やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

タトゥーの話

 

台風が来てたから、昨日は風がめちゃくちゃ強かったんだなと納得した。

今、外は窓に雨がぶつかるほどの勢いで降っている。私は雷がとても苦手なのだけれど、雷が鳴っている音は聞こえていないので安心している。

大きな災害が起きないよう通過していくといい。あとマジで体が変になるので天候不良は勘弁してほしい。

 

この日記も二週間を超えて続けられている。

自分でも驚きだ。あと、ずっと読み続けてくださっている方がいるのもすごい。そう大したことも書いてないのだけれど、どうもありがとうございます…といつも感謝している。

大体、何書こうかな、と悩んで、スッとこれにしよう!と決まる日が大半だ。トピックスさえ思いつけば、書きたいこととか思ったことは芋づる式に掘り起こされていく。

今日は来週末、大学の同期と関西で集まることになっていることをはたと思い出して、新幹線の予約や準備を色々していないことに気がついた。原稿に追われている今、それをしている場合か!?とも思った。

でも、私は自分の生活を疎かにしたくはない。友人に揃って会うのも久しぶりだし、楽しみだし。そんな関西の大学に通っていた頃のことを思い出していたら、会いたい人がほわ〜と浮かび上がってきた。

 

私は大学二年生の頃に、大学の実習授業をサボりすぎて留年をした。

午前が講義授業だったので、午後からが実習だった。午前の講義単位は順調…とは言えないけれど、まあこのまま進級しても大丈夫でしょう!という感じで、ただ、午後には姿を消していた。よくある大学生の尖った時期だった。

先生の言っていることも、やっていることも、自分に今必要なものと思うことができなかった。こんなことしてられっかよ。逃げるように実習室を敬遠して、課題はとりあえず出して、そうこうしていたら、大学を舐めていた私は留年が決まった。泣いた。アホか、自業自得じゃ!!!!!

 

当時、一年生の頃の私を知っている助手さんや他学科の先生たちの間では、話題になっていたらしい。「あの丸いさんが…授業に来ない…!?」私あるあるだ。元気な顔をしていたり、平気な顔をしていて、水面下でどうしようもない泥沼にハマっていたりする。引き上げられる瞬間は、もう全身が泥を被ったあとなのだ。

泥だらけの私は、落とした実習単位が後期の分だったので、復学は一年後の後期開始日となった。その間、何をするかとなると、お金を稼ぐである。学費もそうであるし、生活費諸々。一日働ける場所を探していたら、大学側が紹介をしてくれた。

そう大したこともできるわけじゃなかったけれど、働いていたのは博物館だ。小さめの博物館の作品整理や、展示替え、受付などの仕事だった。

 

この時、私と一緒に働いていた先輩がいた。

この先輩だけれど、私がその当時大嫌いだった日本画で唯一尊敬している先輩だった。共通の知り合いの人もいて、かっこいいお姉さんという感じで、年も五歳は離れていて、こ、この人と働くんすか…!?と緊張していた。

結果、私が復学するまでの間ずっと、その先輩は色んな話を聞いてくれたし、色んなことを一緒にしてくれた。なんでもない日に待ち合わせをしてご飯を食べたり、受付が暇すぎて、職場のPCでホラー映画を見て大爆笑したり。

 

私は、気を抜くと大丈夫だな〜と思った人にタメ口を使ってしまう人間である。

もうこれは直らない。年上でも年下でも関係ない。自分が楽な方向となると、そういう風に話すようになってしまうのだ。ただ、この先輩は上下関係がしっかりしている人で「おい、タメ口!」と注意してくれる人で、ヤベ!!と男子高校生のリアクションを取ってしまう私は、たいそう困った後輩だったことだろう。

でも、二人とも仕事を辞めてから会ってご飯を一緒に食べていたら「もう敬語じゃなくてええって」と、言われた。えっ、と嬉しくも思ったけど、なんとなく、先輩には敬語を使うと一度決めてしまったので、ツッコミをする時ぐらいしか今でもタメ口になれない。割と唯一の存在かもしれない。

 

そんな大好きな先輩なのだけれど、そのご飯会の時のことだった。私はいつも彼女の腕に巻かれている時計をなんの気なしに見た。そうすると、ベルトの下に何かが書かれているのに気がついた。

ボールペン…?走り書き?でも腕時計の下に?私はそこで、あ、と気がついた。多分これはタトゥーだな。と。先輩も、私がそこをじっと見ているのに気づいたのだろう。

先輩に先に何かを言わせてしまうのも、なんかなと思って、いれたんですか?と聞いた。先輩は、腕時計を外して、手首をひっくり返した。先輩は、めちゃくちゃ肌の白い人だったので、暗い店内で照明に照らされて真っ白の肌にタトゥーが浮かび上がっていた。

めちゃくちゃ小説みたい。いや、でもめちゃくちゃ小説みたいに綺麗なワンシーンだった。それぐらいはっきりと覚えている。

 

先輩のタトゥーのデザインは、小さな子どもが初めて鉛筆を握って、ぐりぐりと線を描いたような、そんな落書きのような線のデザインだった。モチーフはあると話していて、でも、それが何かは聞かなかったし、先輩も話さなかった。どうしていれたんですか?も聞かなかった。でも、「いいですね」の言葉だけが素直に出た。先輩は照れ屋な人だったので、え、ありがとう、とちょっと戸惑いつつ笑っていた。

 

タトゥーをいれる、となるとデメリットがよく言われる。

温泉に入れなくなる。MRIに問題がある、その他、印象云々、仕事で云々。

私はめちゃくちゃでっけえ虎だ鯉だ菩薩様だを背中から肩まで全身にいれよ〜とは思っていないので、そんなすごいいかにも!みたいなものをいれている人を見ても、別に風呂くらい入らせてあげれば…て思ってしまう。
そんなささやかなものでも弊害があるんだろうか…とか思う。結局、その人がいい、と思うならいいんじゃないのと思ってしまう。
こういう風習、習わしには理由があるのだろうと色々刺青の文化やタトゥーの文化、それが各国でどのように扱われているのかなどを調べたこともある。(かなり取り扱いが複雑な国などもあり、掘り始めると終わりが見えなくなって途中で止めることにした)
そこまでしてみても、私の行き着いた結論は、本人がそうしたいならそれで、いいんじゃないのかな。と、ふわっとしたところだった。

 

先輩が、タトゥーをいれた理由は分からなかった。わからなかったし、今も聞かなくていいかと思っている。

ただ、その瞬間に見たあれが、とても綺麗で素敵なものに私には見えた。

私いつかタトゥーをいれたいなと思っている。フェイクタトゥーというものもあるし、あれは気分で色々なものを楽しめるから、それの良さもあるんだろうけれど、いれるならもういっそ、みたいな精神が強い。

先輩にお願いしたことがある。「もし、私がタトゥーを入れることがあったら、先輩にデザインをしてもらってもいいですか」先輩は、いいよ、と言ってくれた。

自分で自分の体に入れるデザインを作るとか、ちょっと私には難しそうだった。いつになるだろう。でも、今年か来年には入れてしまいたい。ちょうど年齢の区切りもいいし。私が自分に消えないものを残したいのは、なぜなんだろう。かっこいいから、可愛いからはあるだろうな。でも、それより、やっぱり先輩のあの手首を見てしまってから、私はそれに憧れているのだと思う。

 

笑いのセンスの話で、私に面白く話したくて話すのを練習した友人だが、もう付き合って長い年上のパートナーの人にも、たくさんタトゥーが入っている。こういうのは一度入れると、歯止め無くなるから気をつけなね、とアドバイスをいただいている。ピアスと同じなんだな、と思った。

この友人なのだけれど、パートナーの肘裏…というのだろうか、肘の反対側の柔らかいところにタトゥーが入っているのを初めて見た時のことだ。

彼女は、共通の先輩の家で64のゼルダにむちゃくちゃハマっていた時期がある。

学校にも行かず、ゼルダ時のオカリナをやりこんでいた彼女は、トライフォースの存在を刷り込まれていた。このトライフォースのマークだけれど、記号として実は色々意味があるのだが、そのパートナーの肘裏に三角形の積み上がるそのマークを見つけた。

話を聞きながら、絶対それゼルダ好きやからとかとちゃうやろな、とパートナーの顔を思い浮かべていた。でも、彼女はパートナーに「ゼルダ、好きなん!?」と聞いたらしい。

体にトライフォースのマークを彫るってなったらそりゃもう、めちゃくちゃゼルダのこと好きやろうな。当たり前だが、彼はゼルダを好きじゃなかった。そりゃそうだ。