はとても大きかったように思う。

そして、誰よりも真面目だった。言葉遣いはメールのやり取りをしても、文字を見ても、あ〜この時代のギャル!という感じで、難しい言葉は並んでいない。でも、とにかく真面目で、実直な嘘のない言葉が多かった。その真面目さに、私はちゃんとまっすぐ応えるべきなんだと思っていた。悩んでいること、思うことに対して、私はこう思うよとか、そういうことをきちんと伝えるようになった。

 

ギャルはよく私に対して「丸いって賢い」と言ってくれるようになった。別にそんなことはない。今でもめちゃくちゃ思っている。先生みたいやし、バカな私でも丸いの言うことわかるもん、と言う。私は、彼女がバカだと思ったことは一度もない。バカやからさあ、とよく言っていたのを覚えている。その度に、んなことねーわ、と思って、ギャルはバカじゃない。なぜならこうだし、こうだから…と説明をした。

そんな彼女が、二十歳の成人の時にくれた手紙があった。

色紙二枚分くらいの大きいかためのボードに、絵と彼女の手紙がしたためられたものである。もらった瞬間、でっか〜!と笑ったのを覚えている。ギャルは恥ずかしいから絶対家で読んでなと言っていた。私もその恥ずかしさは知っているので、家に帰って読んだ。

 

そこには、その当時の私に対しての色々と、彼女が考える「友達」についてのことが書かれていた。

友達って言葉あるけど、私は正直よくわからへんのよな。どこからが友達で、どこからがそうじゃないんかはわからへんし、わかってもたらもったいない気がする。やから、はっきり丸いのことを友達!って私は言わへんけど、信頼はめっちゃしてる。丸いは、丸いやし。

ほらな〜ぜんぜん、バカじゃない。こんなに当たり前にある言葉に対して、真剣な気持ちがある。友達って何だろうな。彼女が人と良い距離感を保っている理由が、少しだけわかるような気がした。大切にしていたいのだ。きっと、この「友達」って名前をつけることのできる人たちを。

それ以来、私もなんとなく「友達」って何かなと思うようになった。使いやすいから、友人、とか友達、とかそういう言葉を使うけれど、自分の中できっと、どこかでこの人は友達、そうじゃない知り合い、と区切りをつけているはずなのだ。この曖昧さは、私にとっても大切なことなのだろうと思ったからだ。

 

彼女は、今でも何か悩んでいることがあると「話聞いてほしい」と連絡をしてくれる。これ知ってる?とか、こういうの知りたいんやけど〜とメッセージが届く。私も唯一特技として言えるだろう記憶力をフル総動員させて、答える。力になれているとはあまり思わないから、お礼を言われたりすると私は携帯の前でちょっと泣きそうになる。

先に仕事で関東に来ていたギャルは、私が関東に引っ越すことになって、待ち合わせの駅で久しぶりに会った瞬間「丸いがおるとか最高!めっちゃ無敵やわ!」と言った。何だそれ、と思ってツッコんだけれど、私はその時も泣きそうだったのを覚えている。

彼女の中で、「友達」という言葉がどう落とし込まれているのかはわからない。けれど、私が友達じゃなくても、それでいいか、と思わされるのだ。

 

来月、会う約束をしている。本当は今月会う予定だったのだけれど、私が色々と体力諸々を奪われているので、お願いして来月にしてもらった。

会った時に聞いてみようかな、と思っている。昔、友達って言ってたけど、それって今どんな感じ?多分、ギャルは何でそんなこと覚えているんだと困った顔をするのが何となく想像がついている。