やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

好きな言葉の話

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ものを書いたり、描いたり、作ったりしていると言葉について考える。

この状況や、人の心境をどう表すのが適しているのか、どういう言葉がそこにぴったりとはまるのか、選ぶときに自分の中にちゃんと真っ直ぐ落ちるような、そういう言葉を常に考えている。

それはこういう日記でも同じことで、読みやすさや心地よさ、なるべく棘がないように、と心がけていることの一つである。

 

棘がないように。

と、言っているが、時折人と話していてもぷすりと心臓に刺さる「柔らかい棘」のようなものがある。私個人の主観の話にはなるが、この「柔らかい棘」は私にとって大切にしていることだ。

一見すると、優しさや心のこもった言葉のように感じるそれは、なぜか頭から離れない瞬間がある。その意味をじっくりと咀嚼をしてみると、まるで喉に小さな小骨が刺さったような、最後には飲み込むことはできるのだが、どこかつっかえて引っかかっている違和感。

優しさは時に人の心に抜けない切先を突き刺すことがある。だから、「柔らかい棘」。日々に積み重なる、些細でいて、ある人にとっては瑣末であろうこと。この感覚を拾えるようにといつもアンテナを張っている。

 

当たり前のことなのだが、100%全てが欠けることのない人間というのはいない。あるていど、何かしらの欠けた部分があって、それを埋め合うように私は人と関わっている。基本的にないものねだりな私は、自分の持っていないピースを持っている人をいいな、と思うことが多い。

「欠ける」「埋める」

これも、私の好きな言葉だ。欠けていて当たり前の自分に、何かが入ってきた時、私は満たされた気持ちとどこか寂しい気持ちになる。この人が持っているものを、知ることや感じることはできても、決して同じものにはなれないと知っているからだ。それでも、欠けた部分には誰かの端っこが繋がれて、つぎはぎの布のように私の心は広がっていく。一枚の同じ布にはなれないけれど、一枚になったように見えるそれ。

そういったもので私の心はできているのだ。

 

対局にある言葉にも惹かれる。たとえば、「光」と「闇」だったり、「月」と「太陽」、同時にそれらが一つの場所に現れることはなく、交わらない平行線。でも、それらがなければ互いの存在が成り立たない。結局のところ、私は相反することが好きなのだと思う。理解できる、できない。「できない」が前提で、それでも「できる」ようになるために、試行錯誤する人の心が好きなのである。

もし、不可能と思っていたことが「できる」のであれば、それほど嬉しいことはないだろう。一人では難しくとも、誰かがいることで、ああ、大丈夫だったなと思えればいい。

 

「寂しい」という言葉も好きだ。

なんとなく、自分にとって寂しさは愛おしさの裏側にあるものだと考えている。何かや誰かを愛おしく思えば思うほど、寂しいの気持ちは、楽しかった日の最後に手を振って別れたあとにやってくる。そんな感じ。さみしいを素直に言える人を愛おしいと思うし、その人から最大限の好きをこめた気持ちの裏側を、ひっくり返して見せてもらっている気持ちになるのだ。

温度感、肌、ふれる。愛おしさと寂しさと、その時々によって感じ方の違うものたち。冷たかったのか、あたたかかったのか、大胆に手を伸ばしたのか、こわごわ指先を動かしたのか。その人の性格や所作が、気持ちにともなって変わっていく。ずっと同じものであることは難しい。変わらないように見えても、ゆっくりゆっくりと地球が回っているように、人も流動し続けている。

 

ついこの間、日本語って難しいよね、という話を友人とした。

何か一つを取っても、表現するための言葉がたくさんあって、その選び方一つでナイフのように鋭いものになったり、柔らかい布のようになったり、はたまた道端に転がるただの石のようになってしまったりもする。

 

そして、自分自身の心がいまどんな状況なのかによっても変化していく。

怒っていれば、傷つけるための言葉を準備するだろうし、悲しければその悲しさが伝わるだけのものを並べるだろうし、嬉しければ子どものようにはしゃいで、弾むような言葉を選ぶだろう。

自分の中で、それを表す最大値の言葉。それがどんなものなのか、どうしたらそれが人に伝わるだろうか。わかりにくいものを、わかりやすく誰にでも伝える言葉に置き換えることはできるのだろうか。

 

日記を書き始めたのは、自分に何か一つできることがあればいいと思っていたのと、自分の心の底に一枚板を敷いていて、その下にまだある「何か」についてを書けるような場所を作っておきたいという気持ちだった。

こうして始めてみると、好きなように書きながら、自分にとって心地良い言葉ってどういうものかを確かめる作業をしているのだなということにも気がついた。

 

好きな言葉。使いたい言葉。届けたい言葉。

別に、大仰なものでなくていいけれど、何気なく食べた魚の骨が、喉元をうまく過ぎていかなかったり、食べ終えれたはずなのに、お腹の中でもぞもぞするような気がしたり、そういう小さな違和感、自分の琴線に触れるものが、自分にとっても誰かにとってもあればいいな、と思う。

 

そんな私ですが、引っ越しを間近に控えて、ポケモンの最新作を購入してしまいました。

やめておけばよかったな…と思うほどゲームから離れられなくなっているので、後悔先に立たずとはまさにこのことか〜〜〜!!ガハハ!!とオタク大笑いです。