ぬいぐるみの話
小さい頃から人の形をした人形が苦手だった。
私の幼少期はリカちゃん人形が猛威を奮っていた。
友達でも持っている人の方が多く、でも私は幼い頃から遊ぶ友達は大体固定されていて、そんなにたくさんの友達の家を行き来していたわけじゃなく、私も外で鬼ごっこをしている方が心安らかな人間だったので、そんなに見たことがあるわけじゃない。でも、大体いた。
そして私はそれを見るたびコエ〜と思っていたし、幼馴染の家にいるリカちゃんは大抵ものすごいスタイルにされていた。
肌が露出してる部分の方が多かったし、髪型すごいアバンギャルドにされてたし。多分、KISSに入ってても違和感がない。
人の形が苦手なのは、なんか生きてる感じがするから。
トイ・ストーリーを見てもワクワクはしなかった。寝てる間におもちゃが動いてる?人型がいたら、それが?怖すぎる……ライオンキングとか、動物が喋ってる方がワクワクした。
そんなわけで、私はというと毛の生えたぬいぐるみがとても好きだった。(言い方に語弊があるので、動物のぬいぐるみと思ってもらえると…)
犬が幼少期の頃からずっと家にいるからというのもあるからもしれないけれど。お気に入りのぬいぐるみは海遊館か何かで買ってもらったカワウソのぬいぐるみ。あと、くたくたの感触のトイプードル、首に十字架のクロスのネックレスをつけたクッキーという名前のぬいぐるみがお気に入りだった。
今思い返せば名前をつけたぬいぐるみはクッキーちゃんだけな気がするな。どうしてだかわからないけど。
かと言って、お人形遊びをするわけでもない。した記憶がない。もしかすると、会話くらいはしていたかもしれないけど、それを肌身離さず持ってることの方が大切だったように思う。
ちなみに、カワウソのぬいぐるみの方だけれど、お気に入りで肌身離さず持っていた時期に悲しい事件があった。
私は保育園に通ったことがない。幼稚園に入るまで、実家の家でその頃はまだ働きに出ていなかった母、祖父母、曽祖母と一日を過ごすことが多かった。
でも、祖父母はあんまり自室から出てこないし、曽祖母はその頃は寝たきりで、基本的に家事をしている母の近くにいた。
私の定位置はリビングの窓の近く。
母が洗濯物を干すのを、その窓を開けてぬいぐるみを抱えながら眺めるのだ。窓の正面の庭には犬小屋があった。愛犬を時々撫でたりしながら、時間を潰していた。何が楽しかったかはわからない。それが好きだったということだろう。
そんな日課をしていたある日、私は猛烈にトイレに行きたくなった。
けれど、一階にあるお手洗いに行くには陽の光があまり入らない廊下を通らなくてはならなかった。いつもは平気なのに、その日にかぎってなぜかそれがとてつもなく怖かった。
抱えられたカワウソ。お母さんは外で洗濯中。祖父母、曽祖母は自室。
母親にトイレに行きたいと言えればよかったのだろうが、一人で行けるでしょ?と言われる未来を感じ……てなどはいなかった。我慢はとうに限界を超えていた。
あとはおわかりだと思う。
カワウソは私の膝の間にいた。尊い犠牲者である。
おもらしの報告をすると、母は笑っていた。豪快に笑い、私の服と下着とカワウソを洗濯してくれた。その間私は泣いていた。泣くわ、こんなもん。
乾いたカワウソはどことなく毛並みが固くなった気がしたが、申し訳なさでいっぱいになった私は、しばらくカワウソを眠りのおともにはしたけれど、普段の相棒に選ばなくなった。
すまん、名もなきカワウソよ。
とまあ、こういうことがあった。
多分私が四歳くらいの頃の話。今でも鮮烈な記憶だ。この悲しい事件は、余談。
そのぬいぐるみが好きという幼い頃のそれは、今も変わらない。可愛いぬいぐるみを店頭で見ると必ず触るし、買うかどうかを悩む。
人の誕生日がくると、何かいいぬいぐるみを見つけて贈りたいと思う。できれば、持ってなさそうな。
子どもが生まれた友人にもそうだ。小さい頃に持っていたぬいぐるみって、不思議とずっと持っている気がする。私がそうだったからだと思うけれど。
人にぬいぐるみをプレゼントするのが好きな私は、友人に「ぬいぐるみ職人?」と言われたこともあって、そうかもな…と思っている節がある。作る側じゃなくて、贈る側の。
「愛着」という言葉がある。
私はこの言葉が結構好きだ。愛が着く。そのままだけど、自然にそうなるべくして、馴染んでしまったもの。良くない意味として使われる印象があるけれど、私は良い意味でこの言葉が好きだ。
愛が着いてしまったもの。それが自分の贈ったものだとして、ふとした瞬間に私を思い出してくれたら嬉しいなと思う。
さらりと書いてるけど、なんちゅー自己顕示欲。ぬいぐるみという可愛い存在を介して、私を忘れるな…と言ってるようなもんだなと思ってちょっとぞっとした。
でも、自称「ぬいぐるみ職人」の私は、可愛いぬいぐるみを作っている人を見ると、これを誰かに贈りたいなと思う。職人的には一点ものに憧れる傾向がある。いいじゃん、一点もの…ぬいぐるみだってこの世にたった一つになると思うよ…
今年も誰かにぬいぐるみをプレゼントすると思う。見たことないような、可愛いぬいぐるみ。それを見て、笑顔になる誰かの顔を見れたらいいなと思いつつ、ちょっとだけ怖い自己顕示欲のぬいぐるみの話でした。
そして気づいたけど別にこれは日記ではないね。でもまあ、いいか。