やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

写真の話


涼しいなと思ったけど、妙に風が強い日だなと思いながら散歩をしている。いつもと違うルート歩いてみよ!と思ったらどこにいるのかわからなくなった。これが散歩の醍醐味よ…。

今ようやく見慣れた…か…何回か見た…ような気がする道に戻ってきた……ような気がするな。こういう曖昧な道を歩くのが趣味だ。そのうちどっかには辿り着く。


この気ままな散歩の間だが、基本的に何をしているかというと写真を撮って歩いている。

別に撮りたいものがあるわけではない。

あ、いいな、と思った瞬間に写真を撮るシンプルな行為だ。いつも見ている景色でも、斜め上や窓の向こう、何かと何かの隙間、じっくり見ると、知らないものが見えてくる。

景色が綺麗でも撮るし、綺麗じゃなくても撮る。写真を撮るのは、自分の中に「いい」のストックを溜めていく作業だ。


元々、美大に通っていたこともあると思う。

私は版画分野に所属していたのだけれど、シルクスクリーンと呼ばれる技法と写真を主な制作媒体にしていた。

さらに、私の場合自分の描いた絵やドローイングを作品に起こすことはなく、ほぼ写真からものを起こしていくことが大体だった。

絵を描くのはあまり好きじゃない。

この場合の絵は、絵画の話で、創作などの絵とは別ものである。日本画分野で大学に入ったものの、ひたすら絵をデッサン、クロッキーさせられることに辟易し、いざ!本番!というタイミングで絵を描こうとすると、一番最初の新鮮な気持ちが薄れてきてしまう気がしていた。

そのぶん、写真は私に合っている。

瞬間、「いい」と思ったものをシャッターひとつでその場に留められる。


学生の時は、一眼レフを大学で借りて写真を撮っていた。被写界深度とか、色々角度決めてとか、なんかあると三脚持ってとか。でも、携帯の進化が進むにつれて、映像も写真も、紙媒体に起こしたり引き伸ばしたりしても、耐えうる画素数で撮ることができるようになった。

iPhoneでもいいんじゃない?そんなお世話になっていた人たちの助言もあったし、私が撮るのが好きなのは、かぎりないスナップ写真に近いものだと気づいていたので、じゃ、それで。となった。


でももし今、写真で作品を作ってくれって言われたら一眼レフと三脚用意する気がする。ガチガチの額に入れるっていうんなら、なんかまあ、ピントとか気にしそうだし、ZINEとかなら iPhoneかな…(意志が弱い)


けれど、作品を作っていた頃に比べると写真を撮る機会はかなり減った。どこか知らない街に行くと、パシャパシャ撮っていて知らない人もバレないように撮るようなヤバいやつだった。これは今でもやることあるけど。


その代わり、人を撮ることが増えた。

一緒に遊んだ人、一緒に時間を過ごした人。その人が何かに意識を取られて何かを見ている瞬間。何かをしている間に、こっそりと写真を撮る。

自分の撮った写真を見返すと、人を撮った写真がいいなと思うことがある。カメラを向けて、撮るよー、と言わずに、私が「いいな」と思った瞬間に撮った人たち。


私の大学同期の友人であるギャルは、私がカメラを構えると必ず「可愛く撮ってな」と言ってくる。可愛いと思って撮ってるから、可愛いに決まってんだろと思いながら撮る。

撮った写真を送ると「さすが可愛く撮れてるわ」とお褒めの言葉を大体いただく。光栄です。と、思いつつ、私が「可愛い」とか「いいな」と思って撮ってるものが、ちゃんとその人にも「いい」と思えるように写っているのが嬉しい。


私は、自分の中にある「いい」という感覚をあまり信じていない。誰かが「いい」と言っていたら、それは「いい」と思えるような気がしてくるし、じゃあ自分の「いい」はその中にあるのか?と疑い始める。

これは、信じていないというより、あまりわからないの方が正しいかもしれない。

言語化できない「いい」と思う感覚を、瞬間瞬間に拾って、並べてみることで、ようやく全体像のような景色がぼんやりと浮かび上がってくる。

あ、私これが「いい」って思ってんだ〜みたいな。

そういう中で、私は自分の撮った人の写真が好きだなと思うことが多いのだ。


大学院の受験の時、ドローイングブックの提出が必要だった。当然、絵を描くのが嫌いな私はドローイング(専門用語的だけど、絵のラフみたいなものだ)なんてろくにしていなかったから、今まで撮ったスナップ写真をまとめたものを提出した。私にとってはこれが何かになる元の「いい」を集めたものですよ、という無理やりの押し切りだ。これで合格したのだから、私が写真を撮り続けていることには意味があったのだと思う。


そして、これからも私が写真を撮り続けるのはきっと大切なことなのだろうと思っている。


人の撮った写真を見るのも好きだ。

同じものを見てても、この人にはこう見えていたのか、とか、こういう構図で撮るんだなあとか、なんとなく人柄が見えてくる気がするからだ。

撮った写真、みんなあげてくれよ。と思う。あなたが「いい」と思ったもの、好きなもの、たくさん見させてくれたら、私が笑顔になる。誰も見てなくても、私が絶対にっこりしている。


今回の写真は、この前行った喫茶店の席の背後に、あまりに脈絡のない男の切り抜きが貼ってあったので撮った写真だ。

街に現れる、この脈絡のないものが私は好きだった。ちょっと滑ってる一発ギャグ感があって。

私がこれを撮っていると、同席していた同期のギャルが「丸い好きそうやわ」と言っていた。


そうそう、私こういうのを「いい」って思うんだよね。と、改めて感じた瞬間だった。