やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

愛と一枚のアルバム

あぶない。
三日坊主どころか二日で途切れるかと思った。今日は過眠の日だった。アラームでスパ!と一度目が開くんだけれど、そのあと起きることができなくて、体調も相まって寝たり起きたりを繰り返していた。
でも、何ができなかったかじゃなくて何ができたかということが大切…らしいので、人から取次のお願いが来たLINEには返信したし、人ともやり取りをした。可愛い海外の遊園地の写真も見たし、アイドルの情報も手に入れた。それに、ご飯は食べたので、ヨシとしている。

自己紹介的な記事、好きなものの話とか書こうかなと思ったけれど、なんかそれもなと思って、最近思ったことを書くとことにした。

私は家にテレビがなく(なぜか風呂場にはある)それで生活をしている。なので、世の中で起きていることとか、話題になっているものをTwitterのトレンドで知ることが多い。
ちなみに、Twitterに載せられている情報に対しての私の信用率はかなり低い。へー、こういうのがあんのか、とか、へー、こういうのがね、という話題センテンスを拾う感覚に近い。

それはさておき。そのTwitterのトレンドを眺めていたら、どなたかが書いたコラムがトレンドに上がっていた。タイトルは『「もっと自分を愛そう」な時代の空気がちょっとしんどい、僕の話』。
見た瞬間、秒でタイトルをタップしていた。無意識だったけど、多分、私はわかるなという共感に近かったと思う。
内容は、この令和の自己愛について、空気感、それについて自分が思うこと、その方は最後にこう綴っていた。
『自分のこと嫌いなまま、生きていっすか?』
いいともー!いつぞやに終わってしまった国民的昼帯番組のお決まり返事である。私は読み終えて、少なくともそういう返事だった。


この自己愛、ラブユアセルフというもの。
初めて目にしたのはおそらく、私がK-popにどハマりしていた頃のBTSのアルバムタイトルで見たのが初だった。

言葉の通り、己を愛そうということ。でも、難しいよな〜て思うことの方が、私には多くて、その当時、それが大切なのはわかる!みたいな。その当時の私は、そういう感覚。それから意識にはあった。

じゃあ、あれから数年が経過した今、自分をどう思うのかとか愛せてるのかと聞かれると、うーん、どうでしょう。と田村正和氏のような返答になる。

私は明るいですね、優しい、そういうお言葉を人柄に関して評価をもらうことが多い。
それは素直に嬉しいな〜と思うし、そうありたいと思っているので、ありがたい。だからってコンプレックスがないわけじゃない。

自分のここは好きで、ここは嫌い。
嫌いという言葉は強いので、苦手という感覚に近い。どうしてこうなんだろう?と思う部分。今日も六割くらいはまともな生活を送れなかった自分を困ったやつ…と思っている。

でも、全部ひっくるめて自分だなと思った時、私の自分への愛は一枚の音楽アルバムに似ている。そう思うことにしている。
私は、どれだけ好きなアーティストでも、一枚のアルバム全ての曲を好きだと思うことはあまりない。その一曲のいいところは言えても、これが最上!とはならない。「このアルバムのこの曲、すごい好き」と感じるタイプだ。

全部を好きだから肯定しなければならない。そうは思わないな、と思った時、自分に向けてる愛情の形とよく似てると思うのだ。
でもそれが、ずっと聞いてると何かのタイミングですごく好きになる瞬間があるし、人からこう思ったというような話を聞いて、好きになっていくこともあるかもしれない。

それでいいんじゃんね、と思うようになった。


と、まあ思っていることとできることは、乖離していることもたくさんあるから、自分の苦手なところを愛せるかどうかはわからない。一生苦手なままかもしれないし、一瞬好きになることもあるかも。そういう可能性の余地がある。そうやって自分と付き合っている。


自己愛は難しい。でも、自己という言葉を取ると、私は愛は人や色んなものを救うよ!と思っているので、ラブイズオール。愛こそすべて。という妙なスケールを持っている。

明日は明日で、また起きられないかもしれないけど、起きれたら自分のことちょっと好きになれるかも。
そんな期待をしつつ、このあとはお風呂に入って寝支度をする。