やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

雑な遊びの話

「丁寧な暮らしより雑な遊び」

この言葉は、私の友人が言った言葉である。江ノ島に遊びに行って、もう帰って寝るだけにしよ〜と、江ノ島の銭湯の更衣室でその言葉を聞いた。

この雑な遊び、であるけれど一体なに?ということだ。


コロナが流行り始めて、もう気づいたら二年経っている。

街から人が消え、緊急事態宣言などという映画かドラマかでしか聞かないような単語が飛び出してきた。ニュースの映像で、人がいなくなった渋谷のスクランブル交差点の景色を、なんとなく私は忘れないだろうなと思った。私がおばあちゃんになる頃に、コロナがどんなものになっているかは謎だけれど、「すげ〜流行り病があったんよお」とか、言うのかもしれない。


ステイホームなんて言葉ができて、人々は家の中でできる素敵な生活を始めましょう!の流れになった。す、素敵な生活…?!リモート飲み、アーティストのライブ配信、何かが変わったなと思った。

素敵な生活、要は丁寧な暮らし。家にいることで、家の中で自分にできる範囲で、今までやってこなかったことをやってみよう!みたいな空気。

まあ、正直なところ憧れたのは憧れた。

こういう時勢だからね…と思いつつ、農家をやっている友達から野菜を取り寄せて、料理を色々したり、喫茶店をやっている友達からコーヒー豆を取り寄せたり。良い感じの生活QOLっていうんですか?上げてこ!みたいな。

でも、私には普通にできなかった。憧れこそあれど、丁寧な暮らしというのには、素質が必要だと思う。ていうかそもそも、丁寧な暮らしって、多分意識しないでできてる人たちのことを丁寧な暮らしって呼ぶんじゃないかな…。


自分の多少の捻れを感じつつ、職場も休みが増えて、私がそもそもいの一番にやったことはポケモンだった。

どうしてもソード&シールドがやりたくて、発売から月日が経っていたし、ステイホームのおかげでSwitchも値段が爆上がりしていたが、購入した。休みの三日間でチャンピオンになった。ストーリーがあまりに良くて、感涙物で、昔よりレベルも上がりやすく(と、言い訳にしている)気付いたらものすごいスピードでチャンピオンになった。ダンデさん、ごめん…。10年間無敗のチャンピオンを私は三日で制覇してしまった。

どれだけ丁寧な暮らしに憧れても、私はこういう困ったオタクなのである。それ以来、ゲームをやる時はなるべく時間をかけてクリアするようにしている。でも、たまにタガが外れてやっぱりものすごい勢いでストーリークリアしてしまう。

無理だ…。だってコーヒー豆をミルで挽いて、お湯を沸かして、フィルターに通して、美味しいコーヒーを家で飲む。それよりポケモンがしたかった。寝る間を惜しんでゲームを楽しむことの方が大切だったのだ。


いいものを買うより、こういうことの方が心が潤う。丁寧な暮らしってそもそもなに!?憧れていたけど、やっぱり私にはできない。


だから去年の夏。目的は江ノ島で遊ぶこと。特に他は決まってなくて、場所を調べたら銭湯があってお風呂入っておけば帰ったら何もしなくていーね!となり、一通り遊んだあと、銭湯に行った。

どういう流れでそういう話になったのかはわからないけれど、私が「丁寧な暮らしって私は絶対できんと思うのよな」と言った。そうしたら、友人が言ったのだ。「丁寧な暮らしより雑な遊びなんよな」と。もう、私はそれだ!と思った。

この雑な遊び。

具体的に何?と聞かれると、よくわからない。でも、特に細かい目的のないただ誰かの家に遊びに行って、何かを見たり、むちゃくちゃなことをしているとわかっていても、ゲームを延々と流れるままにやり続けたり、とにかく好きなこと、心の惹かれるままにやりたいことをやる。そこに大きな期待はない。

いいものを買ったり、生活を良くするものを自宅に揃えたり、そういうことよりも、自分一人だったり、誰かと子どものようにめいっぱい遊ぶこと。

私は、その友人と遊ぶと「雑な遊び」のことをよく思い出す。家に行って、親戚の子どものようになる私は、急に連泊を決めたりする。大学生みたいだな、と思う。大人になって、変にお金があって、できることが増えたのはいいことだ。でも、それでも、やっぱりこういうのが好きなのだ。


今は原稿中なのと、身体のことを鑑みて、むちゃくちゃなことをしないようにゲームは特に自分に禁じている。今やったらやばい。小学生の時にゲームのやり過ぎで母親に怒られる子どものレベルに戻るからだ。

風花雪月、めちゃくちゃあたためている。あたためているうちに、またポケモンの新作がくる。リミッターがまた外れる予感を感じている。