やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

選ぶことの話


原稿が脱稿のだの字も見えなくて、途方に暮れながら絵を描き続けている。

終わりたい。こんなところで終わりたくないけど、終わりたい!!何だろうこの、恋をしている最中の心境のようなやつは。好きだって伝えたらもう終わるのに。何かに続くのに、終わらせたくね〜こんなとこで〜。と、葛藤している。


で、今日は選ぶことの話にしようと思った。

この選ぶことっていうのは、身につけるもの、アクセサリーの話である。

ピアスとか、指輪とか、ネックレスとか、アクセサリーにも色々種類がある。実は、私はこのアクセサリーというものを、自分のために選ぶのがとても苦手だ。

人に花は買えても自分には買えない。そんな花の話を前に書いたけれど、それによく似ていて、少し違う感覚だ。


ピアスは、色々持っている。でも、普段はノーマルな飾り気のないシンプルなものを使っていて、出かける時に耳たぶのものを付け替えることが多い。もちろん、着飾ることは好きなので、自分で選んだものもある。

ただ、勝手な自分の所感として、これ違ったなあと思うことが、自分で選んだものに対して、ことアクセサリーにおいてはよく起きてしまうのだ。

人に選んでもらったものは、問題がない。たとえば、出かけていて、これとかいいんじゃない?と勧められる時。こういう場合は、他の人の「似合うと思う」とか、「可愛い」とか、そういう評価が前提としてある。それに安心できる。自分の選択肢が、あまりに失敗するので、自信をなくしてきているのかもしれない…。


私は、何にでも対して割とそうなのだけれど、意味とか、思い出とか、愛着とか、そういったものがあればあるほど、ものを大切にすることができるのだと思う。他力本願〜!!日記を書き始めてから感じているけれど、私は他力本願な部分で占められているところがかなり多い。

自己肯定感の薄さがそうさせているのだろう。


以前、ドイツに旅行に行った際、自分へのお土産を何にしようかと考えた時、アクセサリーにしようと決めていた。それも、ネックレス。

ドイツのよくわからないショッピングモールのアクセサリー売り場で、ドイツのブランドのまあまあ良い値段のするネックレスを購入した。

私はこれを、これからの人生で肌身離さずつけるぞ!くらいの勢いで。私が購入したのは、細めのゴールドの鎖に、丸いチャームの真ん中にハートの石が埋められた可愛いくてシンプルなものだった。割と即決で、これだー!と会計をした。

購入してから二ヶ月くらいは順調だった。けれど、ある朝、起きたら鎖が切れていた。細かったから…?と泣きそうになりながら、布団の中からチャームを発見し、ちぎれちぎれになったチェーンを集めた。チェーンを付け替えれば、大丈夫。気に入ったのはチャームの部分が大半なんだし…と、母から譲り受けたアクセサリーを入れていた、小袋のアクセサリー入れにそれをしまった。しまったはずなのである。

しかし、ある日それはどこかに消えてしまった。失くしたのである。嘘だ、絶対ここにあったのに!?心当たりのある場所をひっくり返しても、そのチャームは出てこなかった。

それ以来だろうか。自分のためにアクセサリーを選んで買うことがちょっとだけ苦手になってしまった気がする。


私はきっと、自分で意味を持って取った行動が何もなかったことになってしまうことが、とても怖いのだと思う。でも、どこかで自分を甘く見ていたり、軽んじていたりして、そのせいで傷つく。どうしようもない自業自得さ。

大切にしたいという気持ちが、なぜか人に選ばれたもの、人から渡されたもの、そういうものより強く持つことができない。


ネックレスや指輪は、私の中ではピアスと違ってお守りのような気持ちでつけているところがある。それらの大半が、母から譲り受けたものだったり、今の私が肌身離さずつけているネックレスが祖母の形見であったりするからだ。

自分で作ったお守りの効力を、信じられないのだろう。なんだか少し、悲しい。


値段が高ければ大切にできるのかも、と思ったからドイツでネックレスを買った。でも、今やそれらの全てはどこかに消えてしまった。勝手にどこかに行ったみたいな言い方をしているけれど、自分が失くしてしまったわけで。


自分のために、何かを選ぶこと。もう少し、得意になれたらいいんだけど。難しいな、と思いながら私はいつも可愛くて、綺麗なアクセサリーを眺めているだけだったりする。