やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

飼っていた犬の話


この世には終わらない論争がある。

犬派なのか猫派なのかという論争である。

これはかなり難しい話になる。最近ではペットも色々になってきたので、動物何派論争でも良い気がするし。

私はこの二択で迫られると、犬です!と答える人間なのだけれど、猫も好きだ。というより、動物が大体好き。毛のない生き物を触るのはかなり緊張する。正直、できれば毛があると嬉しい。


じゃあ何で犬派なのかと聞かれると、私が三歳の頃からずっと実家には犬が居続けるからだ。


今まで飼ってきた犬の話をするけれど、人によってはショックな部分もあるかもしれないので、読まれる際は気をつけていただけたらと思う。

犬との生活は、お別れがつきものだ。

どれだけ長生きするといっても、私たちよりも寿命が短くて、そうして生きるいのち。これはある意味、私が重ねてきたお別れの話でもある。



今回の写真は、そんな私が初めて飼った犬の写真だ。名を、ペスという。当時、ペスという名の犬の名前は流行っていたと思うんだけど、このペスも実は実家では二代目のペスである。犬の襲名制。

正しくいうと、犬は母の幼少期の頃からずっといる。多頭飼いをしていた時期もあって、ペスの前は兄がギリギリ、ライタという犬と会ったことがあると思う。兄が小さい頃はまだ、母方の祖父母と同居をしていなかったので、本当に会ったことがある程度なんだけれど。


私が小さい頃というと、野良犬が街を闊歩しているような最後の時だったように思う。

そういうことなのか、多分そうなんだけど、うちにいる犬は大抵野良犬だったやつか、保健所の子犬譲渡会で引き取る犬が大半だったらしい。

かくいうペスもその譲渡会で選ばれた犬だった。

選んだのは祖父。こいつと目が合ってしまった…と言って連れて帰ってきたはいいものの、子犬という情報を与えられていた三歳の私は、確かに子犬であったはずのペスがかなりでかかった(ペスはこう見えて大型犬の小くらいの、大きいサイズの犬で散歩に行くと私が引きずられ、私の散歩だった。)ので、「こんなの子犬じゃない!」と顔を舐め回されながら大泣きしたらしい。

そんなペスと私は兄妹のようにすくすくと育った。

ペスは外飼いの犬で、犬小屋も手製(父の会社の人作)でかなり大きかった。五歳まで家にいた私の遊び相手は主にペスで、ペスの犬小屋に入ってペスと昼寝をしたり、ペスのために作られた大きめのテーブルがあって、そこに乗るとペスは家の塀から丁度顔が出る高さだった。そこに転んでぼーっとしたり、とにかくペスと過ごす時間が長かった。

ペスは頭が良かった。人の話す言葉を理解していて、さんぽ、おはよう、ごはん、は人が話すニュアンスを聞き取って真似てしゃべるようなタイプ。

これ、飼い主の贔屓目だと言われがちだけど、マジでそう言っていた。


一度、洗濯物を干す祖母が「丸いにアホやって言ってみな〜。アホや〜」と連呼していたら、ペスは尻尾を振りながら「アホや」に似た単語を発したことがある。当然幼い私はキレた。以降、ペスは二度とアホやを口にすることはなかった。


庭の門扉などを締め切り、鎖を外してもらうとペスは庭を駆け回り追いかけっこをするのが好きだった。飽きるとテーブルの上に乗る。

塀から顔が出るということは、その気になれば塀から脱出ができる。

私もなんとなくそう気付いていたのだけれど、ある日、ペスは私の目の前で「見てな!」と言わんばかりに塀を飛び越えたことがあった。見てな!と言わんばかりであると思ったのは、彼が塀を飛び越えると、どこにも行かずこちらを振り向いたからだ。

「あかーーーん!!!」

宮川大輔ばりのクソデカ声を出した私はすぐに家の門扉を開けて、戻っておいで!!と言った。すぐに戻ってきた。見せたかっただけかよ。


外飼いの犬や野良犬が多かったその時期、犬が犬のいる家を訪問してくるということもざらにあり、朝刊を取りに出た際、犬小屋の前で困ったようにこちらを見ているので、何ぞ…と思ったら、ペスが家を近所のハスキー犬に乗っ取られていた。譲るなよ、自分の家を。

喧嘩して怪我とかしてなかっただけマシだったけど。


この犬はどこの犬…となった母たちだったけれど、私は近所の犬巡りという遊びを日課にしていたので、「◯◯丁目のわんちゃんだよ」と報告した。ちなみに、この犬巡りの遊び、大きくなってから読み直した動物のお医者さんでハムテルたちがやっていた。やっぱやるよね。


あとたまに、ペスも脱走を試みていなくなることがあった。首輪をスポンと抜いてしまうのだ。どこ行った!?と家族総出で大捜索して、いなかった…としょんぼりして家に帰ると大体犬小屋の前にいる。何しに行ったんだよ!!!そのおかげで近所のお家の犬に、ペスに似た子犬が産まれたことがあり、あらぬ嫌疑をかけられたこともある。

あらぬ嫌疑といったけれど、それはどうだったかの真相は闇の中だ。


とにかく、ペスは頭が良かった。

公園でリードを外しても、河原でリードを外しても、「おいで」と呼べば帰ってくるし、人を噛むこともしなかった。手荒な野良犬とは喧嘩したり、家を守り切ったぜ みたいな顔をして口から血を出していたこともあるけど。


そんなペスが、一度だけ言うことを聞かなかった日があった。

いつものように河原へと散歩へ行って、母とリードを外して、好きなようにさせていた。河原は土手になっており、上は道路が走っていた。横断歩道はあっても信号はない。

そろそろだなと思い、母が「戻っておいで!」とペスを呼んだ。でも、彼は帰って来なかった。時折こちらを見ていたように思うけど、犬だって動物だ。いつも私たちの言うことを聞いてくれるわけじゃない。

でも、私も母も焦っていた。土手の上は道路だから。信号もない。車は帰宅ラッシュの時間でよく通っていた。

そこに着く頃、ペスは横断歩道を渡ってしまっていた。私も母も手を上げて渡りたいと道路側に主張をしていたけれど、車はびゅんびゅんと通っていて、誰も止まってはくれなかった。

ペスは、追いかけっこをしてるつもりだったのかもしれない。私たちが追いかけて来ないのを、寂しくなって、戻って来てしまった。

何度でも思い出せる。たった数メートルのその先で、ペスが鉄のかたまりにぶつかった瞬間。

車は何かを撥ねたと気付いていたのだろう。少しスピードを落とし、そのあと逃げるように離れていった。メタリックな薄ピンクの車だ。多分、私は一生忘れない。

母は、もう間に合わないとわかっていたのだと思う。二人で、二十キロ近くある愛犬を抱えて家に帰った。その頃はまだ息があったし、外傷も一つもなかった。でも、体の中に衝撃を受けていたのだと思う。

私は、あまり兄が泣いているところを見たことがない。

だから、声を出して犬小屋の中に横たわるペスに抱きついて、兄がわんわん泣いているのを見て、びっくりして、怖くなった。母も一緒だったけれど、私が彼を殺してしまったような気がしたからだ。

その日、私は家族と一緒にご飯を食べられなかった。

辛くて、寂しくて、どうしようもなく。


それが私の飼っている生き物との最初のお別れだった。


「もう二度と飼わへん」

この言葉は祖母の口癖だった。ペスが亡くなったあとも、そう言っていた。私もそう思った。あんな怖くて悲しい気持ち、耐えられないと思ったからだ。今も思い出して泣いている。


けれど、奇しくも、その二週間も経たない頃。

当時仲が良かった友達の家に子犬が三匹産まれた。見に行くだけ!そう思って見に行って、三匹兄妹の中で一匹だけ鼻が黒くて毛が長いコロコロの子犬がいた。ペスに似ていた。

ウワ〜と思って、お母さんを誘った。見に行ってみよう。そのうち一匹はそのお家で飼われることが決まっていて、あとの二匹は貰い手を探していると言っていたからだ。

母もやはり、似ていると思ったらしい。

家族会議である。

飼えるのはそうだ。今までもずっと新しい子たちを迎えていた。祖母は反対。父と兄は中立。私は、私が面倒を見るから飼いたいと言った。

母は悩んでいた。


そうこうして私が友達の家に通うようになってしばらくのこと。

朝ご飯を食べていると母が夢を見たと話し始めた。夢には、先代の愛犬であるペスが出てきて、傍にいるコロコロとしたそのペス似の犬を鼻先で差し出してきたのだという。そんな都合のいい夢〜と思っていたら、祖母が「同じ夢見たで今日」と話し出した。盛り上がる母と祖母。

「ペスが言うならなあ」

そういうわけで、不思議な導きの元、飼うことが決定した。


私史上、初の子犬である。子犬の定義は抱っこできること。抱っこができる、犬!何をしても可愛くて、膝の間で眠ってしまうのが可愛くて、お手洗いの気配を感じたら小脇に抱えて庭に出た。これはトイレは外ですよ〜と教えるための躾だった。マジでぬいぐるみくらいのサイズだったので、私は小脇に抱えた。

名付け親の権利も私にあった。ええー!と思ったけれど、毛がもこもこだったし、当時CLAMPのツバサとホリックにハマっていた私はモコナという名前にする!と決めた。とんだオタクの家の犬である。でもみんなは、モコナと呼ぶこともあれば、モコと呼ぶことも多かったので、本来の名前は獣医に行くと呼ばれた。

モコナ=モドキちゃ〜ん」

モドキをつけたのは私じゃない。「だって本名じゃないん?」母もオタクだった。


基本的には外飼いにしようということにしていた。

昼間は家の中か、2階のペスが昔使っていた子犬の頃用の犬小屋。夜は外に。

でもまだ、野良犬がウロウロしている頃で、ペスの犬小屋はあまりに大きいため、朝迎えに出たらかなり怖い思いをしたらしく、夜は玄関に移住になった。

そして初の夜泣き体験。悲しげな鳴き声。

玄関には簡易バリケードが作られて、今すぐ部屋に上げてあげたい気持ちを我慢して、私は眠りについた。

夜泣き……と辛さで身を捩っていたある日の朝、私は妙な物音で目を覚ました。カリカリ、リンリンと足音と鈴の音が聞こえたのだ。

あまりにも小さい子犬だったので、どこにいるかわかるように首輪に鈴がついていた。まさか!そう思って部屋を出たら、バリケードを破壊したモコナが階段を登ってきていた。階段の方が背が高い。

午前6時の絶叫。「あかーーーん!!」

宮川大輔、再来。何かあるとすぐに私は「あかん!あかんあかん!」と言ってしまう。

落ちて怪我をしたらとか、ウワーッとなっている私と、嬉しそうに尻尾を振っている子犬の騒ぎを聞きつけた母は、家の中で飼うことを決意した。


丸い家、初の中飼い犬の爆誕である。


そのモコナが来た年のお盆、モコナはすっかりリビングが定位置となり、2階のベランダのペスが小さい頃に使っていた犬小屋は放置されていた。なんのために引っ張り出したやら…と思いつつ、そのベランダに面した部屋は兄の部屋となっていた。

立派なオタクに育っていた私は、兄の自室にあるパソコンでネットサーフィンをしていた。

時刻は夜。兄は一階の客間で勉強をしていた。その間が私のオタクライフ時間だった。

エアコンがないその部屋は暑かったけれど、今ほどではない。シャッターを半分くらい下ろして窓を網戸にしていた。

そうすると、リン、と鈴の音が聞こえた。

モコナか?と思ったけれど、モコナはその頃にはもう立派な首輪をつけていて、鈴は卒業していた。

なんとなく、ベランダにある犬小屋のことを思い出した。母曰く、ペスも子犬の頃は鈴をつけており、それが丸い家の子犬の習わしらしい。

そういう体験を、その頃はあまりしたことがなく、こういう時は声をかけるとあまりよくない。でも、大丈夫な気もしておそるおそる、「ペス?」と聞くと、もう一度、リン、と鈴が鳴った。

お盆だもんな。様子見に来たのかー。

今ならそう思うだろう。が、それどころではなかった。嘘じゃん!??!と思った私はPCの電源を即座に落とし、リビングに行った。

やっぱり、モコナは不思議な縁で我が家に来たのだと思う。


私が飼います!と豪語したものの、大学生になると兄との二人暮らしが決まり、家を出ることになった。それからは、会える回数がぐっと減った。

それでも関西圏内の大学のため、家族がやって来るとなるとモコナも一緒にやって来た。このモコナだが、前のペスとはやっぱり全く性格が違っていた。ペスはやんちゃなややヤンキー青年(と思っている)とするなら、モコナツンデレのお嬢様だった。

抱っこさせてくれ〜〜とお願いすると、気分が乗るとしぶしぶ抱っこを許可し、本当に嫌な時は唸られる。甘噛みすらされる。

勝手な時にはソファで寝転がる私に引っ付いて眠る。ラノベなら人気キャラだったろうな、お前。


犬は家族だ。愛犬が調子が悪いとなると、バイトでもなんでも「申し訳ございませんが帰宅させていてだきます」と宣言して実家に帰った。

何回か危なかったこともあったけど、帰るたびになんとか持ち堪えて、でもいよいよかもしれない、という年末帰省のタイミングがあった。

私が帰った日は、元気だったけれどその次の日、調子が悪くなって病院に入院。わんちゃんも入院をします。

不安になりながらも、私が次また一人暮らしの家に帰るという日の昼前にギリギリ帰ってきた。

「無理しなくていーからね」

目一杯撫でた。長生きはしてほしいけど、辛そうな姿は見たくなかった。ぴすぴすと鼻を鳴らしていた。

そうして実家を経った数時間後、両親から亡くなったと連絡が来た。

私は高速バスの中だった。信じられないほど泣いた。隣に座っていたお兄さんに「大丈夫ですか…?」と心配されて、ピュレグミをもらった。嗚咽が出るほどだったので、本当に怖かったろうな、あのお兄さん。

これが二度目のお別れ。

事故で亡くなっても、老衰で亡くなっても、悲しさは一緒だった。生活の中にあったものが、欠ける寂しさ。悲しいことが同じだということに、正直ちょっとだけ安心した。

また泣きながら書いている。


それからは、私よりも実家で暮らす両親の方が大変だった。いわゆるペットロスというやつだ。

母は保護犬のサイトで見つけた可愛い子犬の画像を送ってきて、ペスに似ているやらモコナに似ていると言っていた。その時、実家を娘も息子も出て行っていたので、なおのことだったのだろう。

私は悩んだけれど、提案した。「私も兄も結婚とは距離があるし、孫とは言わないけれど、飼うなら飼ってもいいんじゃないかな」母は、飼うならきっと体力と年齢的に最後の子になると言っていた。まあ、それはわからんけどな。と思いつつ、私がそう言うと、候補の子たちが送られてきた。早!!私は笑うしかなかった。早いんだよ!!飼いたかったんじゃん!

モコナが亡くなって四ヶ月くらいのことだった。


この子がい〜んじゃない?送られてきた候補の中から、私は結局鼻の黒い、前足に斑点のある子を選んだ。鼻が黒いのは歴代の犬たち。斑点があるのは先代モコナの特徴。毛は珍しく短かった。足が長いのが気になったけど、そんなに大きくならないんじゃないかと思ったからだ。


そしてやってきた新しいニューフェイス

来て早々、父の腕に顎を乗せて寝ている落ち着きようのある写真には笑った。父は、家族の話でも書いたように不器用な人だ。多分、その子にそうされて動けるに動けなかったんだろうと想像すると、どうも可愛らしかった。

名前は母がつけた。茅路。チロと呼んでいるけれど、本名は漢字だ。またなんかちょっとオタクっぽい。それにも笑った。


子犬の可愛い時期になんとしてでも会わねば!!何度か小さい間に会いに帰ったら、ウレションをする子だった。初めて会ってから一年はウレションをし続けた。

足が長すぎて骨折したり、色々あったもののすくすくと育ったチロは今や15kgの立派な中型犬になった。想像と違う。

先代のモコナが小さかったので、チロを見るとペスの大きさを思い出す。デカい。

それから驚いたのは、父が犬の面倒を見るようになっていたことだった。

モコナと父は多分、なんやかんやで一番一緒にいる時間が長かったのだと思う。二人でよくソファで寝ていたし、それはチロになっても変わらないけど。犬の面倒を甲斐甲斐しくみる父に私は感動した。父は父なりに思うところがあったんだなと思って。

ただ、よく喧嘩はしている。ソファの奪い合いである。犬と人間が喧嘩すな〜と思うのだが、どちらがソファで寝るのかを戦っている。

モコナの時は、引っ付けば二人で寝れたもんね。


そんなチロだけれど、私のことは家族認定をしているらしい。たまに帰ってくる人間なのに、警戒心は微塵もなくて、全身で「嬉しい」を表現してくれる。匂いでわかるっていうけど、本当なんだなと思う時だ。

自分の体の大きさをわかってないのか、時折のしかかられ、私は「ングッ」と声を上げるほど重いのだけれど、お嬢様だったモコナとも、やんちゃヤンキーだったペスとも違って、「撫でろ」をお願いする彼女はかなり新鮮だ。

隣にただ座っていると、前足で腕を引き寄せられる。それが撫でろの合図なのだけれど、大きいのでその力が強い。


まだまだ大人になった大人しさを手に入れていないチロは、これからどんな風になっていくのだろうと思う。今のところは旅の仲間のマスコットキャラというイメージだ。


こんなに年若い愛犬が実家にいても、私はお別れのことを想像する。

私は家族の中で一番一緒に過ごした時間が短い家族になるだろうけれど、またきっと寂しくて泣いてしまうのだと思う。言葉が通じないもどかしさを、私は私の都合の良い解釈をしている。

でも、彼女から伝わる私への「好き」みたいな感情があるのを感じる。愛おしいってこういうことを言うんだろう。


私は、賑やかで動き回って遊び疲れた愛犬たちが、微睡む瞬間を見るのが好きだ。

無防備で、触れると気持ちよさそうに目を細めてうとうととしている。

まだ実家に来たばかりの愛犬とは昼寝をしたことがない。今度実家に帰ることがあったら、挑戦してみようと思っている。それができるくらい、大人になってたらいいな。