やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

次に恋をするならという話

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なんかアクセス数多いな?と思っていたら編集部さんに記事を取り上げてもらっていました。毎度おおきにです。

 

今日のお日記ですが、今日はちょっとタイトルがロマンチックなタイトルになった。最近、恋してないな〜というところから、夜寝る前とかに次に自分がもし恋をするならどんな人だろうと考えている。

私は愛と恋はなんとなく、対自分においては別にしているというか、愛はありとあらゆるものに注ぐ水みたいなもので、友人も動物もパートナー同士の人たちも、何もかもをひっくるめて愛だと思っていて、恋は私的で、私に関わる云々である、と考えていることにまず気がついた。

 

こういう年齢なので、結婚式の後だとか、友達と集まったりすると、必ず話題に上がる。最近どう?とか、好きな人いる?とか、気になってる人いる?もしくは、全部をひっくるめて何か起きた?みたいな。

も〜そういう話いいよ〜という人もいるのだろうが、私は自分はさておき人の話を聞くのが好きなので、聞き手に回って、へえ〜と思って耳を傾けている。

でも、こういうのは大体順番に回ってくることになっていて、丸いはどう?と礼儀みたいに尋ねられる。私は、なんかあったら報告しとるっちゅーねん。と、毎回言う。そこから始まる、じゃあどんな人がいいとかは?もう、ここからは妄想と理想と高めのハードルを並べるだけの会話になる。言うのはタダやろがい!

 

関東にいた時、ギャルとお洒落な蕎麦屋にディナーに入った時、デートスポットだったみたいで、あたりはカップルだらけだった。肩身狭ェ。間違えた。暗い店内のカウンターで小声でそんなやり取りをしていたら、ギャルが「最後にデートしたんいつ?」と聞いてきた。普通に蕎麦をすすりながら咽せた。

「覚えていない」正直に答えると、ギャルも答えた。「私も」聞いといて覚えてへんのかい。

 

そういうわけで、別に恋がしたいわけではなく(※これを強がりと受け取らないようにお願いしたいところ。今は自分のやりたいことに一生懸命なので!ね!)自分の生活でいっぱいいっぱいですねん…という私にとって、友達がいて、遊び相手がいて、それ以上に一喜一憂をした経験。いつが最後だろう。と、思うと、どういう恋をしたいのだろう。に行き着くのである。

 

どういう人がいい?という質問は難しすぎる。一休さんレベルにならないと、上手い返しや最適解のとんちが思いつかない。いや、とんちにする必要はないのだけれども…一休さんほどの知恵が必要…という話。

でも、どういう人がいいかなと考えたら、誕生日に米5kgとかくれる人、面白くていいよなと思う。

たぶん、普通に好きになると思う。農家とかじゃなくても、急に米5kgをくれる人。結構、不意をつかれて好きになるかもしれない。

あとは…やっぱり好きなものが似てるとありがたい。日常の喩えを常にマンガや小説などから引用してしまったりするし、せめて何か一つくらい好きなマンガかかぶっていると助かる。自分で言っておいてなんだけど、助かるってなんだ。

うーん、できればハンターハンター好きな人がいい。気長に新刊を待っているということは気が長く、ハンターハンターのおもしろさを存分に語り合えるということはかなり話を読み込むこととかに余念がなく、情熱がある気がする。

 

こんなことを言っているが、恋というのは、噛み合う歯車、噛み合わない歯車、というものがあると私は思っている。

どれだけ互いを心地よく思っていても、そうはならないこと、が必ず起きる。人生のタイミングもそうだし、なんとなくお互いに好意を持っているのがわかっていても、ふんわりとしたどっちが先に出る!??!から結局出れない、となると、それはそういう間柄なのではないかという。別に妥協とか、そういうことではなくって。自分にとってその時最良である人が、その人ではないこと。が、ある。

 

年々、人間に対して、人として魅力を感じて好きだな、と思うことはあれど、確信を持ってこれが恋だ!と思うことはなくなってきた。忘れてしまっているのかもしれない。心臓が痛いよ〜!なんてことは、ストレスと不安と緊張以外で痛くなったり脈拍も早くなっていない。

でも、明日急に誰かに恋をするかもしれないし、誰かが私に恋をしてくれるかもしれない。

心構えはある。心構え…というか、心の準備?しなくてもいいですよ〜というわけではなくて、もし人生に楽しいセンテンスが増えるなら、それは恋もあるよね、という話。

敬遠はしてないし、宣告先の敬遠でもない。

 

とにもかくにも、次に恋をするなら、おもしろい恋がいい。歳をとった時、ありゃ笑えたね!と言えるようなそういうの。

 

楽しみだな……と特にアクションを起こすわけでもなく、今日も今日とて、明日も明日とて、日々は続いていく。