やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

師走の話

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実家に帰ってきて、2週間が経過した。

思ったよりも早く日々は過ぎて、帰ってきてからというもの、部屋の片付け、生活、手続き、諸々動き回りながら、合間合間で息を抜いている。

 

思えば2022年というのは、私にとって大変な一年だった。わけもわからないままコロナになったり、そのまま体調を崩したり、それでも同人活動を続けていたり、会社を退職したり、そして今また、故郷に帰ってきた。色んなものごとが、山を滑り落ちる転がる岩のように起きて、時折木にぶつかり、はたまた止まってしまったり。なるようにしかならなかったし、なるようになると思えたのは、なるようになるべくして、自分が何かをしていたからで。

それの大半の大きな理由は、何とか「生活をした」なのだと思う。

自分のためにご飯を作ることができなくなった。

大勢の人がいる場所に出ると、息苦しく、心臓があまりにもうるさくて、泣きたい気持ちになった。

不安で夜も眠れず、かと言って何もしない日にどう過ごせば良いのかわからなかった。

それでも、なんとかかんとか、生活をしてこうして戻れる場所に戻ってきたのだ。

 

実家は相変わらず、怒声の響く家である。

家族は短気でせっかちで、生活リズムがおかしくなっていて、ほうったらかしにされるものもたくさんある。

以前の私ならきっと、同じように知るもんかと目線を逸らしていたもの。だけど、自分が嫌だから。そうする方がきっと楽だから。背負いすぎてることもなく、自然と自分の役割を果たしている。ムカつくなこいつら、と家族に対して思うこともあるが、言っても他人なのでムカつくことも当たり前か…と思い、塩梅を見つつ両親や兄、祖母とコミュニケーションを取る。

 

しかし、まあ。ずっと一緒にいると、同じことを毎日繰り返す人たちなので、時折人に会うこと、友人に会うこと、連絡を取ること、自分の時間を取ることで、感覚のアンテナを殺すまいと時間を過ごしているところだ。

 

 

 

クリスマス、幼馴染ののくまちゃんの家に遊びに行く予定だった。

けれど、祖母がコロナになり自宅待機ということになり、それでもどうしてもポケモンの通信がしたくてクリスマスイブには彼女と、彼女の妹と通話をしながら遊んだ。

彼女たちとの約束は年始への持ち越し。遊びに行く予定が決まっている。

 

クリスマスは友人と、定番の「ラブ・アクチュアリー」を見て大号泣した。展開を知っていても、ここのこれがああでね、こうでね、と話しつつ、愛って可愛くて素敵なものだなとあらためて心があたたかくなった。そのあと、余韻も何もなしにお笑い芸人のランジャタイとダイアン津田のコントがおもしろかったという話をしてしまったことだけが後悔される。関西に帰ってきて、お笑い芸人に異常に詳しくなりつつある。お笑いっておもしれ〜。勉強になる。

 

京都で大学時代の友人たちとご飯を食べる予定も行けなくなった。結果、どうなったかと思えば友人たちの中にもコロナになってしまった人がいて「コロナ…貴様…」と思わずにはいられなかったが、楽しみが先延ばしになっただけで、なくなったわけじゃない。

LINEのグループでは面白いやり取りがぽつぽつと思い出したように投下され、げらげらと笑ってしまう。

 

久々に、V6をきっかけに仲良くなった友人からもたまたま連絡が来た。彼女とは定期的に手紙のやり取りをしていて、実家に帰ってきたんですと伝えたら、とんとん拍子で来年に一緒に文楽を見に行くことになった。会うのはとっても久しぶりで、どんな話をするんだろうな〜と思う。

 

そして昨日は、仕事納めしたばかりの中学からの友人と、退職祝いだよ!とおすすめのラーメンを食べに連れて行ってもらった。ありがて〜!

かなりの人気店と、年末最後の営業ということ、帰省ラッシュ云々の兼ね合いで「申し訳ないけど10時くらいに迎えに行っていい?」と連絡が来た。早!!睡眠障害、我。

けれど、彼女のどうしても美味しいラーメンを食べて欲しいという熱量に応えるべくは私なのである。

朝あまり意識がないまま支度をし、なんとか起きれたぜ…と思いながら、お店に着くと開店前に到着したにも関わらず、すでにお客さんが並んでいた。本当に人気なんだなあ〜。

そんな呑気なことを思っていた私はラーメンを食べ終えて、帰る頃には「このスープ水筒に入れて持ち歩きたい」と言うほどの満足感を得ていた。美味。

 

健全な時間にラーメンを食べたので、私たちは目的を果たしたということになり、まだこんな時間か〜と気ままなドライブが始まった。

私がプリンターのインクが欲しいと言って、メガドンキに連れて行ってもらった。友人は化粧品と私のおすすめお酒のおつまみ、メンマ「やわらぎ」を購入し、薄いビニール袋で手渡されていた。薄いビニール袋片手に歩く友人の姿があまりにもな見た目だったので「やばいもん運んでる?」と言いつつ、メガドンキを後にして、また彼女の運転に任せるまま時間を過ごした。

 

今になって思うと、彼女とは高校も違い、大学も違っていて、社会人になった友人と会うのは私の帰省のタイミングで大抵ご飯を食べるか、お茶をするか、そのていどのことで、二人でどこかに行く、というのもアイドルのコンサート以外ではたしてあっただろうか、と助手席に乗って考えていた。多分、ない。

たどり着いた先は海だった。風が強くて寒!と思いながら、猫が飼われている漁港をふらっとして、そのあと道の駅にたどり着いた。

海岸に降りることができるそこを降りる道中、鳴らすと幸せになれる鐘が用意されており、二人で鳴らすなら仲良くなれる!という、よくある謳い文句の書かれた看板に「仲良くなろうぜ」と鐘を鳴らした。

海岸に響き渡る、遠慮のない大きなカーン!という音。友人が「もうちょっとこう…なんか…」とその音の大きさに鐘を押さえていたのがおもしろかった。

 

大きな石がゴロゴロと転がる海辺を歩きながら、浮きかと思っていたら大量の鳥であることに気がついてウワ!と言ったり、将来は海の近いところで生活がしたい。その時は近くに住もうね。そんな話をして、彼女の祖母が海の近くに住んでいたのだという話も、初めて聞く話だと思いながら聞いていた。

 

こんなにも長く付き合っていても、まだ知らないことがある。良くも悪くも、私は全ての人たちと他人でしかない。

私の良いところ、悪いところ。彼女の良いところ、悪いところ。全てをひっくるめて、今まだ友人であれることは、幸いなことなのだ。

 

師走。師も走り回るほど忙しいということだが、私もかなり走り回った。父と母と朝から大量のゴミ出しをしたり(あまりのスピード感に私は笑いが止まらなかった)いらないものの整理をしたり、そもそも引っ越しまでしているわけで。家族に感謝しているし、何より私にとって友人がいたこと。

 

それが私のこの一年の「生活をする」ことにとって、どれだけ大きな支えだったか。

私は、友人に恵まれていると思う。

ただ純粋に好きだと思う人たち、優しい人たち、おもしろい人たち。どこかで私を思い出してくれていたり、気にかけてくれていたり。

これだけのものを、私はどうやったら返せるのだろう、とこれを書きながら少しだけ泣いている。辛かったよな、よく頑張ったよな。自分を労ること、大切にすること。

これからやってくる新しい一年は自分を大切にしながら、そして誰かを大切にしながら「生活をする」ことができたらいい。

 

そして、日記を書くようになったこと。毎日は結局書けなくなったわけで、気の向くまま、ア!と思った日に日記を書いているわけだが、これにもかなりこの一年助けてもらった。

自分の底にある板の、さらにその下。

なるべく出さずにいたものを、もう少し出してもいいんじゃないかと思って始めた。できないことを数えるより、できたことを数えたくて。思いがけず、編集部の方に記事を紹介していただいたり、私の書いてる言葉が誰かに届くんですねえ、とか妙な感慨になりつつ。

けれど、これからもまあ、人の有益になるような情報発信もしないし、私はきっと好きに言葉を並べて忘れておきたくないことを、書き留めるのだろう。

 

それでいいし、それがいい。

好きな言葉だ。今年、初めて出した小説の同人誌も、その言葉を最後に綴った。それでいい、それがいい。

どうか願わくば、来年も私にとって人が愛しいもので、誰かにとって私が支えになれるような、そういう一年であればいい。