やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

今日という日の日記


今日は日記にしよう。と思って、電車に乗った帰り道に書いている。

明後日から職場に復帰することになっているのだけれど、まあ長いこと休みもらってたし…と思ってお菓子でも持ってくか…になった。でも、一人で街に出て、それを探すだけがどうしても憂鬱で、ほんの少しこわくて、友人を誘った。

友人はいいよ!と言ってくれて、ありがて〜と手を合わせたくなった。いつも助けられている。彼女と待ち合わせの場所と時間を決めて、いざ、今日。


八月十五日。

私の実家には戦争を経験した祖母がいる。黙祷の時間は、正午から。お盆のこの日、実家にいると祖母から集合!の声がかかる。どこからともなく、父や母が出てきて、テレビをつける。静かな中、訥々と落ちていく声を聞きながら、正午になったその瞬間、静かに瞼を閉じる。

小さい頃はこりゃなんの儀式じゃい、と思っていたけれど、それが終戦記念日の黙祷と知ったのは小学生も高学年になってからだった。


今日の私は、12:04分に駅を出る電車に乗る予定で、11:55分には駅に着いていた。

テレビもない、ラジオの音声をアプリでつけるのも忘れた。でも、正午になった瞬間、暑さに負けたような振りをして静かに瞼を閉じた。

私は体験のしたことがわからない。だから、それがどんなものなのかはわからないのだけれど、私たちが想像しているよりもずっとずっと良くなくて、辛くて、悲しいことなのだということだけはわかる。

ばーちゃんも家で黙祷してんのかな。そんなことを思いながら電車に乗った。世界は普通でいつもより人は少ないか、くらい。いつも、こうして回っている、世界ってやつは。よかったような怖いような。


そして待ち合わせの駅に着いたら、友人から思いがけないタイミングで連絡がきて、駅で一人で笑うことになった

フッフッ、とマスクの下で笑いながら伊勢丹にとりあえず入った。マスクのことみんなヤダヤダって言うけど、私はこういう時助かったなと思っている。笑っていても、笑っている…?くらいで人に認定されないから。


お菓子とお惣菜が美味しそうで、お昼もパフェも食べる予定だったから、空っぽの胃袋がいい感じにウォーミングアップを始めていたと思う。今からここにたんと…突っ込んでやるからな…!!!

お店が混んでたら嫌だなと思って、お店に向かった。そしたら、案の定人が並んでいて、友人はちょうど入店するタイミングで到着して流れるように入店した。


久しぶりに私はグリーンカレーを食べたんだけれど、グリーンカレーが美味しくてびっくりした。

グリーンカレーはステンレス製の器に入っていて、プレートのランチセットだったので、プレートの上にサラダ、ラタトウィユの小皿、ズッキーと塩昆布のナムル…だったか…?それからグリーンカレーの器とご飯が丸くお皿に盛り付けられていた。

私は米粒一粒も残してはならぬという教育の元に育ったこともあり、なるべく食事を綺麗に食べてしまいたい。でも、この、ステンレス製のグリーンカレーの器。

隣に盛られたご飯の山を崩していくと、器の脇に五穀米がはりついているのである。

取りたい。その一粒も残したくない。でもこれはもう取れない。悔しい………と思いつつ、友人と色々話をしていた。ちゃんと、聞いてたよ。

聞いてたけど、ああいうご飯粒見ると悔しくなるのって私だけなのかな。


そのあとは二人で本屋をふらり 無印良品のお店をふらり。何も買わなくても、見ながらああでもないこうでもないと話をして、私たちは伊勢丹に戻った。

お菓子は何個入りが最適なのかとか、面談でお世話になった上司には別に渡した方がいいかな、とか言って、気持ちの問題じゃない?と言われて、じゃ、いいか。それで。となった。


不安がどうにもこうにも強い時、自分の選択肢に正しさを感じられなくなる。それで私はついついこれで大丈夫なのかな!?と聞いてしまうのだが、これができるようになったのもごく最近のことだ。

友人には友人で迷惑をかけているのかもしれないけれど、「こうでいいんじゃない?」と返してくれることに助けられている。と、いつも思う。いつも本当にありがとう。



今日は多分家に帰ったら、料理を今日作るかどうか悩んで、明日だなーと思って、洗濯機をとりあえず回すと思う。今?て感じだけど、今!

明日やるべきことを少なくしてあげられたらいい。


今日は、終戦記念日。私は、良い日を過ごしたと思う。こうして、過ごすことができてよかった。

今の日本は最高かと聞かれたら、ちょっとそれはムズイっすねーと思うけど、今日の私はいい気分で帰路につけている。


添付の写真は、ステンレス製の器に米粒がついていて悔しい気持ちになっていた今日のランチ。ちょっと近すぎる気がするんだよな…いやこんなもんか…。