日曜日だね〜と思いながら、散歩に出ている。
私の気のせいかもしれないけど、関東に出てきてからセミの鳴き声をあまり聞かない気がして、今久しぶりにセミが鳴いているのを聞いてワ!とちいかわになっていたら、近所の中学校に集中しているみたいだった。
どうでもいい話だけど、私は虫がそんなに苦手ではないので、虫くらいならセミは手掴みで掴まえることができる。
大学生の時、虫が苦手な友達をそこらにいるセミを引っ捕まえて追いかけ回していたりした。こんな私を嫌わないでいてくれてありがとう。
今日の話はなんにしよ〜と思っていたら、購入してからまだ一度もつけていないピアスが目に入った。
最近は、ピアスを開けなくても、フェイクのようなイヤリングもあるし、イヤリングもすごく可愛いものが増えた。
イヤリングを初めてつけたのは、多分幼稚園とか小学生とか。母親のアクセサリーボックスの中に入っていたものをこっそりつけた。ピアノの発表会とかにもつけたような気がする。
なんか大人みたい!嬉しくなったのをよく覚えている。アクセサリーって、そういうイメージがある。
私は男の子たちの中で混ざって女子一人で遊んでいるような子どもだったけれど、アクセサリーには興味があった。何でだろう。今でもよくわからないけど、キラキラしてるものっていつ見てもドキドキする。
幼稚園では、ピアスの穴がすでに開いている友達もいた。ちっちゃい耳たぶに、小さな石がついているそれが、私は可愛いと思ったし、羨ましかった。
ピアス!開けたい!
この衝動、なぜか幼稚園の頃からあった。私を何をどう突き動かしていたのかわからないけれど、ずっとつけていられるもの、が良かったのだろう。
母は当たり前だが「あかん」と言った。
小学校ではもちろん、中学校、高校でそれが許されるはずもなく。その禁止は不満だったが、ごもっともな話である。
中学校は驚くほど荒れていた中学校だったので、学校側の風紀の取り締まり方も今ならニュースになるレベルでのすごさだったと思う。
毎週割れるどこかのガラス窓、問題が起きて授業がなくなり学年集会、深夜の無免許バイク運転、一学期ごとに変わる担任、その他諸々。尾崎豊の15の夜も何度目だよ。
ヤンチャ勢は透明ピアスをつけていた。今思えば、透明だとバレるかバレないかギリギリ(そしてギリバレる)なのだから、いっそ普通につけてくるか、つけてこないかの二択じゃと思うんだけど、彼らにとっては、それをずっとつけていられるかどうか、が大切だったのだろう。
それでも我慢した。開けたい!という謎の欲望を。
高校生になると、まああと少し待てば…という謎の余裕があった。
大体ピアスを開けている人、デビューが早い人というのはこの辺の中高あたりで安全ピンでご開通する人も多い。高校生になると大人をあしらう謎の強さも生まれ、規則だろうがなんだろうが、開けてるもんは開いてますよ〜という話ですませてきた人も多分いるだろう。
で、高校卒業。
私がいの一番でやったことはピアスを開けることだった。
母親はずっと反対していたけれど、私の体じゃー!!と思った私は、それでもビビりなところがあるので皮膚科で開けてもらった。
鏡で見るたび嬉しい気持ちになった。
ピアスだ〜!の謎の感動。
服の変遷と同じく、ピアスの好みも変わっていく。私は基本的に髪が短いので大ぶりなピアスが好きなのは変わらないけれど、最近はシンプルなリングピアスをつけっぱなしにしていることが多い。つけなくなったピアスはたくさんある。
その後は、耳たぶに穴を増やしていった。
一度開けると抵抗が全くなくなっていて、三つ目は右の耳たぶに友人に開けてもらった。しかし、真っ直ぐ入っていなかったのでかなり膿んで閉じることにした。
再チャレンジは幼馴染のお母さんに。
その幼馴染の家は、幼馴染がいなくても遊びに行ったり泊まったりする家なので、開けたいなーと言ったら開けてくれた。今も現存。
そして、耳たぶから興味は軟骨へ。骨か〜!と思ってはいたけれど、軟骨に開けたいと言う友人がいたのでピアススタジオで開けてもらった。一般的なヘリックスと呼ばれる上の方に貫通させるピアスだ。
開けてくれたお兄さんの耳は、小鳥が通れるんじゃない?と思うほど拡張された耳の穴だった。めっちゃ怖かったけど、その時に教えてもらったケア方法は今も有効なので、良いところだったと思う。
右耳に髪をかけることが多いので、全部のピアスは右耳に開通していっている。
それから、大学院を卒業して服装諸々自由な職場で働くということになった。その時仲良くなっていだ友達は耳に穴が何個あんの?と思うほど空いている友達で、見ているとまた何か開けたいなーという気持ちになった。
結局、アンチトラガスという妙なところに穴を開けた。耳たぶの上の軟骨部分の位置になる。どうせ開けるなら、人があまり開けていなくて、可愛いところがいいなと思ったからだ。
変なところすぎて、イヤホンもヘッドフォンも形によっては耳を痛めることになり、穴の安定にも時間がかかった。よく血も出た。
痛みに強いせいで、一度耳から血を出したまま近所のスーパーに行っていたことがあり、店員さんに「あの…耳…大丈夫ですか?」と聞かれて、大量出血していることに気がついたことがある。私が店員でもぎょっとするわ。
ある友人に、「ピアス穴ってのは傷口だから」と言われたことがある。これ、傷口なの!?と私はたいそう驚いたのだけれど、それもそうだろう。無理やり皮膚に開けられた穴。人間には再生能力があって、実際私の失敗したピアス穴はもう完全に閉じている。
「どうしてそんなに開けるの?痛いのに」と、言われることもある。
ピアスを開けることは、自傷行為と同じということも言われていたりする。でも、私の場合はどうだろう。どうしてって。
いや、可愛いと思うからだよ。
と、私は自分の耳を見て思う。
私は、容姿というものにコンプレックスがある。
またまたそんな、とコンプレックス相撲を挑んでくる力士がいても、私が苦手だと思うのなら、それは苦手とさせていただきたいものだ。
そういう土俵じゃなくて…と土俵を降りて不戦敗でもいい。
このコンプレックスは、私の幼少期にあった女の子らしいものへの抵抗感から来ているのだと思う。
女の子だからフリル、レース。可愛い格好をさせたい母VS幼いながらそういうものは好きじゃないし似合わないと思っている私。この構図だ。女の子らしいとか、男の子っぽいとか、そういうもの一切合切が面倒だった。
好きなら好き、苦手なら苦手じゃだめなの?
スカートを長らく制服以外で着ることもできなかった。どうにも自分には似合わない気がして。
高校生の頃、私はややぽっちゃりしていた。自分では気付いていなかったし、今考えれば思春期のぽっちゃりみたいなものなのだろうけれど、母は「それくらいが普通」と言っていた。普通、普通ってなんだ!?
自分は自分を毎日見る。自分が気付いていないだけで、すごく見られないような姿を本当はしていたんじゃないか。
それが怖かった。
大学生になった途端、体重がごっそり減った。十キロは自然に落ちた。でもその後、いくら食べても太りにくい体質になってしまった。自分の中でセーブがかかっているのかもしれない。今度は、細くて、骨ばった自分の体を見て悲しい気持ちになる日々だ。
でも、なんというかそういう中で、私にとって少し前に話した「服」や「おしゃれ」、それからこの「ピアス」は、自分が自分を好きになるための必須防具アイテムなのだ。
攻撃力はない。ただ、私が自分の武装力を上げるアクセサリーたち。自分が好きなようにしてきた耳を見ると、私は好きだと思う。
自分の体の中で好きな部位は?と聞かれたら、耳、と答えると思う。だって、いちばんいい装備をしていて、いちばんのお気に入りだからだ。
ピアスをたくさん開けている人には、色々理由があるのだろうけど、私はやっぱり可愛いと思うから、の理由につきる。
だからなのかはわからないけれど、人の耳を見るのも好きだ。ピアス穴があったり、閉じた穴を見ると、こんな真面目なそうな人が開けてたんだ…とか、普段はつけていて、仕事中は外してるとか聞くと、へえ!へえ!と興奮する。
可愛いピアスやいいピアスをつけている人たちを見ると、いいな!とわくわくする。
まだ一度もつけていないピアス、次のお出かけにでもつけられるといいなと思っている。
今回添付している写真の炎になっている円形のピアスだ。ピアスの主張が強くて、服と喧嘩をすることが多い。なんでこれ買ったんだろ…と思うけど、可愛いから買った。何回も見ては可愛いから買ったんだよね、と確認している。不安になるなて…。
これもまた、パズルのピースみたいに、うまく嵌る瞬間があるのだろう。
この装備をつけるのを私はとても楽しみにしている。