やわらかい

日々、いろいろ、ほそぼそ

地獄の話

f:id:maruiinochi:20221027174325j:image

 

ここ数ヶ月、半年くらいだろうか。

家にいる時間が長くなってきて、音楽を聴く時間も多いのだが、ラジオをよく聴くようになった。大体は、リアルタイムより放送後のタイムシフトのようなものや、配信されているものを聞く。

お笑い芸人のラジオも好きだし、歌手のラジオ、それから好きなアイドル、声優のラジオ。音波の向こうの誰かに向けた声と、それぞれの思うこと考えること、あったことを訥々と話しているのをおもしろいな、と思うのだ。中には、思いがけない引き出しが自分に増える瞬間があったり、自分の考えることが重なったり、たまたま何か近しさを感じる話題があったり。

純粋なおもしろさで声を上げて笑うことも多い。中でも、私はやっぱり何でもない日常なことを話してくれるものが好きだと思う。

 

自分が部屋に音があることに安心するのは言わずもがな。画面の向こう、携帯の向こう、そこで誰かが話していることをBGMにして、生活を整える。誰かに見られているような、そういう安心感を求めているところが私にはあるのだ。

リアルタイムではないから、すでにそれは過去の電波に乗った、遠いものなのだけれど、今、それを聞いている私はそこにいる。毎週毎週更新されていく中で、向こう側にいる人がどれほどのことを覚えているのかはわからない。でも、その人にも忘れられないこともあるだろうし、私だって忘れてしまうこともあるだろうから、それはいいか、と声に耳を傾ける。

 

つい先週、星野源オールナイトニッポンに、わしゃがなTVというYouTubeチャンネルを開設している声優の中村悠一氏と、マフィア梶田氏がゲストでやって来た。

星野源は、大学生の時にほぼ住んでいたと言っても過言ではない先輩の家で流れていて、それをきっかけに彼の音楽を聞くようになった。今も普通に好きだし、あ〜この人は今自分の好きなことを心から楽しめるフェーズに入ったんだな、と楽しさの伝わるそれをとても好きだと感じている。

わしゃがなは、なんだかんだで二人のことが好きなので、大人が楽しいことを叶える番組を見ていると心が和んでほっこりする。やっぱり、好きなものを好きだと話す人に惹かれるんだろう。

こりゃ聞くしかありませんわよね〜。と、毎週の日課だし、聞くことにした。

 

その中で、三人が今のネット社会だから不自由なこと、の話をしていた。今だからこそ何かの壁にぶつかって、何もできないと思うことが増えた。でもどこかにそれをぶちやぶれる瞬間、出口はあるのだと、そういう話。

地獄でなぜ悪い」この曲を、梶田さんはわしゃがなでも好きな歌なのだと話していて、私も改めて聞き直すと、当時映画を観に行ったことと、それとは別のものがぼや〜と浮かぶように、そして次第に心を鷲づかみにされる歌だなと改めて思うことになった。

私は、基本的に無い物ねだりだ。

無い物ねだりというか、あるものを肯定できないというか、自分の根っこをきちんとした目で見ることができない。臭いものには蓋をする。臭くないはずなのに、蓋をしがち。それはある意味現実逃避で、色んなことを言い訳に走り回って逃げ回って、自分を見るのが嫌になっているのだろう。

世の中に見たくないものがあるのに、それでもまだ自分のことも見ろですって!?そういう気持ちで蓋を開けたり閉めたりを繰り返しているのが今の状況だ。

どろどろした、どうにもならない奥底。何とでも自分の持っているものと他人の持っているものを比較して、安堵したり、卑屈になったり。みんな持ってるものかもしれないのだけれど、自分が蓋をし続けた結果、私に必要なことは「地獄でなぜ悪い」の精神なのだろう。

さらりと流れたラジオに、私は息苦しさと熱が同時に通った気がした。

 

誕生日から一日遅れて、友人たちから贈り物が届いた。

予告もされていないその中には、私の好物と痩せている私への太れよというメッセージ。それから以前体調を崩した時に送られてきた彼女たちの変顔の写真が低解像度で引き伸ばされたものが底に敷かれていた。

「何も怖くない」友人の手書きの文字に、強すぎるくらいの言葉が綴られていた。でもそう、何も怖くない。私が怖がっていることは、いつか杞憂になる。笑い話になる。だってここはもう地獄。なんとなく、今が人生で一番しんどい時期かな、と思っている。

 

まあきっと、これ以上の地獄もある。

その時も、思い出すといい。こういう日記を書いている自分が、また同じことを思う時もあるだろう。息苦しさと、熱。まだどう扱ったものかと痛さが勝るけれど、今日はエアコンのフィルター掃除したし、自分は機能している。地獄でも、エアコンのフィルター掃除してんだぜ、超偉い。

 

 

追記。この前誕生日に自分のために買った花、やっぱり自分の花の重さに負けて花の根本からグン…と一日経ったら折れていて、私は手を叩いて大爆笑した。世の中なんて、こんなもんよ!

今日も誰かの誕生日の話

f:id:maruiinochi:20221025180723p:image

 

数日前、留学から帰って来た友人、そして前の職場から仲良くしている友人。この三人で、おかえり会と早めのお誕生日会をした。

会場は前の職場から仲良くしていた友人がしてくれた。前の日の夜というか、朝まで話していたので、大丈夫かなと思ったら案の定、みたいなことが起きて、もう一人の友人と笑ってお店で彼女を待った。

 

私たちの付き合いは、とても長いというものではない。(もしかすると、人によると長いということもある。そんなに経ったかあとは、思うけれど)

でもいつからか、日常のこと、好きなものの話、敬語がなくなって、お互いに何を話しても、何をしていても、安心感のある人たちになった、と、私は思っている。

 

そもそもは、私と前の職場からの友人が同じ誕生日で、誕生日会をしようという話になった。なら、もう一人の友人がちょうど帰ってくるからおかえり会も兼ねよう。そうして決まって、私と前の職場からの友人はプレゼントについて悩み始めた。

帰ってくる彼女には、好きな作家がいて、そのプレゼントを贈るのはどうだろうと提案した。グッズの取り扱いをしているところをたまたま発見して、朝食を食べることが好きな彼女にぴったりの絵のハンカチ。可愛いグラス。

これでいくぞ!と決まり、注文をしたらそのお店からメールが届いた。店主一人で切り盛りしているそのお店。店主がコロナになっていた。

そんなことある〜?!と思ったけれど、コロナになってしまったので、すぐに商品が欲しいのであれば注文を取り消していただくことも可能です、とのこと。いやいや、大丈夫!笑いながらそれを共有して、届くまでの日数は余裕があるからいいよね、とゆっくり準備してくださいと返事をした。

コロナになったことがある私は、その大変さも重々わかっている。

届いた商品は、明るい色で、私を出迎えた。頭の中でこのプレゼントを贈る彼女に似合う、爽やかで、柔らかくて、気持ちの良い色。喜んでくれるといいな、早く渡してェ〜と一人で笑っていた。

 

そして、もう一人の友人へのプレゼント。

何がいいかな、と悩んだ。私はぬいぐるみを人に贈るのがとても好きなのだけれど、彼女には一度贈ったことがあるし、何がいいんだろう、と悩みつつ好きなお店のインスタグラムを徘徊。

そして、新商品で目に入った、コインパース。青地に白い鳩が大きく刺繍された、小さながま口。なんとなく、これかな?と思った。

けれど、決定打にかけて、しばらくまたネットの海を徘徊。グラス、器、アクセサリー。自分のために買うものを選ぶことは苦手だけれど、こうして人のために何かを選ぶことは好きなのだ。

結局、私は白い鳩の前に帰ってきた。

じっと携帯越しに睨み合う。そして、商品名を確認したら「SHONANOKA」と書いてあった。

初七日。白い鳩。やっぱりこれだな!と思った。

その友人は、小さくて、動物でいうと小さなハムスターをいつも私は連想する。でも、彼女の話し声はきゅるきゅるとした鳥のさえずりにも似ていて、柔らかさがふくふくとした鳥にも似ている。

初七日。魂が運ばれていく初めての七日間。そこを導く生き物がいるとするなら、こういう白い鳩がいい。どこか優しくて、でも何かを見極めるための瞳を持っていて、そういう生き物。彼女のようだな、と思ったのだ。

 

そしておかえり会、早めのお誕生日会は開かれた。ケーキをお店に用意してもらって、三個と聞いていた私たちは、三個ってなんだろうね?と言っていて、「一個か三個か聞かれて」と、予約をしてくれた彼女が言った。「それってなに?大きいの一つ?」色々聞いたけれど、そういうことではないらしい。よくわからないね、でも四つでくるかもしれないよ、と笑っていたら、ケーキが二つ、スコーン?が二つ乗って、デコレーションされたお皿が現れた。

「これは実質四つ!」

めちゃくちゃだった。何を話しても面白くなってしまうハイな状態でもあったが、まさか本当にそうだとはね、と好きなようにケーキを食べてお店を後にした。

 

次の喫茶店で、互いにプレゼントを渡して、私たちは留学帰りの彼女からお土産をもらった。ダサいご当地マグネット、香りのするジェル、そしてイギリスで彼女が大好きなスーパーマーケットの紅茶。

香りのするジェルはバーボン。なぜ!?と思いつつ、私たちは三人ともオタクであり、ただ私は名探偵コナンのバーボンにさほど思い入れはないのだが、バーボンの香りを渡してきたことに笑った。ちなみに、帰って嗅いでみたが「バーボン…?」だった。紅茶はとても美味しくて、香りがとてもとても良くて、スハ〜と幸せな気持ちになる。彼女のセンスと、ちょっとした茶目っけが、私はとても好きだ。再確認。

 

そして、互いの誕生日プレゼント。

彼女がくれたのは、奇遇にも私の好きな作家の一輪挿しだった。

私の家には花瓶がない。日記にも書いたことがある。花瓶がなくて、自分のために花を買うことができない私。それを知っていて、花瓶の一輪挿しが私の家にやって来た。言いようもない、嬉しさと、驚き。自分では可愛くても絶対に買わないものが手元にやってきた。

 

そしてその日は、そのあと本屋に行って互いのおすすめのあれこれを話して、買って、帰路についた。幸せな一日だった。この日のために生きていたのかな?そういうことを、幸せな日を終える度に思う。そんな日になった。

 

 

そして、今日。

朝一番、幼馴染ののくまちゃんから恒例の変顔写真が送られて来ていた。今年も新しい機能を駆使して撮影されていて、朝からベッドで大笑いした。写真はいつも全部保存と、スクショを撮る。母からのメッセージもあった。柔らかい包むような言葉と、ほんの少しの私の情けなさ。けれど、嬉しかった。

 

今日が私の誕生日だ。最近は起きるのも一苦労で、頭の中でやることを反芻して、あちこちに行ったり電話をしたり、確認をしたり。

でも、私の家には私しかいない。私が私を祝わずしてどうしますか!と、やるべきことを一つ終わらせて街に出た。

数週間前、髪を切った。いつもワンレングスという前髪を揃えての髪型にしていた私は久々に前髪を作ってみたのだが、これが存外楽で、化粧せずとも眼鏡とマスクをつければ外に出ることが可能になった。いや〜身軽。ありがたいわね、と思いつつ、ケーキを買いに行った。

 

近所のケーキ屋さんは休みで、食べたかったな…と思うラインナップだったが、致し方なし。一駅移動して、散歩しながら別のケーキ屋さんに行った。ケーキは二つ買うと決めていた。おやつのケーキと、食後のケーキ。季節のタルトとオペラを買った。チョコのケーキだと、私はザッハトルテかオペラが好きなのだ。名前の音がいい。

 

私の家には、花瓶がある。

今買わずしていつ?と思った私は、意を決して花屋に足を向けた。店内には私が一人きりで、しばらくお店の中をウロウロして、どうしよう…と悩んだ。バラ?バラはなんかなあ。ピンクの花も綺麗。でもなんか、違うことない?オレンジ色のマリーゴールドが目に止まる。オレンジ色は、もともと好きな色である。

 

しばらく悩んで、店員さんに声をかけた。

「あの〜」と言った後、自分の誕生日なんですけど、一輪挿しに花をいけたくて!とか、言えるか?!んなモン!??!嘘をつくことにした。

「友人が誕生日で、一輪挿しに向いている花ってありますか?」

大嘘。マジで取りようによっては悲しい大嘘。でも言えないよ、誕生日とかいらなかったね!?は言ってから気がついた。大馬鹿者め……。

店員さんはまずバラを紹介してくれて、それから秋の色のオレンジ色のものが人気です、と言った。やっぱりそうかあ、と思った私はオレンジ色の鮮やかなマリーゴールドを選んだ。

一輪挿しの大きさを聞かれて、花を切ってもらって、そうしたら「おリボンは付けられますか?」と聞かれてしまった。お、おリボン……。嘘が私の首をキュ、と軽く絞める。

でも自分のためのお祝いですし。お願いした。

 

ラッピングを待ってる間、花言葉を調べることにした。色によって違うのはそうだが、マリーゴールド自体の持つ花言葉は「嫉妬」「絶望」「悲嘆」血の気が引いた。縁起でもねえ!!一人で花屋でケーキを落とすところだった。

オレンジ、オレンジですから…調べると、オレンジ色は「真心」と「予言」。うん、大丈夫大丈夫…。大丈夫!イイ!ネガポジな花らしい。まあ、それも自分にはよく合っている。

オレンジ色のマリーゴールドは別名、「太陽の花嫁」とも言われているらしい。イイ、イイよ…。一連の流れが、なぜか笑えて、良かった。

 

帰宅して、私はさっそく花を一輪挿しに生けてみることにした。

思っていたよりも浅い、一輪挿し。いや、本当にこれが浅くって!それに声を出して笑い、水入んね〜!と四苦八苦し、花の重さに負けて、方向が良い方向を向かないオレンジ色に、「なんじゃこりゃ」と面白おかしくなってしまった。

 

 

家に花瓶がなかった。

だから花を買う理由はなかった。この花も萎れてしまう。でも、ちょっぴり不恰好で、うまくいかなくて、部屋に咲いたオレンジ色は、私にすごくすごくお似合いだと思った。

今日も誰かの誕生日。

私の誕生日は、去年とは違う不思議で楽しい流れの中で、行き着いた今日になった。

 

 

泥のように眠る話

f:id:maruiinochi:20221014231926j:image

 

こんなに日記を書く期間が開くとは思ってもみなかった。思ってもみなかったけれど、納得でもある。

理由はかなりシンプルで、自分の抱えている病気が悪化したということだ。睡眠障害と、不安障害。なんとなく、大丈夫ではないかも、と思うレーダーだけが、一度体調を崩してから理解できるようになり、やばいかも!と走り出したら、色んなことがゴロゴロと転がり出した。

職場とはタイミングよく面談の時期であり、早々に面談。病院への再予約。前にも提案されていた、一旦仕事を辞めて治療に専念して復帰する方向で話が進み、もう一度病院に行った。

薬を切り替えた前回から、合わないなと思っていたのだが、それが顕著になったことを伝えた。シン…となる診察室。ここ最近、通院でこうなることが多く、私は果たしてこの担当医と合っているんだろうか、と悩みの種でもあった。

担当医には休職を勧められた。仕事を辞めればこの症状は落ち着きます。と言われて、エ?!と思っていたら、でも仕事を辞めるって大きな決断でしょう?と言われ、そう……です…?となった。この時点で、私は仕事のことをなんだと思っているんだろうと思って、アレ!?と頭がエラーを起こした。

でももう、何かに期限がつくことが耐えられなかった。自分が毎日今の会社で働いている姿も想像がつかなくて、それよりも、また体がそれを拒否してしまったら?という怖さが勝ってしまった。

 

その日はよくわからないまま病院を出て、観たいものがあった私は場所を移動した。関西にいる大学の同期の友人に、用事があって連絡をしていたら電話がかかってきた。インザ無印良品。買おうと思っていたものを握って、うろうろと店内を歩きながら小一時間くらい話をした。

彼女はパートナーと同棲している。

このパートナーと結ばれるまで、彼女には色々とあったのだがその経緯もろもろを知っていることと、パートナーの人とも何度も顔を合わせている。近くにその彼がいるのかと聞くと、あっさりと電話が彼に代わった。

久しぶりやな、と言う彼に、久しぶりー!と返すと、そんな声が出るなら大丈夫そうやなあと笑われた。そしてすぐに間髪入れず、「仕事辞めて関西に帰っておいで」と言った。

無印良品のお店でタオルを物色していた私は、思いがけない言葉に大爆笑をしてしまった。多分、その時お店の中にいた人間の中でいちばん大きい声が出ていたと思う。そして、ちょっとだけ涙が出た。笑いすぎたということにしておきたかったけど、多分、違う。

その人が、私の求めている言葉を理解していたのか、そうじゃないのか。そんなことはどうでもよくて、ただ私にそう言ってくれる人たちがいるということに安心した。でも、少しだけ自分がずるい人間のようにも思えて、そうして安心してしまう自分がどうしようもなく甘えている人間で、困ったな、そんな気持ちもある。

 

そのあと、また一人友人に連絡をして話を聞いてもらうことにした。彼女は私にとって良き理解者で、冷静で、信頼のできる人だ。彼女は、良くないこと、間違っていると思うこと、そういうものに対して嘘をつかない人でいてくれる。

私の判断がどうなのか、わからなくなってしまった時ついつい頼ってしまうのだが、今回もゆっくりと話を聞いて、こうだと思う、という話話をしてくれた。

 

そして、家族への連絡。

母は肯定的で、何より驚いたのは私のやりたいことについての本心を見透かされていたことだった。色んなことは、後から考えればいい。でも、やりたいと思って心残りにしていることがあるんじゃないのか。そういう場所から離れない方がいいのではないか。親ってコエ〜と思った。

正直、実家に帰るのは大変な気もしているけれど、今はそうも言ってられないのが正直なところであったりする。今の職場には元気になったら戻ってきてくれていいよ、と言われているけれど、多分戻らないだろうなと思う。地元に帰って、それからを考えよう。ちなみに、関西地方で仕事を見つけることができたら、兄は私と同居してもいいと言っているらしい。

いや、懐〜。デカ〜。この歳になって妹と兄で〜!?と思ったけれど、兄は昔からそういう人だ。利害の一致。それから、私に対してはいつも味方であってくれること。

またちょっと泣きそうになった。本当に情けなくて、自分では自分を許せなくて、誰かに許されることでしか、自分を保てないこと。どうしてこんな人間なんだろう、と思うけれど、そうしてでしか、できない人間がいる。誰も悪くない。私も、誰かも、あなたも、すべての人が。

 

それからの私は、スイッチが切れたようにこんこんと眠ることと食べること、それだけを繰り返していた。泥のように眠り、優しい夢も見ない。ただ、息をして、生活をなんとかこなして、溶けるように布団の中にくるまっている。

 

会社とのやり取りはしなくてはならないことで、まだ確認しなければならないことも、また病院に行くことも、色々やらなくてはならないことがある。募る不安。でも、良い方向に向かっているよ、と友人は強く言う。

 

そうだといいな、と泣きたくなるような心地と、どこかで電気のスイッチを切った音が聞こえてくるようだった。電気はまだそっと灯る小さな光だが、真っ暗ではない。少しずつ、その光を明るくすることができたらいいと、今はまだ少しだけ暗い部屋にいる。

 

怒ってるのかもしれないという話

f:id:maruiinochi:20221003204536j:image

 

ここ最近、中に入れるインプットと、外に出すアウトプットをうまいバランスでやっていかないとな、と思いつつ、休みの日に色々気になっているものを見たり、調べたり、書いたり、作ったりを繰り返している。

人と話すのは好きなのだけれど、何かをしている時、作業とか。私は本当に喋れなくなる。別に喋らなくてもいいのが作業通話というものなんだと思うんだけれど、人といると人と話してえ〜になってしまうので、たぶんあんまり向いてない。結局、一人でごねごねしている時間が孤独でつらいんだけど、好きなんだと思う。

 

とまあ、そういうことで色々インプットするか〜と思って、今日は、ミッドサマーを見た。

体力のある時に観よう〜と思っていて、いけるんじゃないかな!?と思って観たら、大丈夫だった。ヘレディタリーは観たのだけれど、ミッドサマーはまだで、いつにしようかなと悩んでいたけど、なんとなく今日な気がした。多分今日で正解。

 

日本のホラーは色々な理由があって、あんまり一人の時は見ないことにしている。

日本のホラーと海外のホラー(ミッドサマーに関してはホラーというより少し違うもののような気がしたんだけども)は、文化の概念の違いから、怖いものを「何」として捉えているのかが少し違う気がしていて、私はやはり和製ホラーの方が見ていると、自分の住んでいる国、環境、見慣れたもの、のことを思って嫌な気分になる。起こり得そうで。

 

そうして、ミッドサマー一人鑑賞会は続いた。

一人で割と陰惨な場面とか、どうすることもできないなとわかった瞬間の、鑑賞者としての見守る側に回るか〜となって、割と色んなことを冷静に見ていたら、なんか自分、図太くなったなあとしみじみとした。

主人公ダニーの気持ちもわかる。クリスチャンのダニーへの気持ちもわかる。根本はわからないけど、似たような、そういう状況を思い出すことは可能だった。時々、自分の中にあった嫌な記憶が顔を出したり引っ込めたりしていて、なんていうか、アリ・アスターって、主人公をあなた、私、に置き換えるのが上手いんだよなと思った。怒り、嫉妬、愛情、そのほか人間の持っている諸々。それらの感情が異質な空間に投げ出されることで、むき出しになって、なんならちょっと浄化されていく。

 

言わんでええやん、やらんでええやん、何でそうすんねん、のオンパレードである。でも、人間って渦中にいると大体こうなるだろう。言わなくてもいいこと。でも、理解して欲しくてぽろりとこぼれ落ちるみたいなダニーの言葉や不安そうな態度、傷つけるために準備されてきた怒り。

なんとなく、主人公のダニーはどこに向けることもできなくて、そのうえ、どうしようもない怒りが彼女の中にずっとあったのだろうか。そんなことを見終わってしばらく、考えていた。

 

私は怒ることが得意じゃない。

怒るって体力を使うし、人に対して怒ることを半ば諦めている節がある。それよりもずっと、自分がしてしまったことが取り返しのつかないことで、それが正しかったのかどうかみたいな、そういう不安に苛まされることの方が多いのだ。

怒っていると、段々わからなくなる。ムカつく、腹が立つ、そう思っていた相手に対しての怒りなのか、自分への不甲斐なさへの怒りなのか、その境界線が曖昧になってきて、疲れた。になる。

 

昔、友人に言われたことがある。

もっと怒っていい。怒る権利がある。どうしてそんなに怒らないの!と。私は、私のために私よりも怒っている人がそこにいて、それでいいなと思ってしまった。

 

でも、どうだろう。もしかしたら、自分の中でずっと思っているよりも苛烈な、「怒り」がずっと渦巻いているのかもしれない。ただ、それを発散する方法を知らないだけで、ずっと色んなことに腹が立っているのかもな、となぜかミッドサマーを観て思った。

 

多分そういう映画じゃない。でも、人間の生活の中で起きてしまうどうしようもないことや、抗えなくなってしまうことが起きていく様を見ていたら、なんだか映画の最後を観届けたらスッとした。いや、あんな映画でスッとすな…という話なのだが。

私は、ちょっとだけ、ダニー良かったねと思ってしまったから。ないまぜになった感情が、綺麗に燃えていくような、そういう気持ちになった。

 

最後に怒ったのはいつだろう。ぼんやりと考えた。低めの沸点に触れる瞬間があっても、それはすぐに忘れてしまう。考えると体力を使うからだ。けれど、考え始めたらあれもこれも、それからあのことも腹立つなーと、色々思い出し始めた。

誰かが抱く感情の全ては、その人のものだ。誰にも奪うことも、上書きされることも、許されないと思う。

 

まさかミッドサマーを観てこんな気持ちになるとはね…私はしんなりとした、妙に凪いだ気持ちになっている。

 

骨になり、灰になる話

f:id:maruiinochi:20220930210132j:image

ツイッターを見ていたら、「マイ・ブロークン・マリコ」の映画のポスターや情報が流れてきていた。

亡くなった友人の遺骨を抱えて飛び出す一人の女性の話である。このお話、私はとても好きなのだけれど、ポスターがとてもとても良くて、ア〜…と思いながら眺めていた。

 

「遺骨」

骨。いなくなってしまった人。その記憶のことについて考えながら仕事をしていた。

病院で、普通は人は「生死について考えて生活をしないんです」と言われて、嘘じゃ〜んと思ったことは記憶に新しい。そして、それが私にとって目から鱗のような、みんなそうではないの?という気持ちになったこと。

私は常に生きること、死ぬこと、終わりを迎えること、そして、骨、魂、それらにまつわる色々を考えることが、好きなのだと思う。自分の生死について考えることもあるが、私はある種の人の定めみたいなものを信じていて、いつどのタイミングで、何で、人がいなくなってしまうのかはわからないし、明日かもしれないしずっと先かもしれない。でも、それは決まったことなのだと勝手に思っている。

 

小さい頃、初めて身近な人がが亡くなった記憶は曽祖母の時だった。私が小学二年生の頃だ。

普通は、亡くなった後、そのご遺体は自宅に置かれる。けれど、私がそれを嫌がった。家に息もしていない、空の器になってしまったような、曽祖母の体があることが怖くて、曽祖母は早々に葬儀場に運び込まれた。

棺の中に入った曽祖母の顔は、小さな扉を開くとそこにあった。「ひいおばあちゃんに挨拶をしておいで」そう言われて、しぶしぶ母に手を引かれて見に行った。記憶の中の痩せこけた曽祖母の姿は、顔色良く整えられていて、頬は膨らんでいた。どうして膨らんでいるの、と聞いたら綿を詰めるのだと言われ、動かない人形のようになってしまった、その姿がとても怖かった。

香る線香の匂い。夏だからまだ耐えられたけれど、その匂いがとても嫌いだった。お通夜のあと、親戚で食事を囲むのも、ジュースがあるよ、お寿司があるよ、と言われてもとてもじゃないが、あそこに人とも人でないともわからない曽祖母がいるのだと思うと、家に帰りたくてぐずったことをよく覚えている。

その後、大体のご遺体は火葬される。燃やすってなに?全てがわからなかった。骨を拾うという行為も、父に手を添えられて拾ったが、何をさせられているのだろうと思った。

そして、曽祖母は小さな器の中に収まった。実家の仏間にはぼんぼり(光続ける提灯)が立てられ、これは何だったのだろう、と思い続けた。

 

そのあとは立て続けに母方の祖父、それから父方の祖父が亡くなった。

一度葬儀を経験した私は、こういうもんね、とわかっていても、やはり何でもない、とにかく「空になった」人を見るのが怖かった。母方の祖父は、口に綿を詰めると、顎が弛緩して次第に開いてくるのも恐怖だった。じいちゃん、顎が……花を添える時も開いていた。

 

母方の祖父は、パーキンソン病であった。認知症も併発しており、私が最後に見た祖父の姿は、日常の習慣の全てを忘れて、かつて曽祖母が寝たきりになっていた家の離れの部屋から、タオル片手に全裸で祖父が昼間に現れた姿だった。

祖父は私のことをとうに忘れていた。

声をかけても反応がない。それでも、筋肉が弛緩していて不安定な祖父が一人でお風呂に入れる状態などではなかった。慌てて二階にいる祖母を呼んだ。その後のことは、覚えていない。

かつて、私を確かに知っていた人。あんなにも優しく私に触れた人。一緒に遊んだ記憶。最後に名前を呼ばれた記憶ははるか遠く、私だけが知っていること、それがとても悲しかった。病気なのだと理解していても、それでも、私の知る祖父とはまるで違うその姿。祖母は介護に疲れ切っていたと思う。その当時のことを今でも話すことはないけれど、自分のことすら曖昧になってしまう彼を、祖母はどんな気持ちで見ていたのだろう、と今でも思うことがある。

そんな祖父も、骨と灰になった。

一番覚えているのは、骨を拾う時に、祖父の喉仏がとても綺麗な形をして焼け残っていたことだ。祖父の喉仏は、私のよく覚えている姿の中でも、しっかりと声を震わす大きさをしていた。それが、こんな形になるのだと、私は感動したことを覚えている。

曽祖母の時は泣かなかった。よくわからなかったからだろう。でも、祖父の時は涙が出た。色んな気持ちがないまぜになり、裸で台所を横切ってお風呂場へと向かう祖父のことを何度も何度も思い出した。

 

父方の祖父は、ハーゲンダッツが好きだった。もう食べ物もそろそろ、という時、兄と父とお見舞いに行って、溶かしたハーゲンダッツのアイスを祖父に食べさせた。それも、悲しかった。どうしてこんなことをしなければならないのだろう。祖父はおいしい、とあまり呂律の回らない口元でそう言っていたけれど、私はこんなことをしなくてはならないなんて、と泣きたい気持ちだった。良いことをしたのだろうか。今もまだ、わからない。元気になってね、なんて言えなかった。だって、彼はもう、私の知らない場所に向かおうとしているんでしょう?

子どもだからわからないなんてことはない。わかるものは、わかる。

祖父はクリスマス近くに亡くなった。冬場の葬儀場は、私にとって息苦しくてたまらない場所だった。蒸せ返りそうな線香の匂い。知らない人になってしまった祖父。父方の親戚と折り合いが悪いこともあり、吐き気がずっと止まらなくて、私はお経の上がる式場の外で、じっとそれが終わるのを待った。例に漏れることもなく、父方の祖父も灰と骨に。

花を添える時に泣いたのを覚えている。ここにいない。それだけがわかる幼さがあった私にとって、こういった儀式は、理解からほど遠い何かだった。

 

こうして三度、人を見送り、それからしばらくは顔も知らぬ祖母の母、後妻であったという曽祖母の葬儀にも参加したが、縁遠いこともあり、親戚のおばさまたちに会うイベントで、この時は高校生だった。お経が今までに聞いたことのないほど、唱えている住職の人が高齢で、今にも息絶えるのではと思うもので、笑わないようにするので必死だった。あんなお経ある!?とみんなで騒いだが、こうも雰囲気の違う葬儀なんてものがあるのかと驚いた。

 

それからも何度か、人が灰になり、骨になっていく姿を見送った。

これは、血の繋がった人たちではなかった。初めて、そばにいる誰かがいなくなってしまうということを経験して、でも、もう年齢も重ねて幼さはどこかへ置けるような、そんな年齢となってくると、もう、全てが不思議だった。目に焼き付けておいた方が良い記憶。これまでのことも何も忘れてはいないけれど、それでもまだ、覚えていたいと思うこと。

 

そして、大人になってから私は、父方の祖母の葬儀に参加することになった。

連絡は早かった。もう駄目かもしれない。危篤状態が続いているから、一度顔を見に来てほしいと両親から連絡が届いた。

最後に会った祖母は、デイサービスに参加している姿だった。父と二人会いに行った。祖母はまだしっかりと喋れていて、「あんたのええ人に会いたかったなあ。おらんの?」と、言われたことが記憶に残っている。そういうことを私に言う人ではなかった。だからこそ、涙が出そうになるのを踏ん張りながら、「できたら必ず紹介する」と約束した。私はいつも置いていかれる側だった。置いていく人にも、思うことはあるのだと、初めて知った。

 

祖母は、結局私が実家にいる間、顔を見に行ったその日はまだ生きていた。管だらけになって、何も喋ることはできないけれど、そこにいる祖母。小さい時に感じた怖さはなかった。ただ、随分と体が小さくなって、細くなってしまった彼女の手が、こんなにも頼りなかっただろうかと触れて。

けれど、一人暮らしの家に帰ったその翌日、訃報が届いた。

母は、父方の祖母との折り合いが良くなかった。それもあって、なぜか私は父の手伝いを色々とすることになった。こういう時は、こういう段取りで、これはこうして…親戚のこれはこういう風に確認して…ちょっと待てい!なんぜ私がこれを!と思うようなことまでやった。

母よ、亡くなってもまだ、思うところありかい。そう思ったが、それは母である彼女のもので、私は一つ世代を隔てている。彼女のものは、彼女のもの。それをどうこう言う資格は私にはないのだ。

 

私は父に寄り添って、早めに葬儀場に入っていた。顔を見てくる。誰に言われるわけでもなく、私は自らそうした。

やっぱり、変な気分になった。

小さい頃の時ほど、怖さや不安はなかった。でも、そこには確かに「何もない」という感覚だけがあって、人が息を止めること。機能しなくなること。魂がそこから離れたこと。それだけがわかる気がした。

誰もそこにいなかったのをいいことに、私は祖母の顔に触れた。今まで一度も、したことがない、いなくなってしまった人に触れること。

冷たくて、ひんやりとかたくなったお餅を触っているような感覚だった。危篤状態になった祖母の手とは、まるで違う感触。そうか、これが「いなくなる」ことなんだと思って、その時だけ涙が出た。あとは、葬儀中もどんな時も涙が出なかった。

骨になった祖母。お骨について、火葬場の人が説明をしてくれるのを初めてちゃんと聞いた。骨壷に足から順に骨を拾って入れていく。そして、最後が頭。そして蓋をして、これを最後にお墓に入れるんです、と。

そうだったのか、と思いながら、猫背の祖母の背骨を入れる際、折って入れましょうと言われて、お、折る!?と動揺したが、兄と二人で協力して折った。幼き私よ、君は大きくなって祖母の骨を折っていますよ…と妙な背徳感に包まれつつも、二人で骨壷に骨を収めた。

最近、私は自分の後ろ姿があまりに猫背なので、祖母みたいに最終的にはなるんだろうなと思っている。本当はもっと祖母の背が高かったことを思うと、大変そうだったから気をつけたいな、とかそんなことを思っていた。

 

父方の親戚連中、そして父の兄弟仲はかなり複雑だ。一言で言うと、良くない。父の兄である叔父に久しぶりに会ったが、その時私はまだ喫煙者で煙草を吸いながら叔父と久しぶりに話した。叔父には子どもがいない。「私に子どもができたら叔父さんとこに連れてくよ」と言ったら、叔父は初めてその日笑った。楽しみにしとるわ。父と兄弟たちの間に何があるのかはわからない。知らないが、私はそれでいい立場なのだ。

私は結局、四十九日を終えて納骨する日も父とたった二人で立ち会った。お墓の下を開けるのを初めて見て、その中に曽祖母、祖父の骨壷が入っているのも初めて見た。お墓ってそうやって開くんだ…力技…と思ったが、先祖代々の骨がそこにあることに、なぜか安心した。正しい場所、正しい位置、還るべき場所。

どこにでもある、当たり前の儀式。でも、その人たちはもう「ここにはいない」

 

父方の祖父の墓前では、いつも私と父は煙草を吸う。祖父が喫煙者であったからだ。煙草の煙と線香の煙が混ざり合う中で、私だけが父の吸っている煙草が祖父と同じものであることを知っていた。いつ変えたのかは覚えていない。

骨になる、灰になる。煙のようにいつか立ち消える。

私もいつか、そうなる。

 

母がその昔、私がまだ小学生だった頃に急に話しかけてきたことがあった。

その日はこたつに入ってうとうととしていて、母も何かをしていて、それでも突然のことだった。母の質問はこうだ。

「人生で一度しか経験しないことって何かわかる?」

私は微睡みの中で、変なこと聞いてくんな、と思いつつ、結婚?とかそんな返事をした。母は、何回もする人もいるかもでしょ。と言って、その答えを教えてくれた。

「生まれることと、死ぬことよ」

あ〜、と思った。なぜ母がそんなタイミングで、私にそんな話をしたかというと、父方の祖父が入院した前後だったように思う。

「生まれてきた時はみんなに喜ばれる。だから、死ぬ時もみんなにちゃんと見送ってもらえるような、そんな人生を送れるように生きるんだよ」

夢だったのか、本当だったのか、今でも曖昧だ。けれど、母のその急な問いと、与えられた答えを私はずっと覚えている。

 

たった一度。そこにある瞬間、いなくなった瞬間。肉体が、骨になり、灰になるその時。

それがいつかはわからない。明日かもしれないし、ずっと先かもしれない。その日がどんなに天気の良い日でも、悪い日でも。

 

私はつい、日々の中で考えてしまうのだ。

骨になり、灰になるその日のことを。

 

生きるのが大変な話

f:id:maruiinochi:20220929210627j:image

 

通知は基本的に色んなありとあらゆるものをオフにしている。アプリのマークがつくと、開かないと気が済まない人間なので、そういったストレスを溜めないようにと思って、人から連絡が来るメッセージアプリ(これを閉じることも往々にしてある)以外の通知をオフにしているのだが、久しぶりにブログを開いたら公式で私の記事を引用してくださったまとめエントリーが上がっていてたまげた。

どこからこんな記事をお見つけになられました!?おったまげ〜!!日々を綴っているだけなので、ウワーッと羞恥で走り回りそうになったが、自分のために書いたものが人に触れることもあるんだな…と思うと、アザス…と謎の若者が出てきて手を合わせていた。

 

「誰かとつながっている話」を読むと優しい気持ちになれる - 週刊はてなブログ

 

びっくりした〜。でもこの記事に添えていただいている、今からおさななじみをつくることはできない、はその通りだなと思って、素敵な言葉を添えていただけたことがとても嬉しかったです。

 

 

とまあ、こういった何気なく書いたものが誰かに渡っていくのがブログならではいうものではあるのだなと改めて実感した。漂流した文字たちが行き着く先は意外なところだったりする。でも、この日記を始めたきっかけは、自分の蓋をしているものに対して、なるべくどこかに吐き出せるようにできていたらと思っているので、スタンスは変わらない。

 

生きるのが大変な話。大変です。現在進行形で。元々、日記を始めたのも一日一つなにかできたことがあるといいなと思ったこともあって、ただ最近毎日書けないな〜と思っていたのは、暗い話に毎日なりそう。という気持ちだったからである。

いやでも、それをどう思ったかを処理するために書き始めたんじゃないの!?という矛盾。嫌だわ、目的と手段がひっくり返っていること。私には昔からよくあったことだ。と、思うことと、最近めちゃくちゃ…星をいただいたりもするので…それもあってなんか…見られてる!?にビビってしまった。めんどくせ〜である。私が。

 

職場復帰をして一ヶ月。リハビリみたいに仕事を始めて、それでも仕事に行けない日がある。ベッドから起き上がることができない。縫い付けられたんか?ベッドに。念能力者でもいる…?と思うほど、起き上がれず、睡魔が身体を襲う。もう念能力を持った誰かのせいにしたいほどである。

最近は過眠がひどい。薬を切り替えたのが原因であると思うが、覚醒までに時間がすごくかかる。一長一短。全てが!!

むしろ週に五日間働きに出ていた自分がわからない。想像がつかなくなってきている。ようやってたな。残業とか。この仕事を一生のものにする気持ちもないのに、今仕事をやめてどうする?が頭をグルグルする。ある程度ここでリハビリしておきたいっていうか…でもこれが社会なら私のいたい社会はこれか!?と思ったりもする。めんどくせ〜part2。

 

体力ゲージの一つ目が剥がれかけているのを感じている。どうしたもんかと思うが、明日を迎えてみないとわからないのだよな…と思うのも嘘じゃない。いける、いけるよ。と暗示をかけるのにも疲れてきた。暗示だと知っているからだろう。生きるの、大変。

私より大変な人がいることも、もちろんそうだ。それも知ったうえで、私には私の容量があって、耐え切れないものがある。誰かのせいじゃない。あなたのせいでも、私のせいでもない。それを知っていてもまだなお、あまりあるどうしようもない不安と焦燥。

何が不安で、何に焦っているのか。

 

気まぐれに、転職サイトを久しぶりに見た。週五日勤務。どこもかしこもそれが最低条件で、私は携帯を投げ捨てた。こんなもん見てんじゃねー!!見てみようとした自分、何考えてた?!不安定な人間は、自分を不安定にさせるのが大得意だ。こんなことばかり得意になってんじゃねー!!

 

とりあえず、言えることはただ一つ。

生きるのって大変よねということである。

幼馴染がやってきた話

f:id:maruiinochi:20220924230106j:image

 

前に書いた幼馴染が、私の家に遊びにやって来た。

幼馴染の話 - やわらかい

彼女こと、のくまちゃんとは20年来の幼馴染である。

今回は彼女が関東にいる友人に会いに来るということで、ついでに私の家に立ち寄ることになった。宿泊先である。

と言っても、前にも書いたことがあるけれど、私はもてなしというものがとても苦手だし、部屋の片付け…とか考えたのだが、結局まあ付き合いも長いし、いっか〜になった。

前日、私はソシャゲのFGOの2部6章を必死に攻略しており、薬を飲んだら気づいたら眠っていた。色々あって、LINEの通知は切っていたのと、目覚ましをつけるのを忘れていた。

 

事前に、のくまちゃんからは「10時前には着くから」と言われており、パジャマで迎えることになるなと思っていたら、うっかり寝落ちてうっかりアラームをつけ忘れていて、LINEの通知を付け直すことも忘れていた。

普段、薬を飲んでいるため夢は見ない。

無理やり電源を落とす感じに近い。でも、ゲームをやっていたからなのか、ちょうど夢の中で何かに襲われて顔面を握られながら「お前の一族など根絶やしにしてくれる」と言われたところで驚いて飛び起きた。いや、ゲームの影響受けすぎ。

 

時刻は9:34分。LINEの通知は10件を越えていて、ア゛!!と思ったら、彼女から最寄りの駅に着いたと連絡が届いていた。

ギリギリセーフ。アウト寄りのセーフ。

部屋着に着替えて、サッと掃除機をかけた。昨日の夜風呂掃除とトイレ掃除しといてよかった〜。ゴミ出しは無理でしたけど!と思ったら、のくまちゃんが到着した。

 

「表参道で朝食のパン買ってくわ〜」と言われていたけど、どんなオシャレさ?と思っていて、彼女を迎え入れるのと入れ互いに、ゴミを捨てに外に出た。戻ってきたら、机の上に買ってきたパンが小袋に詰められて並んでいた。四つ。

多くない!?と思ったら、私がめちゃくちゃ食べるのを知っているので、「丸いのために三つ買ってきた」と笑った。私も笑った。大食漢じゃん、私。

早めに食べた方がいいよ、と言われたクロックムッシュを二人で食べて、予定を考えた。多分明日は天気が悪いから、今日外に出るってどうっすかね。次の日は私も病院の予定があったのをすっかり忘れていたし、そういうことになった。

のくまちゃんは、クロックムッシュを半分食べて、一旦私のベッド(マットレス)に転がった。私は自分の布団に転がられることがあまり好きじゃないが、もう相手がのくまちゃんならどうでもいい。夜行バスで移動してきたから、眠いよーと言いつつ、化粧をして観光することになった。

 

とりあえず、私の好きなエスプレッソの美味しいカフェに行った。それから目的のパンを買いに…またパンかよと笑いつつ、移動していたら、たまたま目に入ったアクセサリーショップがあった。そこはアクセサリーショップではなくて、指輪が作れるお店だった。店頭に立つお姉さんにいくらでいけるんすか?と聞いたら、いいじゃん!になって、二人で速攻お店に入った。

予定にない指輪作りである。

あらかじめ用意されている土台がしっかりしているお店なので、まあまず失敗はあり得ない。それもわかっていたし、私たちはさくさくと作業を進めた。途中、様子を見にきてくれる店員さんに「お二人すごい早いですね!」と言われて、確かにはえーかもな…と思いつつ初めての体験にキャッキャとした。

行程の中に、指輪を綺麗にするという削りの行程があったのだが、店員のお姉さんに「これが意外としっかり持ってないと指輪がどこかに飛んでいっちゃったりするんで…」と言われていた。へい。と思って作業をしていたら、隣でのくまちゃんが指輪を吹き飛ばした。めちゃくちゃ笑った。

 

刻印までしてもらえて、大満足である。二人で作った指輪を並べて写真を撮っていたら、匂わせ写真みたいで、それにも二人でワハハとなっていた。本来の目的ではなかったものの、まあ、これぞ旅の醍醐味というやつで。

そのあと、目的のパン屋に行ったら行列だった。整理券が、いる…!?のくまちゃんはこういうとき、判断がとても早い。「明日朝イチでお土産買うついでに来るわ」私は多分起きれないなと思っていたが、「丸いが起きれんかったら一人で行くから大丈夫」超頼もしい〜。好き勝手してくれるのありがて〜。

 

人混みが二人とも苦手ですぐに疲れてしまう。サーッと観光して、彼女は彼女で夜ご飯を食べに移動して、私は家に帰宅した。

 

 

帰宅してからも、基本的に自由である。

大体私の家に来る時、彼女は牛乳を買ってくる。あるよ、と伝える前に買ってくる。減らした分を補充してくれるつもりだからだ。案の定、買ってきた。「牛乳あんで」「私が飲むからな」そういうことである。

 

私は気になっていた映画の呪詛を、彼女が買ってきてくれた美味しいパンを食べながら見た。布団を出したのに、のくまちゃんはまた私のマットレスで横になっていて、呪詛を見ている横でジャルジャルの更新された動画を見ていた。二重音声である。でも、お互いに集中している先が違うので、気にすることがない。別に、なんでも一緒にしなきゃいけないこともないし、私も「今から呪詛見ます」と宣言していたから、興味があれば一緒に見るだろうし、なけりゃいいわ、という感じ。

自由時間、長。

 

そろそろ風呂に入りますか…となったが、ここでも事件が起きていた。

私が色々しくじって、シャンプーとリンスのボトルを逆にしていたのである。

そもそもは、リンスだと思って詰め替えたものがシャンプーで、私の風呂場にはシャンプーのボトル×2になっていた。リンスは別のものを買ってきて、詰め替えるのが面倒でそのままでも使えるタイプのキャップがついていたものだし、そこから直で出して使っていた。

でも、客人が来るしね!と思って、昨夜シャンプーを一つのボトルにまとめたら、それがコンディショナーと書かれたボトルの方だった。ずぼらな人間っていうのはね、直らないんですよ。結局どこか脇が甘いもんよ…。

でも、もともとシャンプーが入っていたボトルは洗ったし、まあ、中身も入れ替えましたし。と思っていたら、お風呂をあがったのくまちゃんが「どっちもシャンプーやった」と言ってきた。

あ〜〜〜管の中のね…シャンプーがまだね…もうちょっと出したらリンスになるかも。そう言われた。すまん、と謝ったら自分の持ってきてたリンスあったからと言われた。あったんかい。準備周到ありがとうな!!!!!!

 

私が入る頃にはリンスに戻ってんとちゃうか?そう言われて、私はお風呂に入って何プッシュかした。結果、半分シャンプー、半分リンスくらいの流動した何かになっていた。お風呂を上がると、どうだったかと聞かれて「亜種に…」と報告したら「リンスインシャンプーか」と言われた。亜種ではない。リンスインシャンプー。でも、リンスではないし、やっぱり亜種だと思った。

 

なんやかんやで一日目は終わり、二日目の今日、私は当然起きることもできなかった。

のくまちゃんのアラームは多分鳴っていた。それから、家を出る音も聞いた。でも、夢現なので、起きなかった。次に彼女が帰ってくるタイミングで、また運良く目覚めた私に、のくまちゃんはまた朝ごはんを買ってきてくれていた。スタバである。オシャレ〜〜〜。朝から〜!?て感じで、これ、丸いのぶん。渡されたものを見たらカフェラテのショートと、パンが2個あった。またパン多め!!!!!!

入らんかったら別にいいと言われたけど、普通に食べられるので、食べた。

のくまちゃんはカップ麺を買ってきていて、へーと思っていたら、床で何かに割り箸を突き刺していた。何ぞ…と思ったら、一味唐辛子の小瓶だった。嘘じゃん。

のくまちゃんの行動に気を取られていると、私が一生何それ!??!を言い続けなければならないので、もう気付いてたけど何も言うまい…と思った。何をしていても不思議ではない、それが私の幼馴染である。

 

この一味私の家に置いてくつもりなんだろうなと思ったけど、一応聞いた。答えは、一味ないなら置いていく。じゃあもらいます。

ついでに、彼女は傘も置いて行った。なるべく手ぶらでいたい種族の私たちは、荷物を増やすことを嫌う。そういう種族同士なのに、置いて行った。最近やっとビニール傘一本になったのに……。

そして私は病院に向かって、帰宅するとまた私のベッドで寝転んでいた。またかい。と思ったけれど、そう、これも何も言うまい。好きに過ごしてくれる方が私は気が楽なのである。

それからは、また自由時間。家を出るわけでもなく、互いに好きなように時間を過ごして、私は最寄り駅までのくまちゃんを見送った。

 

特に何かしたわけじゃない。

でも、やっぱりお別れすると寂しくなるもので、無事に家に着くといーなーと思った。楽しかったかどうかはわからないけど、まあ私はいつもどおりの感じで、のくまちゃんもいつもどおりだった。それでいいし、こんな感じがいいんだよなと思った。

 

のくまちゃんが帰ってから、私はまたFGOの攻略を始めた。いつもどおり、普段通りのことだ。クリアしたらご飯食べよ…と思っていて、無事にクリアして冷蔵庫を開いたら、のくまちゃんの食べきれなかったクロックムッシュが入っていた。

これも置いて行ったか。ていうか、私も忘れてたし。どうするか悩んで、人の食べさしだけど、食べられるものを捨てるのもなんかだし、別に知らない人の食べさしでもあるまいし。

 

のくまちゃんの食べかけクロックムッシュは、私の胃袋に収まった。あと、めっちゃ普通にテーブルの上にあったので気づかなかったけどいろはすの一番小さいサイズの水も置いて行ってあった。

 

そんな二日間の幼馴染との記録でした。