やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

夏がきている

とりあえず、日記とか書いてみてもいいのかも。と、思い始めてかなりの時間が経った。

そもそも、毎日何かを日課にすることが苦手だ。ソシャゲのログインはできても、生活に必要なことを日課にするということなどが。生活と自分があまりにもまっすぐ結ばれているので、もしその日課ができないことがあった日には、自分にすごい失望してしまう。困った人間だなと思うけれど、そうして生きてきちゃったな、ここまで……と変な諦念がある。

話が少し逸れたけれど、日記とか書いてみてもいいのかも、にはちょっとした理由がある。


私はあまり人見知りをしない。

しないけれど、パーソナルスペースがとても狭い。物理的にはそうだろうと思っていた。

窪塚洋介主演の大好きな映画『GO』の中で、拳を握り、腕を伸ばしてぐるりと一周。それが人のパーソナルスペースだと話すシーンがある。全くもってその通りだと思う。そこに他人が入ってくると、ウワ〜と思う。

ところが、心理的にもどうやらそうらしい。と、最近気がついた。それは普段話すことのない人と話したり、そういう中で気づいたことだった。

聞かれることがあれば、何でも答えることができるけど、自分の思っていることを言葉にした時、核心、真ん中にあるものを箱の底に一枚板を敷いたその下に、置いている。でも、こういう風にしっくりくる文字の並びにできると、板を開くことができる。ような気がしている。

ずっとその板の一枚下に押し込めていてもいいんだけれど、それがあまり自分にとって良くないことなのかもしれない。

だから、せめて一人で思ったことを誰にも何にも触れられない場所に立って日記にしてみよう。そう思って、今友達に会いにいく電車の中でこの日記を書いている。

とは言え、言っていいことと悪いことは多分あるから、選び続けるのだと思う。それが言葉の楽しいところで、呪いにもなる。誰かにとってもそうだけど、自分にとっても。

なるべく自分で自分に呪いをかけないよう、日記をつけれたらいいなと思う。


人の多いところに出るのは、最近の情勢も、自分の心境も相まって緊張する。

買ったばかりのノイズキャンセリングイヤホンが良い仕事をしている。街に出ると、こんなに人が生きてるんだな〜と思う。

多分、今日は今から良い日になると思う。


これを書いて、数時間後。

良い日になったなと思いながら、慣れないスターバックスに来て、友人と観た映画の話をしている。寝る前にまた今日のことを思い出すだろうな。