コミュニケーションの話
最近、作業中に邦画(音声が静かなので)を観る…というか聞く、みたいなのがちょうどいいと気がついた。
せっかくだし、色々観たいと思って見損ねたものを見てみよう、とどれを観るかな〜と物色。
邦画は、基本的に体力がないと見れないものが多い。これは私の勝手な印象だが、良いと思うものが大体ヘビー級のパンチを食らわせてくる重いテーマだったりするからだ。
あと、言語がわかるだけに受け止めるときの咀嚼回数が増える。そんなに噛んだら変な味が奥からしてきちゃうよ!と思うのに、クチャ……噛んでしまう。このへんは自分で加減せえの話。
一本目はウォーミングアップ。
ということで、『前科者』
森田剛が出ているのと、有村架純の演技がとても良さそうだったので見た。それもだったけど、若葉竜也くんの演技もすごいよかった。話の展開はアエ!?と驚かされつつも、途中途中に出てくるセリフがよく、決して全員いい人間だとは言えないけれど、その中に救いを求めてしまうのもいたしかたないよな。とか。
「弱いからいいんだよ 弱いから安心する」このセリフ、いいセリフベストアワード2023にノミネートです。
それから二本目である。
どうするかな〜と思って、そういえば見てないな、と『ドライブ・マイ・カー』…と、思ったが、私は何を隠そう少し村上春樹が苦手だ。苦手というか、趣味じゃないというか、自ら好んで読むかと聞かれると読まないなあみたいな。
前情報や、インタビューを読んだりもしなかったし、どういう構成かはあまり知らない。なんならあらすじもホワァ…としていたので、これくらいホワァ…としていれば観れるんじゃない!?と元気が出て、観ることにした。
男女の対話。
なにか物語を滔々と読むような声と、やり取り。ぼーっと見ていると、断片的な情報から主人公が俳優、役者と呼ばれる人間であることがわかる。そして多分、パートナー。
お〜!セックスの話しとるわい………村上春樹節だなと思いつつ、奇妙な言葉のやり取りに耳を傾ける。それは移動する車の中でも。
わざとらしい棒読みのような口調。映画の中に映画が入った入れ子状になったそれに、奇妙な装置感を感じ始める。
そして、現れるいつもの魅力的だけどいけすかない若い男。彼だけが、なぜか大仰に振る舞っていて、舞台に立っているような煌めきがあり、セリフもいちいちそういう言い回しをする。感情の起伏もわかりやすく、ある意味この中では一番まともで、演劇という仕組みの中では少し、異端みたいな。
このくらいあたりから、私の意識は内容よりも映画の中にある仕組み…?や仕掛けに目が向いていた。
とある島で演劇のワークショップをすることになった主人公。妻が亡くなってからのことである。なんか美術作品見てるみたい。島だし。とか思っていたら、言語の全く噛み合わない人たちがキャストに選出されていく。
そして、なぜかあのいけすかない青年も合格する。会話はまるで噛み合っていないのに、一人の女性に詰め寄る、空気感と言語ではないコミュニケーションでの支配力。なんだかすごくぞっとした。
主人公が滞在する間、車の運転手となった女性が言う。「この車が愛されているのがわかります」コミュニケーションの齟齬。散々、噛み合わなかった言語や、言葉のキャッチボール、はたまた身体と心、表と裏、見えないもの、見えていたもの、そういった話をずっとしていたのだ。と、その言葉でハッと気付いた。
言わずとも通ずる瞬間。
コミュニケーションの齟齬がなく、隔たりもなく、通じ合う瞬間。
一番簡単なのは身体のコミュニケーション。でも、からだは時々心を置いていく。生存本能的な部分で、人の頭を思い込ませたり、感情を操作する。それは、ある意味「愛していること」なんかの尺度をわかりやすくしたつもりのように。
言葉での対話。
通じるからこそ、必要とされる「知る」こと。違う角度から置いてある一つのものを見た時、影が落ちる場所が変わるように、全てを理解しえることはない。そして、その影全てを捉えることもできない。照らす側の光の加減もあるだろう。当たり前でいて、当たり前と知らずに信じ込んでしまうこと
フワ……とした気持ちでみようとしていたのに、しっかり見入ってしまった。あくまで、これは私自身の所感であって、そこは重要じゃねーーー!という人もいるかもしれない。が、私はこれを映画として見るのではなく、一つの美術作品のようにして見ていたような気がする。進んでいく物語に気を取られるのではなく、映画というシステムの中で、テーマに取られるコミュニケーションの話。そして、そこで起きるエラー、齟齬、認知できること、できないこと。
こりゃ、おもしろいわけだあ…と納得した。
とはいえ、村上春樹のセックス!自慰行為!男!女!みたいな感じは何回見ても、あ、知ってるぞ〜と思ってしまうのをやめたい。
やめたいけど、ちょっと今回は一味違うじゃないの…と感じたよという話でした